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バスケット ボール コラム 2022年9月30日

全文公開! オータムリーグ出場選手インタビュー:喜志永修斗(専修大4年 180cm/G/豊浦高校出身)

バスケットボールレポート by 青木 崇
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喜志永修斗(専修大4年 180cm/G/豊浦高校出身)

喜志永修斗(専修大4年 180cm/G/豊浦高校出身)

ひざの大ケガに2度見舞われながらも、長いリバビリの日々を辛抱強く過ごし続けてきた喜志永修斗。専修大の佐々木優一コーチが「彼の人間性に惹かれて4年前、だれよりも先に声をかけました」と話すように、抜群のリーダーシップを発揮できるキャプテンはオータムリーグで復活。首位攻防戦となった9月28日の日本大戦では、3P2本を含む9点を奪って勝利に貢献。メンタル面ですごく頼りになる喜志永がコート上でプレーできる機会が増えることは、トーナメント、オータムリーグ、インカレの三冠を目標に掲げる専修大にとって大きな力になること間違いなし。(9月29日取材)

Q 日本大との2巡目の初戦は、延長にもつれる激戦を制しました。喜志永選手も15分12秒で9点を記録して勝利に貢献しました。この試合に勝ったことをどう捉えていますか?
「この試合をまず取ったことで単独首位に上がれたっていう点においては、自分たちにとっても大きな勝利だったと思います」

Q 2020年に左ひざの前十字靭帯断裂という大ケガに見舞われてから、自分らしいプレーができるようになるまで大変な思いをしてきたと思います。日本大戦で3P2本を含めてショットを決められたことは、自信を取り戻すという点で大きな意味がありましたか? 
「そうですね。やっぱりリーグの前半はまったくシュート入らなくって、それでも信じて練習してきた部分と、みんなからのシュートを打ち続けろっていう言葉があったからこそ、あのシーンで何も考えずに打つことができました。後半戦も同じ12試合がある中で同じプレーができるかって言われると、まだ全部ができるとは思えないんですけど、そのきっかけにはなるかなって思ってます」

Q 8月20日の国士舘大戦が戦列復帰初戦だったと思います。長いリハビリやトレーニングを経て再びプレーできたに対して、どんなことが頭に浮かびましたか?
「最初はもうリハビリが長かったです。もう地獄みたいなリハビリが2年連続であって、そこに1回目ケガしたときはまだモチベーションがあったから良かったんすけど、2回目やったときにまたこのリハビリをするのかっていうのが結構つらかったです。
 その中でみんなが春の大会優勝してくれましたし、秋のリーグ戦にみんなが待ってくれてる状態で帰ってくることができたので、チームのプラスになればなっていうふうなモチベーションでできたんですが、その中でも逆にふがいなさっていうのもありました。そこからちょっとずつという風に、メンタルをちょっと突き上げたのかなと思います」

Q 2回目のケガはいつだったのですか?
「2回目が3年の11月です。インカレの前でした」

Q 左ひざの故障はすごくショックだったと思います。そこから這い上がり、今の喜志永選手に至る要因はどんなことだったのですか? 
「1回やめることも考えたんですね。バスケットが好きでやり続けてきた中で、“なんで自分だけがまたこんなケガをするんだろう”というのをめちゃくちゃ考えてしまうんです」

Q でも、そこから這い上がって今がある。その要因とか理由は何だと思いますか?
「やっぱりなんか、いろんなところに帰ったり、教育実習に今まで行ったりした中で、自分のことを知ってる人たちが復活を願ってるというか、応援してくれる人にいろいろ触れてみて、“自分はこんなに応援されているんだな”と、一人じゃないんだなっていうように思えたのは、また頑張れるきっかけでした。枝折先生も“もうお前の体がボロボロになるまでやればいいじゃん”と言われましたし、“自分ってバスケットが好きだからこんなにやっているのだな”と思えたからこそ、今また復活しようと思えた一つの大きな要因だったんじゃないかなと思います」

Q 教育実習は母校でやったのですか?
「母校の豊浦高校です」

Q 豊浦高に戻ったことも気持ちを切り替えられた理由の一つと思えますが、枝折康考コーチは喜志永選手にとってどんな存在で、一緒に過ごした時間の中ですごく印象に残っている出来事はありますか?
「枝折先生は自分たちのころ、はっきり言って鬼みたいな存在で、自分は何をしても怒られるような感じでした。逆に枝折先生のおかげで現状に満足することない、現状がすべて、完璧ってことはないということを教えてもらいました。“その良いプレーをした中でその次に何ができるのか”、“その場だけで終わるのではなく次に繋げるバスケットをしなさい”、“先を見据えて考えた行動しなさい”とか、“人間性こそがバスケットに出るもんだよ”というものを教えてもらいました。“常に学び続けろ”とよく言われてたんですよね。“謙虚に生き続けろ”とも。その言葉があったからこそ、枝折先生に学ぼうと思いました。

