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モーター スポーツ コラム 2021年9月6日

SUPER GT 第3戦:松田次生(No.23 MOTUL AUTECH GT-R) 「地元の鈴鹿で勝てるってすごく幸せなことだと改めて感じている」

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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松田選手と相方のロニー選手

松田選手と相方のロニー選手

「SUPER GT あの瞬間」と題して、レース内容をドライバー自身に振り返ってもらう本企画。一部映像化し本コラムの最終ページで視聴可能である一方、本コラムでは余すことなく全文を紹介する。

鈴鹿大会では予選3番手から着実なレース運びを続け、終盤に同じGT-Rとの死闘を見せて逆転に成功したNo.23 MOTUL AUTECH GT-R。待望の今シーズン初優勝は、後半、ステアリングを握った松田次生選手にとって通算23回目(※1)の優勝となり、最多勝記録更新につながった。チャンピオン経験抱負なベテランドライバーにとっても、今大会の勝利は格別のうれしさだったという。いったいどのような気持ちで鈴鹿に挑んだのか、あらためて松田選手に話を訊いた。

※1:今大会で、GT500通算最多勝となる23勝を達成。なお、初勝利は2001年、全日本GT選手権第5戦もてぎ(No.64 Mobil 1 NSX)。

─待望の今シーズン初優勝。終盤、松田選手の力走が光りました。
松田:ピットアウト(※2)したときは、4位になったというかアウトラップのときにトップのマシンに抜かれて追い切れなかったので、そういった意味でも表彰台の一角に上がれればいいかなという状況でしたが、ただ地元(※3)の鈴鹿サーキットという意味ではやっぱり勝たなきゃきけないなという気持ちもあったし、あとクルマとタイヤもすごくフィーリングが良かったんで、とにかく最後まで自分の力をフルに出し切ろうと。勝負を仕掛けてトップに立つまでは、最後までタイヤが残っていないかもしれないというぐらいの気持ちで攻めたので、最終的に最後の3、4周はタイヤが厳しかったんですけど、でもタイヤがあるときにすごくいい勝負ができて、地元のファンの前でオーバーテイクシーンを見せられたのはすごく良かったと思います。

※2:序盤、2位走行中だった23号車は24周終わりでピットイン。しかし、アウトラップを終えるとピットインを済ませた車両の中で4番手になった。
※3:鈴鹿サーキットは三重県鈴鹿市に位置するが、松田次生選手は同県桑名市出身。

──やはり鈴鹿戦では、いつもより強い気持ちで戦おうという思いが働くのでしょうか?
松田:F1でもイギリスGPであれば、(イギリス人の)ルイス・ハミルトンがファンの声援に力が入るというのがあると思うのですが、僕もやっぱり鈴鹿に関しては、いつのときも三重県出身という意味でたくさんのファンの方が応援しているのもわかっていますし、三重テレビでも番組をやらせていただいていて(※4)、視聴者のみなさんも賛同してくれるというか一緒に応援してくれるので、他のサーキットより気合いが入っていると言ったら、全部のサーキットで頑張ってないのかと思われちゃうかもしれないですが、気合いが入るサーキットですね。

※4:「ニュース情報番組 Mieライブ」にレギュラー出演中。

鈴鹿市長からも祝福の電報が届いた

鈴鹿市長からも祝福の電報が届いた

──ご自身のSNSでご紹介されていましたが、末松則子鈴鹿市長より祝電が届いたそうですね。
松田:去年もシーズン2勝(=第3戦、第6戦の鈴鹿大会)したときに電報をいただいて。僕も(市役所に)表敬訪問して2勝の報告したり、(シリーズ)チャンピオンを獲ったとき(2014、2015年)も末松市長にご挨拶させていただいています。今、コロナ禍でなかなかご挨拶に行けない中で祝福の電報を送っていただいて……。末松市長はモータースポーツを盛り上げるために一生懸命なさっていて、「鈴鹿10時間レース」開催のときもたぶん日本で初めてレーシングカーを使って(公道での)パレード(=2019年に実現)をしたりだとか、長いお付き合いをさせていただいて、いつも優勝するとこのような電報をいただけることには感謝しています。

