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SUPER GT 第2戦:河野駿佑(No.60 SYNTIUM LMcorsa GR Supra GT)「チェッカー受けたときの安心感で涙腺が崩壊したんだと思う」
SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子「SUPER GT あの瞬間」と題して、レース内容をドライバー自身に振り返ってもらう本企画。一部映像化し本コラムの最終ページで視聴可能である一方、本コラムでは余すことなく全文を紹介する。
第2戦富士大会におけるピックアップドライバーは、SUPER GTフル参戦2年目の河野駿佑選手。なんと、サーキットデビューはゼロ歳!という根っからのレース屋さんだ。今回、長きにわたる壮絶なバトルを制した若きドライバーは、うれし涙でトップチェッカーを照れながら振り返ってくれた。
第2戦目で掴んだ涙の初優勝
──参戦2年目、第2戦目で掴んだ涙の初優勝ですね。
河野:あんなに涙が出てくるとは思わなかったですけど、泣きましたね。お恥ずかしい(笑)。(コンビを組む)吉本(大樹)さんも「無線も泣き声だったよ」って言うんですが、それはまったく泣いてなくて……。実際には、チェッカーを受けた瞬間ですね。まずその瞬間にドバっと(涙が出て)きました。僕の涙の“第一波”が(笑)。多分、チェッカーを受けた瞬間に「やったー」とか「よっしゃー」とかそういう……。あとは「ありがとう」みたいな感じのことを言ったのか、うろ覚えです。それ以上に(涙が)ボロボロ出てました(笑)。
チェッカーを受けた瞬間
──2012年、メカニックとしてSUPER GTに“デビュー”(※1)。長きに渡ってSUPER GTを見ているだけに、チェッカーを受けた瞬間に色んなことが走馬灯のように浮かんだのでは?
河野:チェッカーを受けた瞬間に、色んなここまでのこと──GTにデビューしてドライバーとしての去年一年間のツラさ、今年のパッケージとしてレベルが上がって、その中で結果をしっかりと出さなきゃいけないというプレッシャーもあったので、その中で結果を残せた安心感など、いろいろ考えてというか……。自然に(涙が)出てきましたが、うれしさでいっぱいでしたね。(開幕戦の)岡山では公式練習でトラブルが出てあまり走れなかったのですが、予選ではQ1で吉本選手がトップタイムで通過して下さった一方、決勝では戦略上の違いで損をすることもありましたが、ラップペースはスタートからゴールするまでずっと良かったということがわかっていました。もちろんコンディションが違うので、富士に入ってみなければわからないという部分もありましたが、問題なければ行けるだろうという自信はありました。
※1:父の高男氏がエンジニアを務めるNo. 4 グッドスマイル 初音ミク AMGにチームスタッフとして”参戦”。当時はまだ高校生ながら、メカニックとしてタイヤ交換等を担当。2019年まで4号車のデータエンジニアとして活躍した。
──予選Q1・Bグループをトップ通過。自身でまずいい流れを作りました。「Q1を担当します!」 と直訴したと聞きましたが?
河野:「Q1行きます!」とまでは主張してないんですけど(苦笑)。開幕戦では公式練習でほとんど走れてなかったので、あのときは「Q1行きたくない」ってきっぱり言ったんです。それで吉本さんに(Q1を)行ってもらったんです。なので、前回Q1に行きたくないと言ったこともあったので、「今回は僕がQ1行きます」みたいなことは言いました。(岡山戦でQ1トップタイムをマークした)吉本さんも、自分で「岡山の(Q2を担当した河野の)気持ち(プレッシャー)がよくわかった」って言ってました。今回、公式練習の最後にフレッシュ(タイヤ)を履かせてもらって走った感じでは、まだなんかちょっと詰めていけるところがあって……。もちろん予選までは(変更したセットが)いいか悪いかはわからないですが、エンジニアさんと話をしながらいくつかセッティング変更をして予選に挑んだんです。走り出しでウォームアップしていったら、「おっ! これはグリップ感があるな」と思って。アタックもタイヤのウォームアップで前後の温め方が少しうまく行かなかったですが、アタックとしては決して悪くなかったと思いますし、出たタイム(※2)は正直びっくりしました。
※2:Q1・Bグループのトップタイム1分35秒727をマーク、2番手に0.319秒の差をつけた。
決勝の担当スティント
──一方、決勝の担当スティントはどう決まったのですか?