自分たちの上だと中村功平(現茨城ロボッツ)さんだったり、佐々木隆成さんや石井悠太さんとかの代を自分は結構憧れていました。あの代のときに練習ゲームとかいっぱい(胸を)貸してもらい、その中で自分を高校に誘っていただくときに自分を代表に入れるという言葉が本当に何か心に響いたというか、自分としても初めて代表に入れるチャンスかなと思い、そこで学ぼうと思って豊浦高校に決めました。枝折先生がいなければ今の自分はいないと思うので、本当に感謝しきれない存在だと思います」

Q 先輩の中村選手は喜志永選手にとってどんな存在ですか?
「最初の頃はもう本当憧れみたいな存在で、自分がジュニアオールスターで豊浦にお世話になっていたときに、練習試合でボコボコにされるんですけど、“もっとこうしたらいいよ”とか話してくれました。なんでこんな優しいんだろうっていうことと、あの3人がいたのを覚えています。豊浦高校に入った中で自分が大学選ぶときとか、何か自分のプレーが行き詰まったときとかに試合見に来てくださった。ウインターカップで話しかけてくれてアドバイスくれたり、A代表とB代表が一緒になったときに、同じ豊浦の人が入っているってことで自分のモチベーションも上がりました。なんか、全部自分の前を生き続ける存在だったかなと思います」

Q 中村選手も昨季故障してしまいましたけど、彼が直面してきたことをすごく理解できるのでは?
「やっぱり重たい怪我だったり手術するかしないかのケガがあったときはつらいですし、復帰するまでにやっぱり他の選手の台頭とかいろいろあると思います。それでもなんか今年のプレシーズン見てる限りだと試合復帰していたので、ちょっと嬉しかったですね」

Q 高校時代について聞きたいのですが、インターハイでベスト16に進出しましたが、最後のウインターカップは明成(現仙台大附属明成高)相手には30点、9リバウンドと奮闘しましたが、58対68のスコアで2回戦敗退でした。高校3年間で経験したことで個人的に印象に残っていることを話してもらえますか?
「やっぱりチームとしてはウインターカップで負けたこと、どちらかと言えばインターハイでベスト16に功平さんたち以来っていうか、久しぶりのベスト16に入ったっていうところはチームとして大きかったです。個人的には国体で新潟を倒したときが、自分として一番ですね。頑張ってきたことが報われるとわかった試合と思います」

Q 国体の新潟チームはだれがメインでしたか?
「新潟は開志国際がメインで、留学生の控え選手として帝京長岡の子が1人いましたけど、11人は開志国際でした。自分たちはスタメンが豊浦主体でしたけど、それにプラス(他の高校から)1~2人みたいな感じで戦っていました」

Q これぞ豊浦高というカルチャーはありますか?
「やっぱりチームディフェンスですかね。個人で攻めれる選手がいればいいんですけど、個人で戦えなくてもチームで自分たちの弱点というか、弱さをみんなでカバーし合うというバスケットがチームのカルチャーかなと思っています」

Q 専修大に進もうと思った理由と、そこに至る過程について振り返ってもらえますか?
「ウインターカップが終わった後に、当時のキャプテンだった田中壱歩さんが急に体育教官室から猛ダッシュで自分のところに走ってきて、“お前大学から話が来てるぞ”と言われたのがまず自分が知ったきっかけです。元々枝折先生には関西じゃなく、関東でプレーしたいというのを伝えていました。関東から何校かお誘いいただいた中で正直悩んだ部分もあったんですけど、自分が一緒にプレーしたい人とか、自分が成長できる場に行きたいと思いました。自分が出られる場所ではなく、成長できる場所がいいなっていうふうに思ったのです。

重富周希さんや友希さんだったり、盛實(海翔:現サンロッカーズ渋谷)さんといったガード、いろんなタイプがいる専修大学に惹かれました。そこでも中村さんと石井さんが出てきて、あの2人に相談して“自分でどういうチームが合ってると思いますか?”と聞いたときに、あの誘っていただいた中では専修大学と言われたことや、代表合宿があの時期のドイツ遠征前にあったんですけど、そん中でも佐々木(優一)さんが中川(直之)さんと一緒に豊浦高校までわざわざ来てくれて、本当に自分のことを必要としてくれるっていうことがわかったからこそ、自分も貢献したいなと思って専修大学に来ました」

