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ラグビー コラム 2018年12月26日

初出場の桐生第一、元日本代表の青年監督が狙う「ディープインパクト」。全国高校ラグビー大会のみどころ

ラグビーレポート by 斉藤 健仁
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12月27日(木)から1月7日(月)にかけて、大阪・東大阪市花園ラグビー場で「花園」こと、第98回高校ラグビーフットボール大会が行われる。

予選を勝ち抜いた51校が出場するが、そのうち、うれしい初出場は2校。12月22日にトップリーグ再昇格を決めた、三菱重工相模原のコーチ陣が指導する聖光学院(福島)、そして今回紹介する桐生第一(群馬)だ。

霜村誠一監督

桐生第一を4年前から指導するのが、関東学院大学、パナソニック ワイルドナイツでも活躍した元日本代表の霜村誠一監督(37歳)だ。

霜村監督は桐生ラグビースクールで4歳からラグビーを始め、東京農大二高時代は花園に出場し、ベスト8に進出。

関東学院大学では3度の大学日本一に輝き、パナソニックでも主将を務めて、トップリーグや日本選手権など数々の優勝に貢献したCTB(センター)で、日本代表キャップ6を誇る。

そんな名CTBだった霜村選手が、どうして大学やトップリーグという舞台ではなく、高校、しかも「実家から5分」という地元の桐生第一で高校の保健体育の先生として教鞭に立ったのか。

そして、ラグビー部の監督となり、就任4年目で花園に初出場することができたのか。高校の監督になった経緯や今大会への意気込みを聞いた。

―― どうして大学やトップリーグではなく桐生第一の監督になったのでしょうか?

2004年に三洋電機(現パナソニック)に入ったときから将来は教員志望という話をしていて、先生になろうと思い、大東文化大学に教員免許を取りにいっていました。

高校時代の東京農大二高の伊藤薫監督(日本体育大学出身)がすごく格好良くて、「自分もこうなりたい!」という思いがありました。

伊藤監督は練習とかめちゃくちゃ厳しかったですが、選手をやる気にさせるのが上手くて、みんなに慕われていました。やっぱり、伊藤監督の影響が大きかった。

―― 地元ということで桐生第一の先生になったのでしょうか?

元々は教員になることしか考えていなかったので、公立の教員採用試験も受けようと思っていました。

ずっと僕のことを応援してくれていて、小さい頃からお世話になっていた桐生ラグビースクールのコーチの方々が「桐生に残らないとダメだ」「おまえは桐生だ」と言って、桐生第一に話をしてくました。

スポーツも力を入れている学校でしたし、関崎悦子理事長もすごく理解がある方で「ぜひ」と言っていただいて、そういった縁で桐生第一の先生になりました。僕も桐生が好きなのでうれしかったです。

―― 桐生第一は野球やサッカーは強豪校として知られていましたが、強化するにあたりご苦労はありましたか?

ラグビー部はあって、前監督の依田有希部長が声を掛けて、ほとんどが未経験者でしたが、毎年15人ほど集めて常に単独チームで試合に出場していました。

依田監督は「すごいいい男だ」と聞いていましたし、すごく尊敬する人格者です。最初は依田監督の下で、コーチとしてやっていくという話だったのですが、依田監督は「僕は部長になるから」と言われて監督になりました。

今でも一緒にやっていますが、依田部長がいないとまったくラグビー部は回りません。

―― 監督となって4年目ですが、1年目はパナソニックと選手として契約しつつ、学校の先生もやっていましたね。

そうですね。朝早くパナソニックに行って練習して、戻ってきて教員もやっていましたね。昨年から担任も持っていますし、ラグビー部も授業も楽しいですね!

ラグビー部の今の3年生は僕が声を掛けた経験者が8人と一般で入ってきた選手が4人の12人、2年生は16人いて経験者が7人、1年生は14人中11人が経験者です。

1人だけ昔、桐生に住んでいて父親の仕事の関係で大阪から戻ってきた子がいますが、それ以外は群馬の子です。たとえばFL(フランカー)大野怜央(2年)はラグビー未経験で、身長は小さいですが本当に身体を張る選手です。

―― パナソニックのグラウンドに、霜村監督がマイクロバスを運転して練習に行きだしたのはいつからなのでしょうか?