河野:富士に入る直前に吉本さんとはゴハンを食べたんですが、(吉本が)どのくらい本気だったのかわからないのですが、「今回、Q1とスタートは駿(河野のこと)でしょ!?」みたいな感じで言われたんです。で、「あっ…、はいっ!」って感じで(苦笑)。去年だったらそこで僕は「はい」って言わなかったかもしれないし、「いやぁ吉本さん、スタートをお願いします」って去年は何回か言うこともあったので、そこでまず「はい」と言えたのは良かったのかな。去年は(レースへの)慣れということや駆け引きも含め、自分ができるという自信が正直ないところもありました。去年、最終戦でスタートを担当させてもらって経験を積ませてもらい、(開幕戦の)岡山での手応えもあって……。自信というか(自分の)願いでしたけれど、そこで「やります」と。去年よりはできるだろうと思っていました。
オープニングラップで55号車を逆転
──オープニングラップのアドバンコーナーで、早速55号車を逆転します。
河野:チームの人や吉本さんとも話していたんですが、僕らが乗っているGR Supraはコーナリングマシンと呼ばれていて、直線部分に関しては他のFIA GT3車両のほうが少し速いかなという感じでした。今回のポールはBRZ(No.61 SUBARU BRZ R&D SPORT)、2番手にNSX(No.55 ARTA NSX GT3)、3番手(60号車)4番手(No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT)にSupra、それからロータス(No. 2 muta Racing Lotus MC)、その後ろにGT-R(No.11 GAINER TANAX GT-R)がいたんですが、やっぱり前のGT3を最初に抜かないと、多分スバル(61号車)に逃げられるか、もしくは後ろから来たクルマにのまれちゃうという可能性もあったので、とにかく速さの特性が違うNSXは早めに抜きたいというのがありました。なのでスタートは本当に狙っていましたし、(装着する)ダンロップタイヤのウォームアップがいいっていう自信があったので、1コーナーはヨーイドンのあとのコーナーなので抜くのは難しいと思ったんですが、Aコーナー~100Rはクルマの特性上すごく得意なコーナーだったので、あそこは狙っていきました。
──39周目にSUPER GT初となるFCY(フルコースイエロー※3)が発動。うまく対応できましたか?
河野:これが今回、僕の一番のミスポイントというか……(苦笑)。GT500クラスの1号車(STANLEY NSX-GT)がアウトラップでいたんですが、スバル(61号車)の山内選手は(1号車を)抜き切ってヘアピンへ進入。僕はタイヤが温まっていなかった1号車をヘアピンで抜いたんです。でも、ヘアピンから300Rへと加速するときはGT500のほうが速いので、そのとき(1号車に)抜き返されるかどうかのタイミングでFCYが出たんです。で、もちろん向こう(1号車)も、こっち(河野)も(相手を)見ていたんですが、ほんとに際どいタイミングで。僕が前だったんですが、(FCYボードが)出た瞬間に横に並ばれたものだから行っていいのかダメなのか!?って。実は昨日(取材前日)、SNSで(1号車をドライブしていた)牧野(任祐)選手に連絡して「ごめんね」「俺も微妙でごめんね」みたいな感じでした(笑)。また、(コース上では)どっちが前に行く!?みたいな感じになって、まだ減速する前だったのでスバルがポーンと前に行って、後ろにも(ギャップを)詰められてしまい……。多分そこで(61号車とは)5~6秒離れてしまったんじゃないかと思います。ある意味イタかったですね。
※3:レース時、コース上に車両が緊急停止した際、安全の確保が必要と判断された場合にレースコントロールから発動される。コース上の残る車両は上限時速80kmでの走行に規制され、追い越しも禁止される。
──最初のピットインは39周目。ライバルより遅いタイミングでした。これは戦略ですか?