Q それは高校2年のウインターカップですか?
「はい。帝京長岡戦の後です」

Q 1年生の時から出場機会を得ていたわけですが、佐々木優一コーチとの良好な関係性があったからでしょうけど、今振り返ってみて理由はなんだったと思いますか? 
「振り返ってみるとなんで最初出るんだろうとは思ったんですけど、やっぱり何かチームにいない存在だったのかなと今でも思います。あのときの専修は乗りに乗ったら強いけど、安定性がないっていうか、コートで喋って鼓舞し続ける存在がいないみたいな感じでした。自分は逆にどっちかと言えば、とそっちのタイプだったから、本当に苦しいときに自分が率先して声出したり泥臭いことをやれるというところが、あのときのチームに必要とされていたことでした。それが自分の強みであって、チームの弱みだったからこそ出たんじゃないかなと思います」

Q 佐々木コーチはそこをすごく買ったわけですか?
「そうですね。“キャプテンシーをもっと発揮しろ、もっと喋って自分でやれ”と言われました。“お前が考えてることはわかるから、もう気にせずにやりなさい”と言われたからこそ、何か遠慮なくやれたっていうか、盛實さんたちも自分が言ったことに耳を貸してくれました。その中で盛實さんたちも思うことがあったら教えてくれるし、その中で自分が学ぶこともあったので、本当に良かったなと思います」

Q 思ったことをはっきり言うタイプの性格ということで、司令塔としてチームメイトとのコミュニケーションをしっかり取るという意味では、大きなプラスだと感じていますか?
「逆に言いすぎなこともあって、たまに何か“う~ん”ってなるときもありますけど、それでもつらいときこそだれかが喋ってあげないと人任せになってしまうし、人任せになったら勝てないスポーツだからこそ何かを伝えてあげるべきなのかなと思っています。去年寺澤(大夢:現仙台89ers)さんとかと結構、練習も含めて衝突したんですけど、自分がケガした後に寺澤さんたちに“あんなに言われてたのが自分のためだったんだと思えた”と言われたことで、自分はそういう存在だったかなと思いました。何か自分が喋ってることでこんなに何か感謝されることなんてまずなかったし、やってきたことが間違ってなかったんだと感じた瞬間だったと思います」

Q キング開(現横浜ビー・コルセアーズ)がインカレで足首を捻挫しながらもプレーし続けたことは多くの人に響いたと思います、心身両面でタフな彼が先輩だったことは、喜志永選手の大学のキャリアにおいてどんな意味があると思いますか?
「自分もシューティングとかよくやっていて、体育館に一番最後まで残るのですが、それよりも長いというか、それよりも練習前からやっているというか、なんかもう努力の塊ですね。身体能力とか生まれ持ったものはあったんですけど、バスケットボールに関しては努力してきた中で、どんどんうまくなっていくのをそばで実感していました。(練習で)マッチアップするのも自分だったし、どんどん強くなっていくからこそ自分も負けられないと思っていました。去年の4年生だった寺澤さんたちからは、“もっとバトルしていいんだぞ”と言われるぐらい、何か張り合える相手だったので、めちゃめちゃ楽しかったです。

純粋に開さんが今ビーコルで活躍していることがうれしくて、あんなにずっと一緒にやってきて、一緒にバスケットの話をして、ガードとして悩んだことがあったらお互いに話したりして、一緒に進みながらプレーしていると、お互いに何か言いたいことを言い合えるし、自分も教わることもたくさんありました。“本当にあの人が先輩でよかったな、努力することが間違いじゃないよ”ということを導き出してくれた人だと思います」

Q 鈴木悠斗選手と一緒にキャプテンを務めています。2人制になっていることで感じるメリットはありますか?
「ダブルキャプテンになった理由は、自分がまずいないからです。自分がもう最初リハビリに専念したいと言っていて、本当は春のトーナメントも間に合わせる話もあったんです。でも、さすがに“もうリスクを負うことを承知でやるのはリーグ戦からでいい”と最後決断したので、自分が見られない間に悠斗が見てくれる。悠斗も何かあったら自分に相談してくれるし、自分も言いたいことがあるけど自分が中に入ってないからこそ言えないこともあるので、それを悠斗が言ってくれるという場面では、どっちかがいればチームの練習が成り立つ。本当にそういう存在なのでありがたいですし、自分だけじゃなくみんなでやれるっていうチームになったのは、悠斗がいてのダブルキャプテン制だったのかなと思います」

Q 春のトーナメントで優勝し、オータムリーグ1巡目も白鴎大に負けるまで11連勝を記録しました。今のチームのいいところ、強みとは?
「ディフェンスとリバウンドという強みは元々ずっと持ち合わせている中で、チームで戦うことを強調してやってきたこの1年間でした。本当にチームとして戦えるようになったのが、今年のチームなんじゃないかなと思えます。だれか一人が本当にオフェンスの鬼だったりディフェンスの鬼というわけじゃなく、みんなが自分のやらなきゃいけないことを徹底してやることで、プレー時間が長い選手も短い選手も、自分が出たときに自分ができることを貫いているからこそ、強さになってるんじゃないかなと思います」