1年目はあまり行かなかったですが、2年目くらいから週に2回ぐらいは行くようになりました。

今はNO8(ナンバーエイト)ホラニ(龍コリニアシ)や、劉永男がFW(フォワード)のセットプレーやテクニックをすごく教えてくれて、それが大きかった。

中型免許はすぐに取れましたね。菅平もマイクロバスで行ったりしています。

―― 高校生を指導する楽しさ、大変さはどうお感じになっていますか。

高校生を指導する楽しさとしては(指導したことが)響きます。どんどん成長します。就任当時の選手たちは僕の言ったことがわからなかったと思います。

それをわかりやすく言うことをずっとやってきて、2年目から勝てるようになってきた。そして、昨年は太田高に勝って県予選決勝に進んだのですが、明和県央に大敗した。

難しさとしては、練習や練習試合でやっていたことが、大会では相手のネームバリューの前にできなくなってしまったことがあった。僕はできると思っていたのですが、選手たちの中には不安があった。

だから今年はメンタルの部分を強くするためのアプローチをしました。キャプテンやリーダーたちとコンセンサスを取りながらやってきました。

一方的に「これをやろう!」ではなくて、「これはどう?できそう?こうなったらどうする?」と聞いてコミュニケーションを取っていたら、想像していた以上のことを選手たちはできるようになりましたね。

―― それが決勝で、初めて明和県央を破って、花園初出場につながったというわけですね?

昨年は決勝という舞台に慣れているチームと、そこで力を発揮するやり方を知らないチームという違いがあった。練習試合をたくさん組んで、でき上がったと思っていたが大敗してしまった。

だから、今年は花園予選決勝に向けて毎週、毎週ミーティングをしました。そして、準決勝の太田高戦では接戦だったのですが「自分たちのやることを徹底して楽しもう」という曖昧なこと言ってしまった。

その反省として決勝では、行動指針じゃないですけど、何をやるべきかを明確にした。そこで決勝では『タックル祭り』をテーマにしました。その方が緊張しないという気もしたし、楽しさとプレーを掛け合わせました。

主将のFL新井穂

―― 今年の明和県央も選手は大きくて強かったと聞いています。

めちゃくちゃでかいし、速いし、強い。昨年度の花園に出場していた選手が結構いるし、関東スーパーリーグでももまれていた。だから、今の3年生は1年生のときからボコボコにやられていました。

新人戦も7-38で負けていましたし、近隣のラグビー関係者たちは「今年も明和県央がダントツに強い」と言っていました。正直、昨年の方がまだいけると思っていて、今年は勝てると思っていなかったくらいでした。

ただ、しっかりと分析はしたし、こういったプレーをしたら相手は苦しむだろうなと思っていました。あとは選手のモチベーションをどう決勝に持っていくかを考えていました。

結局、プレーするのは選手なので、彼らが3年間で培った主体性が結果として出ましたし、キャプテンFL新井穂(3年)のリーダーシップもすごかったです。

司令塔のSO齋藤誉哉

―― 34-24で勝利しましたが、ディフェンスからのカウンターの鋭さはパナソニックのラグビーのようでしたね。

僕が桐生第一に入ってきた時から、ラグビーに関してはディフェンスということをずっと言い続けてきたので、スタイルとしてはそういう感じかもしれません。

また、ゲームの組み立ては昨年までは僕がやってしまっていたのですが、今年はキャプテンFL新井やゲームマネジメントリーダーのSO(スタンドオフ)齊藤誉哉(3年)と一緒にやって戦略と戦術を作り上げています。