河野:はい。まず、(コース上の渋滞に)引っかかってなかったら(ピットインのタイミングを)引っ張ろうと。引っ張ったほうが、後半の戦略を色々採れるということでした。(ピットインを)引っ張って、最後の2回目のピットインでタイヤを換えるか換えないか、(交換するタイヤが)2輪か4輪か、無交換かを含めて1回引っ張ってみようということになりました。ペース自体も落ちることがなかったので、引っ張りました。結果、4輪交換をしました。実は(第2スティントで吉本から交代する)次も4輪交換してるんです。結局ペースは落ちなかったんですが、(タイヤの)摩耗で40周以上走るのは厳しかったので。それに、ウォームアップもダンロップタイヤは良かったので、(無交換や一部交換による)リスクを背負うことプラス、コンマ5秒~1秒とか(ラップタイムが)落ちてしまうのなら、新しいタイヤに換えたほうがいいんじゃないかとチームが決断しました。
61号車との激戦
──吉本選手の第2スティントは、61号車との激戦でした。
クルマを降りてすぐパッとモニターを見て、7番手か8番手にいたので、「なぜ、こんなところにいるんだ!?」って。「えっ!?」 って思いました。ペースがそこまで落ちていたわけではないし、ピット作業も早かったので「なんで、なんで!?」って冷静さを失いました。あとから落ち着いて考えてわかったんですが、(ピットインを)引っ張った分、(ライバルよりも)ガソリン(の残量)がなかったので、給油時間が長かったんです。それでポジションが下がったんです。でもそのときは「 なんで(ポジションが)下がっちゃったの!?」って(苦笑)。その後は、吉本さんがすごく追い上げをしてくれて、ポジション争いをしていたGT-Rを含め、最終的には(72周目のコカ・コーラコーナーで)61号車を抜いてピットに戻ってきてくれたことが、今回の(レース展開として)一番じゃないかなと思いますね。
73周終わりに2回目のルーティンピットを実施
──その直後の73周終わりに2回目のルーティンピットを実施。背後の61号車も同時ピットインでした。緊張感が高まったのでは?
河野:あのぉ、実は61号車が一緒にピットに入っていたことは知らなかったんです。ほんとはあと1周か2周(ピットインを)引っ張るはずだったところ、「この周に入ろう」ということでバッとピットロードに出ていたんです。僕らのピットはBピット(1コーナー寄り)で、(61号車の)スバルさんはAピットでコントロールタワー寄りで本当に遠かったので、ピットに入っているのは知らなかったんです。で、(作業が終わって)「行け、行け!」って(合図されている)ときに、「スバルがいる!」ってミラーで確認して、そこで同時ピットインだったと知りました。それと無線で、「よし、スバルの前に出た!」って聞いたので、ピット作業が完璧で前(のポジション)を維持できたというのがわかりました。そのとき、僕はそんなに上(のポジション)で戻れるとは思ってなかったんです。タイムギャップをあまり見ていなかったし、1回目のピットイン同様、クルマが前に何台かいて5~6番手なんじゃないかなとも思っていました。とりあえず、「真後ろにBRZの山内選手がいる」ってことと、「残り30周くらいは(山内に)抜かれるわけにはいかないな」と。ある意味プレッシャーもありましたが、ピットを出ていくときから「絶対に抜かれたくない」という思いはありました。第1スティントを走っているとき、山内選手のペースよりも速く走れるペースではなかったんですが、BRZはSupraと同じGT300規定車両、同じダンロップタイヤを使っているんですが、(クルマの特性上)速いところが若干違って……。何回か仕掛けることはあったんですが、1周のタイムは同じような感じでした。仮に、(第1スティントで)抜いたとしても、逃げ切れるペースはなかったですね。なので、第1スティントではとにかく無理をせずにいいペースで走りながら行こう、という感じでした。逆に第3スティントでは向こう(61号車)の速さもわかっていたし、こっちも逃げる余力があるかどうかわからなかったので、絶対ミスはできないなと気を引き締めました。