Q 2巡目を戦うにあたり、1巡目で見えた課題とは?
「1巡目で見えた課題としたら、オフェンス面ではやっぱりターンオーバーの多さだったり、昨日の試合(日本大戦)では少し改善されて、多分一番少ない試合だと思います。ターンオーバーの多さだったり、シュートセレクションがインサイドだけに偏ってたり、スリーがあんまり入ってなかったりということをこの2週間、1巡目の最後と日本大戦まで2週間あったので、それらの改善に向けてチームとして取り組んでいました。その中で日大戦で少し改善の兆しというか、3Pも確率よく決まっていまたし、ターンオーバーも減らしていました。“効率のいいバスケットをしよう”と今チームとして話し合ってる中で、効率のいいオフェンスをするためにもターンオーバーを減らしたり、シュートの確率を上げたり、フリースローをもらう回数は多いんですけど、確率をもっと高めていくことで、取りこぼしのない試合を作っていくことです。まだまだコミュニケーションが足りてないと思うので、本当に最後の詰めの甘いディフェンスをするのではなく、最後まで要所を押さえたディフェンスが必要になってくると思っています」

Q 徐々に大事な局面での出場時間も増えつつありますが、キャプテンとなった今、佐々木コーチから個人的に求められていることとは?
「ディフェンスはもちろんなんですけど、オフェンス面においても自分がいることでコートが落ち着くという風にすることが、自分にとってもチームにとって必要なことなんじゃないかなって思っています。悠斗だったらドライブで本当にガンガン突っ込んでいくのが持ち味だし、(當山)修悟も能天気に自分のバスケットをする、(福岡)第一みたい自由にバスケットをするというのが彼のバスケで、赤嶺(有奎)だとディフェンスで頑張るっていうのが持ち味なんです。だけど、自分が本当によく言われるのは、“ある程度何でもこなせる、オールマイティにこなせる”と言われるからこそ、自分が慌てたらチームも慌てていると捉えてバスケットをしているから、佐々木コーチも本当に大事な局面で慌てたら負けだと思っているからこそ、自分を使ってくれているんじゃないかなと思います」

Q 絶対的な自信を持っていると思えるプレーは?
「絶対的な自信ですか。ピック&ロールで自分が最初に崩すっていう点においては、他のカードと違って慌てることはないのかなと思っています。クリエイトして自分が攻めるわけじゃなくても、そのきっかけを作ってあげることは自分にとってもチームにとっても一番のメリットです。自分がプレーしやすくなるという点においても。ピック&ロールっていうのは自分の持ち味で、練習してきた部分だと思えます」

Q この人には負けたくないという選手などいますか?
「同世代のガードには負けたくないですね。やっぱり(土家)大輝、(中田)嵩基、(関屋)心、(中村)拓人あたりです。みんなガードですけど、やっぱり高校からずっとやってきた中で、勝った試合もあるけど負けた試合の方が多いと思うので、今年は全部リベンジしたいなっていう風に思います」

Q 他のチームですごく仲がいいと思える選手はいますか?
「代表組はみんな仲がいいですし、あとはなんか個人的に拓殖大の隈元治輝は本当によくご飯とか行きます。高校のときに自分たちが怪物だなって思っていた人だけど、本当に仲が良く、いろいろ心を割って話せる人かなと思います」

Q 今後のオータムリーグに向けての意気込みをお願いします。
「“今年3冠狙えるチャンスというのは自分たちにしかない”というのがモチベーションの一つで、3冠を目指してこのリーグを乗り越えないと、インカレに向けて3冠を目指せる立場ではなくなってしまいます。まずはこのオータムリーグをしっかり獲って、インカレに結びつけるような大会になるとともに、チームとしてもインカレが最後の集大成になるので、もう何があってもいいような準備をできるようなオータムリーグにしていきたいと思います」

Q この24時間でちょっとだけハッピーだったこと、何かありますか?
「オフコートだったら、やっぱりいろんな人が応援に来てくれて、いろんな人がコメントしてくれたこと、自分が復活してくれたことを切に願うようなコメントが来てくれたのが本当にうれしかったです。こんなに今まで孤独というわけじゃないですけど、ケガで苦しんできた中で、自分の復活を応援してくれる人がいてくれたのはうれしかったですね」

文:青木崇

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喜志永修斗(専修大4年 180cm/G/豊浦高校出身)| 第98回関東大学バスケットボールリーグ戦 出場選手インタビュー

青木 崇

青木 崇

NBA専門誌「HOOP」の編集者からフリーのバスケットボールライターとなる。NBAファイナル、NCAAファイナル4、世界選手権などビッグイベントの取材や執筆活動を行なっている。

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