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野球 コラム 2020年1月20日

【中日好き】笠原祥太朗、開幕投手の逆襲

野球好きコラム by 森 貴俊
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わずか1年で天国と地獄を味わった。先発投手の晴れ舞台。昨年3月29日の開幕戦。笠原は横浜スタジアムのマウンドに立った。

そこからわずか1ヶ月半。笠原は病室の天井を見つめていた。4月27日の阪神戦登板回避。そして5月10日、笠原に下された診断は「発作性上室性頻拍」。手術を決断した。

ナゴヤドームの練習中だった。激しい動悸に襲われ、その場にしゃがみ込んだ。「誰にも気づかれたくない」。そう思うのも笠原らしい。異変に気付いたチームトレーナーが駆け寄る。

「どうかしたか?」「少し動悸が…。以前からありましたから大丈夫です」

笠原は「僕の中では、大学の頃からありましたし、よくある事だったんで。また来たなって感じでした。他の人には起きないけど、僕はこれが普通だったんで」

チームからは一度検査をするように言われた。4月26日、笠原は病院に向かった。医師に向かって笠原ははっきり言った。「明日先発なんで。先生、何とかなりませんか?」

しかし、返された言葉は「許可できない」だった。

心臓に向かって右の鎖骨下、そして右の鼠径部からカテーテルを挿入し不正な信号が出ないよう手術が施された。

復帰から2軍戦で4試合。笠原は再び1軍に呼ばれた。7月21日、横浜スタジアム。4回8安打5失点。敗戦投手になった。

笠原は「1軍に呼ばれた事は本当に嬉しくて。でも、不安の方が大きかったですね。2軍で4試合。正直イニングが足りていない。もう少し2軍で投げてからって思いはありました」と話した。不安は的中していた。

復帰後1軍では4試合。1勝2敗、防御率9.60、2軍行きが告げられた。復帰後モチベーションを保つ目標があった。9月3日、新潟での巨人戦。新潟は笠原の故郷だ。

「なんとか新潟で投げたいって思いはあったんですけどね。叶いませんでした。まあ投げていたボールを見ても、どうしようもなかった。1軍に復帰して、やりながら何とか復調したらなって思っていましたが、戻りませんでしたね」。

年が明けた2020年。笠原は大きなテーマを掲げた。『ストレートの復活』。手術前のストレートは平均140キロ前半。マックスは146キロ。しかし、復帰後は平均でも130キロ台。持ち味のストレートは走らなくなっていた。

フェニックスリーグでも葛藤は続いた。トラックマン、ラプソード。最新機器のデータを使い自分のボールを見つめなおした。12月、沖縄での自主トレではドライブラインを練習に取り入れた。

「年明け、真っすぐの感覚はだいぶ良いですね。もう一度、自分のストレートを取り戻す。そこが全てですね」。

「去年1年でライバルは増えました。梅津、山本、清水、この辺りですかね。読谷(2軍)スタートですが、早い段階で実戦が入ってくると思うんで、すぐに北谷(1軍)に呼ばれるようにやります」

先発争いの筆頭は、大野雄、柳、ロメロ、小笠原が挙げられる。しかし、ベテラン山井、吉見も黙ってはいない。先発争いの火蓋はすでに切られた。2019年、地獄を見た笠原祥太朗の逆襲が始まる。

文:森貴俊

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森 貴俊

1976年愛知県出身。東海ラジオ放送スポーツアナウンサー。ドラゴンズ戦中心のガッツナイターをはじめJリーグ、マラソン等スポーツ実況を担当。原点回帰を胸に、再び強き竜の到来を熱望する43歳。日々体力の衰えを感じるがドラゴンズへの喜怒哀楽は衰え知らず。今年もマイクの前で本気で泣いて怒って笑います!

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