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野球 コラム 2022年12月9日

【広島好き】2023年は「がががが がむしゃら」。1953年は「闘志なきものは去れ」。1990年代までのカープのキャッチフレーズを調べてみた

野球好きコラム by 大久保泰伸
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11月23日に行われたファン感謝デーで、来季のキャッチフレーズが発表されました。2023年シーズンは「がががが が(大文字)むしゃら」。また来季も…、という感もありますが、現役時代に泥と汗にまみれ、がむしゃらに駆け抜けた新井貴浩新監督をイメージしたということです。

近年は2度見、ならぬ2度聞きしてしまうようなユニークなものが多い傾向にありますが、この1年間のいわゆる「チームの合言葉」となるキャッチフレーズ。今回はその歴史を探ってみたいと思います。

キャッチフレーズの歴史は意外と古く、球団創設4年目の1953年にすでに存在していました。その言葉は『闘志なきものは去れ』。熱血漢だった初代監督の石本秀一監督らしい言葉で、このキャッチフレーズは60年台半ばぐらいまで使われていたようです。

年度ごとに毎年、キャッチフレーズを発表するようになったのは1973年からで、その年は『スピードとスリルある野球』。近鉄、大洋などを率いた別当薫監督を迎えてのシーズンで、6月には首位に浮上するなど優勝も期待されましたが、後半戦に失速し、残念ながらチームは2年連続最下位に終わっています。

その2年後の1975年にチームは球団創設25年目の初優勝を達成するわけですが、そのシーズンに監督就任したのが、NPB初の外国人監督となるジョー・ルーツでした。前年に『HOTTER BASEBALL!』と、初めて英語表記のキャッチフレーズを採用し、米国人監督ということで当然この年も英語で、と思われるところですが、意外にも『100%の努力』と、まるで日本人の鏡のような言葉。そのルーツがわずか15試合のみの指揮で辞任し、後を継いだ古葉竹識青年監督が『ハッスルプレーでスリルあるエキサイトしたゲームを』と、少し長めのキャッチフレーズで、広島の街に歓喜をもたらしました。

翌1976年の『CHALLENGEから2011年までは英語表記のキャッチフレーズが続いています。チームが初の日本一となった1979年は『LET’S SPARK!』。翌1980年は『3S BASEBALL-Suspence Speed Start』と、ちょっとカッコいいフレーズで2年連続日本一となり、1981年は『3A BASEBALL-Active Action Appeal』とシリーズ化も思わせる展開となりましたが、その年は2位に終わり、「3」シリーズは2年で終了。それでも1987年には『3C-Communicatin Combination Concentration』という形で復活しています。

話題になったのが、1984年の『START FROM ZERO』で、0からのスタート、の象徴的存在として、長嶋清幸外野手がNPB史上初の背番号「0」となりました。その年、チームは2位に終わりましたが、翌1984年に『BLAZING BASEBALL』見事4度目のリーグ優勝と3度目の日本一を達成しています。

もうひとつ、なぜか個人的に記憶に残っているのが、1989年の『Winning Smile(勝利の笑み)』。この頃からは日本語訳も付くようになりました。余談になりますが、同時期にウイニングスマイルという競走馬が存在し、GIレースにも出走するほどの強い馬で、名前だけで応援していた記憶があります。以降は1990年の『Striking Anew(新たなる爆発)』を経て、1991年の『Will to Victory(勝利への意欲)』のキャッチフレーズのもと、チームは5度目のリーグ優勝を果たしています。

江藤智や前田智徳、野村謙二郎などを擁して「ビッグレッドマシン」と呼ばれた強力打線が売りだった90年代中盤、シーズン途中からの猛烈な追い上げで優勝まであと一歩に迫った1994年から『TOTAL BASEBALL(総合野球)』という言葉を4年続けて使用しています。

2位に終わった1995年は『TOTAL BASEBALL2 FORWARD EVER(前進あるのみ)』。長嶋巨人のメークドラマで歴史的逆転を許した1996年は『TOTAL BASEBALL3 OVER THE TOP(頂点を極めろ)』、そして3位に終わった1997年の『TOTAL BASEBALL4 REALIZAR・SUENO(夢の実現)』までトータルベースボールシリーズが続きましたが、残念ながらリーグ優勝には手が届きませんでした。

そして、翌1998年から15年連続Bクラスと長い低迷期に入るわけですが…、このキャッチフレーズの歴史、調べてみると意外と面白かったので、2000年代以降として次回、後編ということにさせてもらいます。

文:大久保泰伸

大久保泰伸

フリーライター、編集者。1969年広島市生まれ、現在は神奈川県在住。出版社勤務を経て、20世紀の終わり頃に独立。別冊宝島野球シリーズの執筆、編集や広島などのOBの著書の編集協力などを行い、同社のプロ野球選手名鑑は創刊時から現在まで関わる。記者活動は2009年にベースボール・タイムズ紙の広島担当でスタートし、15年から野球専門サイトのフルカウントで広島、18年からはDeNA担当も兼務した。

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