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バスケット ボール コラム 2020年11月16日

全文公開!独占インタビュー:馬場雄大(メルボルン・ユナイテッド)

バスケットボールレポート by J SPORTS 編集部
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馬場雄大選手

高校1年生のときにNBAの夢を持った

オーストラリアNBLのメルボルン・ユナイテッドに移籍した馬場雄大選手。初の海外挑戦となった昨季は、Gリーグのテキサス・レジェンズで《本場》のバスケットに触れた。残念ながらコロナウイルスの影響によりシーズン途中でリーグは終了となるも、確かな手応えを掴んだ馬場選手は「日本に残るのは立ち止まるのと一緒。今の僕に立ち止まるという選択はなかった」と語り、NBAへの強い決意と共に、新たな舞台での挑戦を決めた。

富山第一高校出身の馬場選手は、2年生と3年生のときに2度ウインターカップ出場の夢を叶えている。当時を振り返り「悔しい結果だったけど、僕にとっては良い思い出」と話す。日本代表としても確固たる地位を築く彼は今何を思うのか。高校時代を振り返りながら、熱い想いを聞いた。(取材日:2020年10月29日)

夢を持つことが全て

Q.新天地での現在の活動を教えてください。
今は週4でトレーニングをしています。その内の2回がチーム練習、その内の2回が個人練習をやっていて、徐々にgame likeな練習も増えてきています。トレーニングも週4でしっかりやっているので、状態もすごく良い状態です。ロックダウンしているメルボルンでは感染への懸念があったのたで、(接触プレーは)数日前に(許可が)下りた感じです。

Q.チームの印象は?
まだオーストラリアで言うところの外国人選手は来ていませんが、FIBAのランキングでもすごい高いですし、外国人選手がいなくてもすごいハイレベルな中でやれています。毎日すごい刺激があって、良い時間を過ごせていると思っています。

Q.日本またはBリーグとの違いは?
全部じゃないですかね。同じところはないです。フィジカルのところもそうですし、もちろん言葉のところもそうです。組織のところ、チームで戦うというところでは、去年Gリーグでやっていたので、そこは日本と同じスタイルかなと思います。

Q.NBAを具体的に意識し出したのはいつですか?
高校1年生の頃からです。渡邊雄太選手が初めてアメリカに行って、その前にU-18の日本代表で一緒にプレーしていました。一緒にプレーしていた選手があそこまでアメリカで結果を残していて、自分はどこまでやれるんだという思いから広がってNBAという夢ができました。

Q.夢を持った瞬間に行動は変わりましか?
漠然としたものがあったので、明確になり始めたのはここ数年で、当時はただガムシャラに毎日を過ごしていました。夢を持ったから直ぐに変われるほど僕は利口ではなかったというか、まだまだ子供だったと思いますね。

Q.学生時代に憧れていた選手はいましたか?
当時NBAを見られる環境がなかったので、NBAはほとんど見ていませんでしたが、ずっと父を超えたいと思ってプレーはしていました。父は日本代表選手としてプレーしていたので、当時高校生のときはフル代表でプレーしたいという思いがありました。それが出来たら父を超えられると思っていたので、そこを目指して頑張っていました。

Q.学生たちに向けて、夢を持つことの大切さを教えてください。
夢を持つこと、イメージすることが全てだと思っています。イメージしないことにはイメージした姿にはなれないですし、気付いたらすごいことになっていたということは絶対にあり得ません。夢があるからこそ頑張れるわけで、夢を持った時点からその為に何が出来るんだという考え方になれますし、夢から逆算していくことを考えたら、夢を持つことが全てだと思います。バスケットどうこうじゃなく、一人ひとり好きなことや、興味のあることに夢を持って欲しいなと思いますね。

全てが自分の為に起きていること

Q.高校時代(部活)の思い出は?
日本代表に入り始めたのも高校に入ってからですし、自覚が出てきたのもその年頃でした。体育館に遅くまで残って、毎日チームメイトとシューティングをして、夜暗いなかを自転車で毎日帰っていたことも思い出です。富山県の代表としてウインターカップやインターハイなど全国大会で戦ったことも、悔しい結果にはなりましたが、ぼくにとっては良い思い出です。

Q.高校時代意識的にトレーニングしていたことは?
アンダーカテゴリーですけど日本代表としてプレーしていましたし、世界のレベルを少しずつ感じ始めた年頃だったので、海外で戦う、海外の選手と戦うにあたって、センターではないなと、もっと上をコンバートしてやらなければいけないと思ったので、シュートだったりハンドリングのところ、2番3番のところの動きを集中的にやっていました。

Q.ダンクは高校時代から練習してた?
ダンクは完全に父の影響で、中学校3年生で引退して、ダンクの練習をはじめました。高校のときには思ったようにダンクはできるようになっていました。高校生くらいのときからダンクに関しては抵抗もなく、レイアップみたいな感じでダンクをしていましたね。

Q.高校時代の自分にアドバイスできるとしたら?
練習はたくさんしていたんですけど、無駄に体育館にいた時間が多かったと思うので、やるならやる・やらないならやらないというところのメリハリをもっとつけたら、もっと濃くバスケットボールに取り組めたんじゃないかなと思います。そしたら集中力等ももう少し今に影響するくらい変わってきたかなと思います。

Q.タイムマネジメントという意味では、現在、家では英語の勉強などをしていますか?
ロックダウンして自由に行動ができないということもありますが、一応海外でやるのは2年目なので、英語の部分は少しずつギャップを無くしていかないといけないなと思っています。そこに関しては一生懸命取り組んでいます。

