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モーター スポーツ コラム 2024年9月11日

完走率47%!40年ちょっと前のWEC富士の想いで

今日も今日とてプッシュ&ルーズ by 高橋 二朗
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日本でも活躍したアンドレ・ロッテラー(6号車)は現在ドライバーランキングTOP。

今週末は、いよいよFIA世界耐久選手権(WEC)第7戦富士6時間です。

近年のWECは、6時間レースを中心にル・マンの24時間レースなどが組み合わせられたシリーズが展開されている。

ところで日本でWECが初めて開催されたのはいつのことでしょう?

それは、1982年のこと。開催サーキットは富士スピードウェイ。当時は、その年に施行されたグループCカー規定の車両が参加し始めたばかり。そして、レースは6時間だった。レース中の使用燃料量が決められていたグループCカー規定は、その後1,000Kmレースが主流となった。42年前の日本初WECが今と同じ6時間レースだったのだ。

参加38台中、Cカーは4台のみ。いち早くCカーを開発したポルシェは956が2台。フランス人のジャン・ロンドーが自らの名を冠したスポーツカーにフォードエンジンを搭載したCカー、ロンドーM382C。そしてもう一台は地元・日本からエントリーしたトムス童夢セリカCだった。

日本初のグループCカーを開発したのは童夢。エンジンはトヨタの2リッター/ターボ。ドライバーは、舘信秀/星野薫/鈴木亜久里。

当時の耐久レースは、正に【耐久】レース。完走は18台。完走率は47%だった。ポルシェワークスとイタリアのランチャLC1の2台(グループ5)は予選から速さを競い、ランチャがポールポジションを奪った。レースの序盤もこの2チームの接戦が激しく、1周目のヘアピンまでランチャがリード、しかし、ホームストレッチに最初に現れたのはポルシェだった。その後ランチャがトップを奪い返すものの、レース中盤にトップ走行をしていた1台が100Rの出口でコースオフしクラッシュ。ポルシェの1台もグランドスタンド前にさしかかったストレートで左リヤタイヤがバーストしてサスペンションを大破しワークスチーム同士のトップ争いは1台づつを失った。時間が進むにつれてポルシェのジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組が首位を確実なものにし、2周差でリカルド・パトレーゼ/テオ・ファビ組のランチャを下した。

3位にはグループ6のスポーツカーマーチ75Sでエントリーした見崎清士/中村正和組が入った。Cカーのピットタイミングの間には見崎/中村組がトップを走行するシーンもあってスタンドは大いに湧いたのだった。

2024年シーズンのハイパーカークラスのドライバーランキングはポルシェ963を駆るアンドレ・ロッテラー/ケビン・エストレ/ローレンス・バントールが125点でトップ。それにトヨタGR010の小林可夢偉/ニック・デ・ブリースが113点で続いている。残すは、この第7戦とバーレーンの最終戦のみ。GAZOO RACINGのチャンピオン獲得へは、富士6時間は重要な一戦だ。

文:高橋 二朗

高橋 二朗

高橋 二朗

日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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