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ラグビー コラム 2020年5月11日

これぞ、チームスポーツの真髄。ヤマハ発動機ジュビロ、悲願の日本一 2015年第52回ラグビー日本選手権・決勝戦

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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2015年2月28日、第52回日本選手権決勝戦。秩父宮ラグビー場でのヤマハ発動機ジュビロの勝利はラグビーファンにとって印象深いものだった。日本の社会人ラグビーの歴史は長いが、一部の強豪チームが常にトップクラスを独占してきた。2003年に発足したジャパンラグビートップリーグでも、2014年度シーズンまでに優勝したのは、神戸製鋼コベルコスティーラーズ、東芝ブレイブルーパス、サントリーサンゴリアス、三洋電機ワイルドナイツ(後にパナソニック ワイルドナイツ)の4チームのみ。2003年以降の日本選手権を見ると、この4チームに加えてNECグリーンロケッツが頂点に立っている。


創部33年目のヤマハ発動機はトップリーグ発足当初こそ上位に食い込んだが、次第に順位を下げ、いったんは強化を縮小。2010年度には下部リーグとの入替戦にまわった。再び強化体制を整え始めたのは、2011年度のことだ。救世主は早稲田大学、サントリーで実績を残した清宮克幸監督だった。初めてクラブハウスに訪れたときのことを後に語っている。「最初にヤマハに行ったとき、一枚の写真を見つけました。2002年度にヤマハが関西社会人リーグで優勝した時の歓喜の写真です。何とも言えない良い表情をしている。そのとき、『俺はこういう表情をした仲間と写真が撮りたいんだ』という思いを持ったんです」

第52回日本選手権決勝戦・悲願の日本一を達成したヤマハ発電機

その思いが強化の原動力だった。五郎丸歩、矢富勇毅など日本代表選手はいたが、他のトップリーグの強豪と比較すればスター選手はおらず、サイズの小さな選手も多かった。サントリー時代に苦楽をともにした長谷川慎コーチを呼び寄せて攻撃の起点となるスクラムを徹底強化し、ボール争奪戦強化のためにレスリング専門コーチ、肉体改造のためには元ボディビルダーと、専門家を招いて独自の強化を敢行。「ヤマハスタイル」と呼ばれるセットプレーからの理詰めの攻撃を築き上げた。2014年度のキャプテンは、強化を休止していた時代に入社したFL三村勇飛丸だった。

2014-2015シーズンのトップリーグは、16チームを実力均等に分けたファーストステージ、その結果で上位8チーム、下位8チームに分けたセカンドステージで総合順位を決め、最後にベスト4がプレーオフで優勝を争うシステムだった。トップリーグ4位のヤマハは1位の神戸製鋼を下して決勝に進出。しかし、堀江翔太キャプテン率いるパナソニックに12-30で敗れた。

日本選手権は、大学も含めて10チームで開催。ヤマハはシードされ、準決勝で東芝を破って決勝に進出する。相手はワイルドカード(敗者復活戦)から勝ち上がったサントリー。キャプテンは真壁伸弥だ。焦点は互いに重点を置くスクラムの優劣。サントリーのアグレッシブな連続攻撃をヤマハがとどう食い止めるか。前半7分、ヤマハはSO大田尾竜彦からCTBマレ・サウにパスがまわり先制トライ。五郎丸とサントリーSOトゥシ・ピシがPGを決め合って、スコアは10-3。26分にはヤマハがWTB中園真司のトライで15-3とする。「ヤマハのトライに偶然はありません。すべてが必然です」(清宮監督)。繰り返し練習してきたことの成果がフィールドで現れていた。その後の攻防もレスリングトレーニング、肉体改造という地道な強化の積み重ねを感じるものだった。

夢に見た歓喜の集合写真の撮影が始まる。創部から33年目、強化縮小、清宮体制発足から4年目での歓喜だった。ぜひ、試合を見返すときは、ノーサイド後の表情まで追ってほしい。優勝を伝えたラグビーマガジン2015年5月号の誌面に清宮監督のこんな言葉がある。「ラグビーの魅力は、一人ひとりが責任と役割を果たせば、チームの力となり結果が変わることだと思います。ラグビーはサイズじゃない。ネームバリューじゃない。大切なのはそこで何をしているか、そこに何があるかをしっかり見ること。小さい選手なりのスペースの奪い方とか、進め方はあるのです」


文:村上晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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