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野球 コラム 2022年1月8日

【横浜好き】2022年は寅年。ベイスターズの過去の寅年を振り返る。『週刊ベイスターズいいとこどり』

野球好きコラム by 大久保泰伸
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横浜DeNAベイスターズ

新しい年が始まりました。ベイスターズは最下位から一気に頂点へ、三浦大輔監督2年目のシーズンに期待が高まります。

今年は寅年。セ・リーグの、あのチームの界隈がまた盛り上がりそうですが、ベイスターズにとっても、1998年の寅年は、マシンガン打線で38年ぶり2度目の日本一に輝いた縁起の良い干支でもあります。

そこで新年一発目のコラムは、球団にとってこれまで寅年がどんな年だったのか、振り返ってみましょう。

1950年:5位

まずはプロ野球がセ・パ2リーグに分立し、現在のNPBの形になった1950年。この年からリーグ参入した大洋ホエールズは、下関を本拠地にセ・リーグ8球団中、5位となりました。

タイトルホルダーはいませんでしたが、藤井勇(3割2分7厘1毛)と大沢清(3割2分6厘9毛)が、毛の差で打率リーグ4、5位に入り、投手陣では高野裕良が25勝を挙げました。チームは1年目から69勝68敗3分と勝率5割をクリアしましたが、その後は1953年に松竹ロビンスと合併し、翌年から6年連続最下位と低迷が続きました。

1962年:2位

阪神が寅年に初のリーグ優勝を果たした1962年は2位。60年にチームを初の日本一に導いた三原脩監督の3年目となったこの年は、秋山登(26勝12敗、防御率1.92)、ルーキーの稲川誠(12勝7敗、防御率1.98)と、2人の投手が防御率1点台をマーク。

攻撃陣もリーグ打率2位の近藤和彦や桑田武、中日から移籍した森徹などを擁して三原監督が「メガトン打線」と名付けた強力打線で、7月まで首位をキープしました。最後までマッチレースを続けた阪神に惜しくも敗れる結果となりましたが、就任1年目の日本一から前年は最下位、そしてこの年は2位とした采配はまさに「三原マジック」の真骨頂と言えるものでした。

1974年:5位

ミスタープロ野球・長嶋茂雄が引退した1974年は5位。この年はリーグ打率3位の松原誠(3割1分7厘、21本塁打、83打点)を筆頭に、打率ベスト10に4人(シピン、中塚政幸、江藤慎一)が入るなど、チーム打率リーグトップ(2割6分5厘)の強力打線。

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