──逆転勝利の今回、実は”記録づくし”(※5)の勝利でもありました。”願ったり叶ったり”のレースウィークでしたね。
松田:去年22勝をしたので、(今年も)23号車に乗れると決まってからは、やっぱり(日産のエースナンバーでもある)23号車のゼッケンで自分の通算23勝を絶対飾りたいという気持ちがあったので、そのひとつの目標を鈴鹿サーキットで達成できたのがすごく良かったです。3連勝という意味では、去年2勝しているので今年も勝たなきゃいけないというプレッシャーはいつも以上にあったのですが、3連勝できたというのはすごく良かったと思いますし、地元の鈴鹿で勝てるってすごく幸せなことだなと改めて感じますね。

※5:今大会の優勝により、1)SUPER GTの前身である全日本GT選手権での初勝利から23勝目を達成、最多勝記録を更新。2)同一サーキットでの3連勝で新記録達成。3)鈴鹿大会での初勝利は2002年第8戦。以降、2008年第6戦、2020年第3戦、第6戦、そして今大会で合計5回となり、鈴鹿での最多勝記録を達成。

──激走による逆転勝利を果たした今回、達成感からの反動みたいなものはありましたか?
松田:去年はどちらかというと追われる立場で、最終的には後ろのクルマを離していったというレースでしたが、今回に関しては4位から1位まで上がったという意味で、ほんとに次の日は”抜け殻”のような状態になって……。相当疲労は溜まってましたね。

23号車 MOTUL AUTECH GT-R

23号車 MOTUL AUTECH GT-R

──レースは、まず公式練習で松田選手がトップタイムをマーク。一方で予選では、ダンロップユーザーのNSX-GTの2台(ポールポジションはNo.64 Modulo NSX-GT、2番手はNo.16 Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT)がフロントロウを独占しました。23号車は3番手でしたが、結果をどう受け止めていましたか?一方、決勝中、ピットインまでのレース運びはどのようなものでしたか?
松田:去年からダンロップのクルマは鈴鹿をすごく得意としていて、予選では絶対上位に来るということはわかっていましたので、僕たちの中では『予選はまず3位以内に入ろう』というのがひとつの目標でした。(公式練習の)最後にGT500の専有時間で僕がトップタイムを出したときもクルマのフィーリングが良かったので……。ただ日曜日の天候が微妙だったので、使うタイヤをちょっと柔らかい方にしました。(硬いタイヤの場合)雨が降ってきたときに対応しづらい部分があるので柔らかい方のタイヤを使ったんですけど、それがちょっと気温と路面にマッチしていなくて。本当であれば、朝の練習走行よりも0.2~0.3秒速いタイムで行けるはずだったのに、逆に行けなかった。ただそれでもダンロップの異次元の速さに追いつけたかと言われたら、追いつけなかったですね。

レースでは、(スタートドライバーの)ロニー選手がポジションをキープする中でダンロップ勢はトップのクルマがクラッシュしたりだとか、そういうことで長い間セーフティカーが入ってしまい、GT500とGT300のクラスがバラけずにGT500はGT500、GT300はGT300という形になったので、リスタートのときにクリアの時間が結構あったと思うんですよね。そこまでは良かったのですが、ちょうどGT300のトラフィックに引っかかるときにドライバー交代のミニマム(の周回数)を迎えていたので、そのときに僕は『(この先は)GT300(のトラフィック)に引っかかりそうだな』とGPSのモニターで見ていて、『ここで(ピットに)入ったほうが、(ピット作業としての)ロスタイムは少ないんじゃないかな』と感じました。で、(結果的に)早めに(ピットへ)入った12号車だったり3号車がGT300のトラフィックに引っかからない状況で(コースに復帰する)ピット作戦としてうまくいったんですよね。僕たちは(ピットアウト後は)GT300のトラフィックに4、5周引っかかってしまったので、新品タイヤに変えたばかりのクルマが1分51~52秒台で走っている中で、僕らは(アウトラップ後しばらくは)1分53秒とか54秒という状況だったので……。(ピットイン前は)3号車とか12号車の前にいたんですが、最終的にピットインをちょっと遅らせたことが、ピットアウトしたときに順位を下げたことになりました。

──26周目に16号車を抜いた後、3号車をトップに、12号車、そして23号車とGT-R勢がトップ3を形成。その後すぐに12号車をパス、これでもうあとは前しか見えない状況になりました。
松田:16号車を抜いたあと12号車が前にいたんですが、その前の3号車がまだ自分の視界に入るポジションにいました。ただ、12号車とバトルをしているときにどんどん3号車が逃げていくのも見えたので、『とにかく早く12号車を抜かなきゃいけない』という気持ちになりましたが、それをうまくプラス(の力)に変えることもできました。12号車を抜いたあとは、3号車をとにかく死に物狂いで必死に追いかけていこうという感じで……。インパル(=12号車)を抜く前くらいから、ちょっと”ゾーン”(究極の集中状態)に入った感じがありましたね。『まだ(勝てる)チャンスはある!』という気持ちになりました。

