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ラグビー コラム 2020年12月16日

五郎丸歩、全力で走り抜けた32年間。引退表明会見でラストシーズンにかける思いを語る

ラグビーレポート by 斉藤 健仁
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12月16日(水)、今シーズン限りでの現役引退を表明した元日本代表FB(フルバック)五郎丸歩選手(ヤマハ発動機ジュビロ)が地元の静岡・浜松で会見を行った。会見場には静岡県内のメディアのみが出席を許され、県外のメディアはオンラインでの参加となった。

ラストシーズンを迎える五郎丸(写真提供:ヤマハ発動機)

冒頭、少し緊張した表情で登場した五郎丸選手はこう話した「2021年1月16日に開幕するトップリーグを最後に、現役を引退する決意をしました。3歳から始めたラグビー選手を終える寂しさもありますが、32年間、全力で走り抜けてまいりました」。

「私には残り1シーズンしか体力、気力はともに残っていません。みなさまに対しての感謝の思いを胸の中に秘め、背負い、全力で戦い抜いていきたいと思っております」

なぜ、35歳という年齢で引退を決意したのか、またその経緯に関しては「私はヤマハ発動機ジュビロという素晴らしいチームと、22歳でプロ契約をさせていただきました」。

「契約した瞬間から35歳まで第一線で戦い抜くと、そう決意して契約したことを昨日のように思い出します。ですので、ここ数年、数ヶ月という短いスパンではなく、長いスパンで(今シーズンで)引退という日を迎えることになりました」と説明した。

五郎丸選手自身が、35歳がハイパフォーマンスを出し続けることができるギリギリの年齢と判断したようだ。「アスリートは体力だけでなく、気力も大事。気力の部分が自分の中で衰えていることを感じ、この35歳という節目で、自分が現役を退くことが、自分にとっても周りにとってもベストだと思い決断した」。

当然、五郎丸選手は2022年から始まる新リーグに参加することは考えていない。「トップリーグ自体も今季が最後で、来季から新リーグが始まるわけですが、あと1年プレーしたらどうかという声も多く聞こえたが、22歳のときに決めた自分の考えを曲げず、ここで気持ちよくトップリーグとともに去るという決断の方が自分には合っていた」と話した。

そして、シーズン前に引退発表会見をすることに関しては「私自身が決めました。引退発表会見はシーズンを終えた後にするのが、本来の形であると理解しております。しかし、昨シーズンも新型コロナの影響で、6試合で終えたことが大きな要因です」。

「もう1つの大きな要因は、2015年ワールドカップ後から本当に多くの方に応援していただき、支えていただいた。もしかしたら途中で中断してしまうかもしれない中、そういった方々に今シーズン前に、しっかりした形でご挨拶させていただき、自分のラストシーズンを迎えることが、みなさまに対する私が考える礼儀として考え、この会見を承諾していた」と説明した。

日本代表の通算得点記録を達成した日韓戦

まだラストシーズンが残っているが、五郎丸選手に取って一番思い出に残っている試合、シーンを聞かれ「32年もラグビーやっていると、一番を選べなくなりますが、日本のラグビーの歴史を変えた、あの(2015年ワールドカップ)南アフリカ戦は心に残っている」。

「次のスコットランド戦で大敗したことも思い出の一つですし、ヤマハとして入れ替え戦を戦ったゲームも自分の中では一番です。一番を選ぶのは難しい。すべての試合、練習が自分の中では一番なので、一番を選ぶことはできない」という。

常々、「ラグビー文化として日本に根付かせたい」と話した五郎丸選手。その達成度を聞かれて「みなさんのおかげで、アジア初開催となった2019年ワールドカップがこれだけの成功したのは、ラグビー界にとって本当に大きなことだったと感じています」。

「ワールドカップ後のシーズンは大事でしだが、新型コロナウィルスの影響で6試合戦った後、中断、終了したことは非常に残念に思いますが、1月16日に開幕するトップリーグでみなさんの期待に応えられるように、ラグビー界あげて頑張っていきたい」と語気を強めた。