―― 選手時代、いろんな監督の指導を受けてきました。誰の指導が役立っていますか。

誰とは言えないですね。本当に指導者に恵まれていました。伊藤監督、関東学院時代にお世話になった春口(廣)さんや(マレー・)ヘンダーソン。

パナソニックでは宮本(勝文)さん、飯島(均)さん、中嶋則(文)さん、ロビー(・ディーンズ)、フィル(・ムーニー)、日本代表ではエディー・ジョーンズの指導を受けました。

みんなのいいところをつまみながら、「こういうことでもモチベーション上がったな」という言葉などを探したり、思い出したりしながらやっています。

―― もし何か具体例があれば教えてください。

たとえば、関東学院大学時代の春口先生はグラウンドの内外で、すごく人のことを見ていました。

僕は全然目立つ選手じゃなかったんですが、大学1年生のときにBとかCチームのFB(フルバック)だったんですが、Aチームの選手がケガをしたときに使ってくれた。

春口先生に後になって聞くと「僕がグラウンドに近い文学部で1年生だったので、一番早くボールの準備とかしていたし後片付けし、合宿でも時間がない中でフィジカルトレーニングもしていた」と言うんです。

生徒をいろんなところで観察したり、練習だけでなく授業などでもいろんなコミュニケーションを取ったりするようにしています。

あと、パナソニックのロビーは、選手のことをまったく否定しないですし、選手との距離間がすごく上手い。

どんなことを話しても「グレイト!」「ナイス!」と言って常にポジティブで、選手のモチベーションを上げようとしていました。だから僕も本当に、そういうところは気を遣っています。

日本代表のエディーは本当に厳しかったですよ(苦笑)。グラウンドでも怖かった。でもエディーは後から思えば計算されていたのでは、ということがたくさんあります。

1回、怒った後、食事中に話しかけてきて、優しく「あのラインブレイク良かったね」と言われたことがあります。

「あんなに怒っていたのに、そういうところを見ていて褒めてくれるのか」みたいに。もしかしたらグラウンドでは演じていたのかもしれません。色々あったけど、コミュニケーション能力もマネージメントも素晴らしかった。

―― 初出場の花園についてお聞かせください。初戦は米子工業(鳥取)、勝つと常翔学園(大阪第3)と対戦します。

映像は見させてもらいましたが、本当に自分たちのことをやることを徹底してやるべきだなと思っています。

花園では、出場が決まった時点で、初めて出るのでインパクトを残すようなことがしたいので、「ディープインパクト」をテーマにしようと思いました。とにかく、まず米子工業戦で全部出し切りたいですね!

花園から水色と白のジャージーで臨む

―― 指導者として一番大事にしていること、選手にはどんな花園にしてほしいですか?

本当に強制しないことが大事で、選手たちが自分で考えることってすごく重要だなって思っています。1年目から主体性を大切に、ぶれずにずっとそうやってきました。

一緒にやることもたまにありますが、選手たちの方が速くて強いですね。コーチングは本当に楽しいですね。

初めての花園だから緊張すると思うのですが、しないようにサポートしてあげるということと、花園でラグビーを終えてしまう選手もいるので、悔いの残らないように楽しんでほしいと思っています。

◆桐生第一 先発予想メンバー

PR吉田智哉(2年)、HO明光棟吾(3年)、PR大和大祐(3年)
LO飯塚太一(1年)、板橋弦大(1年)
FL大野怜央(2年)、No.8田中洋太郎(3年)、FL新井穂(3年)※主将
SH東皓輝(3年) SO齊藤誉哉(3年)
CTB奥田北斗(2年)、CTB矢内裕人(2年)
WTB藤生奨太郎(1年)、FB今泉秀柾(3年)、WTB田代颯(2年)

元日本代表CTBの青年監督が率いる初出場の桐生第一は、花園では緑からスカイブルーと白のジャージーで臨むという。1回戦は12月28日(金)午前11:20から第2グラウンドで米子工業と対戦する。

斉藤健仁

斉藤 健仁

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパン全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡」(ベースボール・マガジン社)、「ラグビー日本代表1301日間の回顧録」(カンゼン)など著書多数。≫Twitterアカウント

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