──その”ゾーン”には、どういうきっかけで入っていけるのですか? ”ゾーンに入るスイッチ”みたいなものがあるのでしょうか?
松田:(スイッチを)コントロールできたらいいなと僕も毎回思うんですが、(ゾーンに)入れるときと入れないときが結構あるんですよね。バチッとスイッチが入るときもあれば、『大丈夫かな』って不安があるとスイッチが入らないです。今回はその不安がなくて、バチッとスイッチが入りました。ゾーンのスイッチを(自分の思うタイミングで)入れたいなと思っても、自由にコントロールできないというのが正直なところです。

──今回のような極限の状態にある時、チームとの無線のやり取りはあるのでしょうか?
松田:基本的には『どこそこでイエロー(フラッグ)が出たよ』とか、『(残りの)燃料はどのくらい?』とか聞かれることはあります。今回、僕はすごく集中してたので燃料を聞かれたときは残量を答えるだけで、あとはなんかいろいろ言われたんですが、いつもは『了解しました』と言うところを今回は無言でしたね。(言葉を)返すことも忘れるくらい、集中していました。最近、幅広くドライビングの改善などをやってきている中で、だいぶ自分の走りが定まってきたと思うのですが、そういう意味でも2008年にフォーミュラで圧倒的に勝ったとき(※6)と近い状態で、自分の”持っていき方”が出来たかなという感じがしました。

※6:2008年、全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにおいて全8戦・11レース中、5勝を挙げてシリーズチャンピオンに。史上初となるシリーズ2連覇を達成している。

──残り13周あたりから西コースで雨が降り始めましたが、どんな気持ちでしたか? そして逆転のチャンスが巡ってきます。
松田:ちょうど(前の3号車を)追いかけている最中だったので、ここで雨が降ってくると、またピット(インしてタイヤ交換の可能性が出てくる)とかいろいろ考えなきゃいけなかったので、とにかくこのくらいの雨ならなんとかぎりぎりドライ(タイヤ)で攻められるなと思いました。トップを走るクルマはあの雨が(レースウィークで)初めて走る雨になるので、たぶんそこで(ペースを)セーブしたと思うんですね。守りに入った部分もあったと思うので、そこで若干差を詰めることができたというのはありますね。

(3号車を逆転したときは)GT300がたまたま前にいて、『(3号車を)どこで抜こうかな』とまだ探っていた最中でした。自分が(3号車に対して)速いところと遅いところを見極めていて、どこで勝負をしようかなと思っていたところ、ちょうどヘアピン(カーブ)で(3号車が)GT300の車両にちょっと引っかかる感じになったので、『ここなら行けるかも!』とヘアピンで勝負をしかけてうまくいったという感じです。一方、今回のレースの見どころとしては、一番はやはりヘアピンで(トップの)3号車を抜いたところ。また12号車もヘアピンで抜きました。あと、16号車はデグナーの2個目のインを差したんですが、なかなかデグナーのインで勝負をしかけるということはあまりないので、どちらかというと今回のオーバーテイクは、すごく見どころがあったんじゃないかなと思いますね。

──ついに、41周目にトップを奪取。その時の心境は?
松田:ここで抜けばヒーローになれるんじゃないかなっていう(感じで)……。逆に抜いたあとは、『あ、なんかすごいことをやったな』って。自分でそういうことを言うとヘンですが、でも今回はかなりリスクを負ってオーバーテイクもしたので、『もう一回やれ』と言われたら……。ちょっと考えますね(苦笑)。

一時は4位まで順位を落とすも脅威の追い上げで優勝

一時は4位まで順位を落とすも脅威の追い上げで優勝

──前回のもてぎで流れを掴み、鈴鹿で逆転勝利。この状況は後半戦に向けてのモチベーションも高まるのではないですか?
松田:去年も鈴鹿まではエンジンが壊れたり、調子が悪くてノーポイントだったり、というのがありました。また、今年の開幕戦は接触でリタイヤ、第2戦ではエンジンが壊れ、(第4戦)もてぎが(鈴鹿より)先に来ちゃったので流れに乗り切れないなという中で鈴鹿になったのですが、ここで盛り返すことができましたね。去年は鈴鹿で2勝できましたが、それ以外のコースではなかなかうまく行かなかったので、今年はSUGOとオートポリスが新たに加わる分、去年とは勢力図がたぶん変わってくると思います。僕たちもSUGOとオートポリスでのテストが出来ているわけじゃないので、一昨年のデータも見つつ、タイヤを合わせ込んでクルマもしっかり作り、SUGOかオートポリスでもう一勝できればいいかなという思いがありますね。