Q.ちなみに高校時代の英語の成績は?
両親から《バスケバカ》にはなるなと言われていたので、実用的な英語はたぶん皆無でしたけど、テストの点数を取るにあたってはそこそこ頑張れていたかなと思います。

Q.家でストレス解消する方法はありますか?
あまりストレスは感じないです。全てが自分の為に起きていること、全てが必要な時間だと思っています。もちろん(海外でのプレーや生活は)大変ですが、ストレスフルな感じはないです。

Q.オーストラリアでの食事は自炊が多いですか?
ほとんど自炊です。お肉を食べないので、海老やサーモンを焼いたり、野菜を炒めたりしています。お味噌汁が一番好きな食べものなので、そこは毎日作り溜めして、いつでも食べられる状態にはしています。

Q.マイブームはありますか?
オーストラリアで結構初めて見るスポーツが多くて、オーストラリアンフットボールもそうですし、日本には無くてオーストラリアにあるスポーツが何個かあるので、そのスポーツ観戦にはハマっています。最近そのスポーツにおける最後の大会みたいなものが何個かあったので、スポーツ観戦はオーストラリアに来てブームになっています。

人を魅了できることを自覚して欲しい

馬場雄大

ウインターカップでの悔しい経験がその後の馬場選手を形成する

Q.ウインターカップの記憶
悔しい結果に終わった2大会ですし、全国のレベルの高さというか、チームとしてもそうですし、個人としてもレベルの高さを感じた大会でした。

Q.2年生のときと3年生で出場した大会では違った思いがありましたか?
3年生は最後の大会だったので懸ける思いは強かったですし、より一層負けた時の悔しさは大きかったですね。

Q.当時、印象に残った選手は?
大会を通じて一緒の大学にも行った杉浦佑成と、青木保憲の(福岡大学附属)大濠高校組はすごく注目して見ていました。彼らの活躍はすごく刺激をもらっていました。

Q.全国で感じた具体的なレベルの差とは?
どう戦うかというところだと思っています。ただバスケットボールをするだけでなく、おさえるところをちゃんと潰しにくるだとか、チームとしてのスカウティングもできていましたし、監督の考えを遂行するという力はさすが全国大会のレベルだなと思いました。

Q.ウインターカップでの悔しい経験は大学進学後にも大きな影響を与えましたか?
その悔しい思いから、大学で日本一を取りたいという思いでやっていました。ウインターカップで経験した悔しい思いが無ければここまで日本一に拘ってはいなかったと思いますし、そういった部分ではぼくを突き動かしてくれたのがその大会だったと思います。

Q.最後の試合を終えた後
結構ポジティブなので、ダラダラ引きずってはいないタイプだったと思います。東京に残って最後の決勝戦まで見ました。同世代で一緒に日本代表として戦ってきたメンバーだったので、親近感が持ちながら観戦したことを覚えています。(特に記憶に残ってる試合も)やっぱり決勝戦ですね。八村塁が初めてウインターカップに出て、あそこまで活躍したのもそうですし、杉浦と青木からは日本一になりたいという思いをずっと聞いていたので、その中で最後勝ちきれなくて、悔しい姿を見たっていうのは、大学で一緒に日本一を獲ろうという強い気持ちにもなった試合ですし、すごくその試合は印象に残っています。
(決勝直後)杉浦と青木には僕から直ぐに連絡しました。その時には大学で一緒にやることが決まっていたので、大学で取り返そうということを話しました。塁とは試合前に観客席とコートサイドで少し話したくらいでしたね。

Q.決勝をスタンドで観戦するのは複雑な感情があったと思いますが?
その時には高校バスケは引退していたので、大学で取り返そうという思いが強かったですけど、観客席にいる訳で、悔しさというか違和感は、試合を観ているときはずっとありましたね。

Q.馬場選手にとってウインターカップとはどんな存在でしたか?
高校バスケに取り組む大きな理由というか、その大会で結果を出すために僕たちはやっていましたし、スカウトの方が見に来たり大学の方が見に来る大きな大会の一つだったので、未来に繋がる大会でした。将来の為にそこに向けて全力でプレーした大会でした。

Q.高校バスケの魅力とは?
一番、無我夢中でやる大会が高校バスケだったと思います。プロに入ったりすると、バスケ以外のことも考えないといけないと思いますが、高校生はただ楽しんでガムシャラにやれると思うので、そういう意味ではすごく《純粋》なバスケットボールが見られるのが高校バスケだと思います。

Q.今を頑張る高校生たちにメッセージをお願いします。
日本だけじゃなくて世界も含めてすごく大変な状況ですけど、スポーツはやっぱり人に力を与える、人に活力を与えるものだと思っています。自分の夢だったり、ウインターカップに懸ける想いがファンの方や見ている方たちを魅了できると思っているので、その力があることを自覚してもらって、その瞬間瞬間を楽しんで頑張って欲しいなと思います。

Q.最後に、今後の抱負を聞かせてください。
このオーストラリアリーグはNBA選手になるための一つのステップだと思っていますし、ここでの活躍が来年からの自分の未来に繋がっていくと思うので、結果に拘ってやっていきたいです。ただプレーするだけではなく、この時間を充実させたものにして、少しでも個人として、バスケットボール選手としても人間としても、ひとまわり大きくなった姿をオーストラリアリーグを経て見せられたらと思っています。

文:J SPORTS編集部

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