──その走りを続けた結果、前方の55号車に追いつきました。
河野:まず、(コースへ)出ていったときに(無線で)「3番手です」と言われました。そんな中、実は一度山内選手にBコーナー(ダンロップコーナー)で並ばれて。それをなんとか押さえて、タイヤが温まったところで落ち着いて走る中、前のARTA(55号車)が見えてきました。みるみるうちに差が詰まってくるので、毎周「何秒差」って無線で聞いていましたが、55号車がFIA GT3車両なので正直抜くのは結構大変だなと思いました。そこで(55号車と)バトルをしていて逆にスバルに抜かれたくないので、変な揺さぶりはかけずに抜くなら一発で抜かなきゃいけないと思ってました。結果、82周目のセクター3でうまく詰めていって、最終コーナーでインを取りました。直線で抜き返されてもなんとか1コーナーのブレーキングで行けるんじゃないかなと思って。ストレートも抜かれずに済みました。あそこで一発で抜けてなかったら、(61号車も含めた)3台のバトルになっていたと思います。
──97周目、トップにいた52号車がトラブルで戦線離脱しました。なにを思いましたか?
河野:(トップ52号車に対し)僕のほうがちょっとペースが速いというのが無線で入っていたので、「とにかく追いついてやろう」と。毎ラップ毎ラップ、何秒差と無線で入れてもらって差が少しずつ詰まっていた中で、100Rでスローダウンしている52号車が見えて……。「どうした?なにがあったんだろう」と思って。ライバルがトラブルでいなくなるというのは、ガチンコで戦う僕らにとってはビックリでしたが、それと同時に”トップに立つ”ということで、なんとしてもそれを守ってやろうという気持ちがさらに強くなりましたね。意外とプレッシャーはなかったです。普通に走っている分には、第1スティントでのペースと似ていて、ミスしなければ抜かれることはないなと思って意外と落ち着いていました。あとは(コース上の)トラフィックとか、GT500に抜かれるときにヘンなミスだったりタイヤカスを拾わないようにということは気にしましたが、特段「ヤバい、ドキドキする」っていうのはなかったですね。でも、第3スティントが始まるときからずっと(61号車に)後ろにつかれて、常に抜かれないようにと思っていたので、1位に立ってからその思いが強くなってもずっと高い緊張感はあったので、チェッカーを受けたときの安心感で涙腺が崩壊したんだと思います(笑)。
第3戦への意気込み
──第3戦鈴鹿は、自身4輪デビューのサーキットであり、2014年にはスーパーFJの鈴鹿シリーズチャンピオンを獲った場所でもあります。相性の良いサーキットでの意気込みを聞かせてください。(※4)
河野:僕らのチーム、LMcorsaは大阪トヨペットが主体のチームです。鈴鹿はホームコースだし、去年も有観客開催だったので社員さん含め、応援団の方たちが見に来てくださいました。だからこそ、今年も鈴鹿で勝てるように、と今シーズンの新しいクルマ、タイヤでのパッケージでいろいろと準備してきたんです。鈴鹿に向けてもそういう思いも強いので、サクセスウェイト(鈴鹿では69kgを搭載する)があるので楽な戦いではないですが、クルマの特性的には鈴鹿は合っているんじゃないかなと思います。ここまでもメカさんやエンジニアさんが色々やってくださって仕事量も増えていると思うのですが、速く走らせるために一生懸命やってくれています。鈴鹿に向けても新たな進化があると思うので、重くなるからといって守りのレースをするのではなく、攻めのレースをして結果を残していきたいですね。
※4:5月11日、レースをプロモートするGTアソシエイションから第3戦開催の延期が発表された。代替開催、日程は未定としている。
文:島村元子
【SUPER GT あの瞬間】
第2戦:河野駿佑選手(No.60 SYNTIUM LMcorsa GR Supra GT)
島村 元子
日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。
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