──「最近、ドライビングの改善をしている」とのことでしたが、まだやるべきことがあるとお考えですか?
松田:クルマも日々進化していく中で、ドライビングも昔の乗り方と今の乗り方とでは結構変わってきていると思っています。F1もそうだと思いますが、(セバスチャン)ベッテルがチャンピオンを獲ったときはすごく乗れていたけれど、どんどん新しいドライバーが出てきてクルマも変わってきて……となったときに、若いドライバーはそういうクルマに近い(=慣れ親しんだ)状態で(F1に)上がってくるのですぐ対応できていると思うんです。今のSUPER GTも同じで、例えばトヨタで言うとヤマケン(山下健太)だったり坪井(翔)君だったり新しい選手が(トップカテゴリーに)上がってきて、日産だと松下(信治)選手や平峰(一貴)選手といった”新しい風”が入ってくることによって、彼らの速さをテストで見ることがあります。もちろん、自分がやってきたドライビングに対しても”ひとつの筋”はあるんですが、(彼らの走りから得たことを)『こういう乗り方したら、まだ速くなるんだな』と分析しつつ、なおかつ今のクルマの乗り方に合わせていくということが結構(大切だと思う)……。

あくなき向上心は衰えを知らない

あくなき向上心は衰えを知らない

もちろんクルマやタイヤのこともあるのですが、そこにどういう風に自分のドライビングをアジャストしていくかが大事だと思います。F1を観てると、(ルイス)ハミルトンでさえ100勝近くとか100回以上のポールポジションを獲っても、まだまだドライビングへの探究心をつねに持っているから。『自分が完璧』と思ったらそこで成長が止まるし、そうなったら僕も引退しなきゃいけないなと思うのですが、まだ自分で色んな若い選手の乗り方を分析して、それに対して引き出しをさらに増やそうと思っているので、いいモチベーションになっていますね。また、ドリフトをやるのもリヤ(タイヤ)を使ういい練習になっています。タイヤのフロントタイヤばかりを使う乗り方をしていたら、4本のタイヤをうまく使えないので。ドリフトは結構いい練習になっていますよ。あと、カートはフィジカルだったり目のトレーニングになっています。そのほか自分のクルマで走る(サーキットでの)スポーツ走行で一発のタイムを出すための集中力を培ったり……と、いろいろ目的に合わせてトレーニングをしています。

──今回の勝利で、熱心な応援で有名な日産ファンのみなさんの声に応えられたと思います。
松田:ニスモの23号車のファンは、フェラーリで言ったらイタリアのティフォシ(熱狂的なファン)みたいなものです。それだけ期待されていると思っています。長くニスモで(レースを)やらせていただいていますが、その分プレッシャーも他のチームに比べたら並大抵ではないのです。ただ、それが苦しい中での僕のやりがいでもあるので、ファンに応えるという部分で自分自身が努力していければ、必ず今回の鈴鹿のように結果が出るということも証明できる。なので、これからも努力は惜しまず最終的にチャンピオンという大きな目標を達成できれば、と思っています。

──最後に、今日体験された”ちょっとした幸せ”を教えてください。
松田:この歳になってくると、食べたくても食べると体重がなかなか落ちないということがあるのですが、(今回のレースでは)結構抜け殻になったので今日(=取材日)までは休みをとろうと思ったし、休むこともドライバーにとって大事なトレーニングなので、今日はちょっと甘いものをたくさん食べてしまったんです(笑)。それが唯一の幸せですね。エクレアを食べちゃいました(笑)。明日からまたトレーニングの日々が続くのでちょっと大変ですけど……。20代のまま(の食生活)で30代に入ったら太ったので、それで1回痩せたんです。でもその後は太ったら痩せられないなという思いがありました。40代になると代謝がさらに悪くなるので結構大変ですね(苦笑)。

文:島村元子

【SUPER GT あの瞬間】

第3戦:松田次生選手(No.23 MOTUL AUTECH GT-R)

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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