五郎丸選手と言えば2015年ワールドカップ後に「五郎丸選手ポーズ」が流行ったが、そのときの心境を聞かれて、やや困った表情をした後、「ラグビーをずっと続けた人間としては、やはり1人にフォーカスされることに対する違和感はありました。ラグビーはヒーローが出るわけではなく、チームみんなが役割を全うして勝利が見える」。

「そういったラグビーを3歳から経験しているので、私ひとりにフォーカスが当たることに非常に違和感があったが、ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、私がその仕事といいますか、ラグビーの魅力を広げていくことが自分に与えられた使命だと思い、ここまでやってきた」。

「最初は少しきつかったです。ただ考え方を変えれば、素晴らしい機会をいただいたと思います。あのポーズから入って、ラグビーを好きになった、また違う選手を好きになったという方々が1人でもいれば、私がラグビーをしてきた、続けてきた意味があるのかなと思います」と振り返った。

五郎丸選手の活躍などもあり、ラグビーをする子どもたちが増えたことに関しては「ラグビー選手として、日本代表のジャージーを着たいという子どもたちが増えていることに嬉しく思います」。

「2015年ワールドカップを戦う前は、そういった子ども少なく、そういう環境を変えたいと、2012年に始まったエディージャパンの過酷なトレーニングでしたが、そのトレーニングをしっかり4年間、耐え抜き、1つラグビーというものを憧れのステージに上げられたことを非常に嬉しく思っています」。

また、「2019年ワールドカップに私は出場しませんでしたが、日本代表がラグビー、スポーツの魅力を多くの方々に発信していただいた」と話した。そして、子どもたちへのメッセージとして、五郎丸選手は「日本のラグビーは、ここ数年で大きく変わってきました。私が小さいときに見ていた日本代表よりも、はるかに強くなってきました」。

「個人としても松島幸太朗選手や姫野和樹選手など、海外で活躍する選手も多く出てきました。私が小さいときには考えられなかった。チームとしても日本代表が2019年には初のベスト8にたどりついた。本当にラグビー界は世界レベルに年々上がっていると思っています」。

「そういった高い目標を現役のトップの選手が今、示してくれているので、そういった選手に負けないように、そういった選手を追い抜くように日々努力してほしいなと思います」と話した。

引退後については「まったく白紙です。私自身の性格を取っても、2つ同時に考えられるような、そんな起用な人間ではありません。不器用ですが、目の前のことを積み上げてきた人間ですから、シーズン後のことは、シーズン後、自分の役目を終えた後、しっかり考えたい」と話すに留めた。

ラストシーズン、ヤマハ発動機で優勝を狙う

ベスト4常連のヤマハ発動機は、2014年度の日本選手権こそ優勝しているが、まだトップリーグのタイトルには手が届いていない。

五郎丸選手も十分にそれを承知しており、今季の目標を聞かれて「ヤマハとして初めて取ったタイトルは日本選手権です。1月16日に開幕するトップリーグはまだ取れていません。取ることで、このチームが1つ2つとステップアップする大きなタイトルだと思いますので、まずはここに集中して頑張っていきたい」と腕を撫した。

最後に五郎丸選手はマイクを手に取って「本当にこれまで多くの方々に支えていただきまして、本当にありがとうございました。私自身にはラストワンシーズン残されています。ラストワンシーズン、全力で戦って参りたい。熱い声援をよろしくお願いします」と頭を下げた。

18シーズン目、最後のトップリーグがラストシーズンとなる五郎丸選手は、突破力と正確なプレースキックで貢献し、ヤマハ発動機の初優勝で有終の美を飾ることができるか。

文/プレー写真:斉藤健仁

斉藤健仁

斉藤 健仁

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパン全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡」(ベースボール・マガジン社)、「ラグビー日本代表1301日間の回顧録」(カンゼン)など著書多数。≫Twitterアカウント

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