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サイクル ロードレース コラム 2021年10月5日

【Cycle*2021 パリ~ルーベ:レビュー】欧州王者のコルブレッリが雨と寒さと石畳に苛まれた地獄巡りを制す「最も美しい勝利」

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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ソンニ・コルブレッリ

トップでフィニッシュするソンニ・コルブレッリ

泥だらけの肢体で、生き残った3人が最後の力を振り絞った。雨と寒さと石畳に苛まれ、6時間もサドルにしがみついた果てのスプリント。903日ぶりに勇者を迎え入れたルーベの屋外自転車競技場には、歓声が地鳴りのように轟いた。大逃げフロリアン・フェルメールスと、攻めて攻めて攻め続けたマチュー・ファンデルプールを、ソンニ・コルブレッリが力強い一押しで退けた。31歳、生まれて初めて挑んだ地獄巡りは、天国の門へと続いていた。

「初めてのルーベで勝てたなんて信じられない。僕の人生における最も美しい勝利は、子供を持てたこと。でも自転車人生において最も美しいのは、間違いなく今回の勝利。モニュメント制覇をずっと夢見てきたんだ」(コルブレッリ) 

前日、同じ競技場に、歴史上初めて女子選手たちがたどり着いた。82kmもの逃げ切り勝利で、エリザベス・ダイグナンがいきなり伝説を作り上げた。2位のマリアンヌ・フォスも、3位のエリザ・ロンゴボルギーニも、長い苦難の終わりに、フィニッシュラインではまるで勝者のように腕を突き上げた。美しい瞬間だった。すべての選手がヒロインで、誰の瞳にも感激の涙が光っていた。

ちょうど同じ頃、フランスの大西洋岸から北部にかけて、大雨洪水注意報が出された。テレビはできるだけ外に出ぬよう呼びかけている。夜半に雨脚はいっそう強くなった。激しい雨の音で目覚めた選手だっているかもしれない。朝には辺り一面が水浸しになり、強風のせいで気温は大きく下がった。2002年大会以来となる湿り気たっぷりの、2001年以来となる雨に祟られた、パリ~ルーベの幕が開けた。

つまりどんなにベテランで、どれほど同大会での経験が豊富だったとしてもーーイマノル・エルビティが最多16回目の出場ーーこんなパリ〜ルーベは初体験だったのだ。石畳の農道は泥沼で、アスファルトの道さえスケートリンクと化した。スタート直後に早くも数人が滑って転んだ。それはフィニッシュ地まで延々と繰り返された。極度の集中と高いハンドルテクニックをもってしても、集団の前でも、後ろでも、複数で、単独で、冷たい地面の上に次々と選手たちは投げ出された。

舗装路のみの序盤で、31人が逃げ出した。全部で5つあるモニュメントの中で、パリ〜ルーベこそ最も逃げに向いている。近年の5大会中3度、序盤からの逃げ選手が1人ずつ表彰台に上がってきた。過去10年で逃げ切り優勝さえ2度実現した。逃げは後方のエースを補佐するためだけでなく、あらゆる不運を避ける手段のひとつでもあるのだ。強豪チームは複数のアシストを前に送り込んだ。元大会覇者グレッグ・ファンアーヴェルマート等々、実力者たちも飛び乗った。

元大会覇者2人を抱えるロット・スーダルも3人を滑り込ませた。うち1人が、後に2位に輝くフェルメールスだ。「目標は大きな逃げに滑り込むこと」だったという初出場22歳は、この時点ですでに達成感いっぱいの気分だったという。ところがメインプロトンに約2分差をつけ、いよいよ全部で30ある石畳路に突入すると、シクロクロスで鍛えた実力が発揮された。第27セクターで絞り込まれた4人に、きっちり潜り込んだ。しかもルーク・ロウがいつしか姿を消し、マキシミリアン・ヴァルシャイドは激しく横転した一方で、第24セクターを抜け出す頃には、フェルメールスはニルス・エーコフと早くも2人きりになった。

泥だらけになりながら走るマチュー

泥だらけになりながら走るマチュー

ただし、本物のドラマは、いつだってアランベールの森の長く荒れた一本道から始まるのだ。この第19セクターでメイン集団の大物たちは本格的なふるいにかけられた。マチュー・ファンデルプールの強烈な加速と、ウルフパックを中心に立て続けに襲いかかったメカトラ、そして繰り返された落車。中でも目の前で転ばれたワウト・ファンアールトは一時10秒ほどの遅れをくらい、追走に少々脚を使う羽目となった。

全部で3つある「5つ星セクター」の1つ目を抜け出し、メイン集団は15人ほどに絞り込まれた。一方で逃げ集団は再び17人にまで膨れ上がる。一旦仕切り直しの時間帯を利用して、コルブレッリがアタックを打ち、数人を率いて先行を試みたことさえもあった。すなわち最終2位は朝からの逃げ集団、最終覇者は第2集団、最終3位は追走集団……というややこしい状況を、ファンデルプールが力づくで回収しにかかった。

しかも第15セクターでの大きな一撃は、ファンアールトの息の根を止めた。宿敵の後輪からあまりにも遠く離れていたせいで、反応のタイミングが遅れた。「あれは僕の大いなるミスだった」と悔やみつつも、アシスト2人と、やはり滑り落ちたドゥクーニンク3人と共に懸命な追走を仕掛けたが、ライバル(と数人)はただ遠ざかっていくばかり。なにしろ約40秒先を走っていたコルブレッリ集団を、わずか1kmほど先で捕まえてしまったほどに、ファンデルプールの威力は凄まじかった。

史上最多18回のルーベを走ったレイモン・プリドールの孫は、その後も惜しみなく力を費した。いまだ前方には朝からの逃げが残っていた。しかも姿を潜めていたジャンニ・モスコンが、第14セクターで突如として馬力を出すと、フェルメールスとトム・ファンアスブロックだけを連れて突進を始めた。すでに降り続いた雨は止み、時には秋の太陽も顔を出し……ただし足元だけは相変わらず最悪な中で、第12セクターでは独走さえ始めた。ファンデルプール追走組との差を1分半にまで押し開き、そこから4つのパヴェを抜け出しても、約1分20秒差を保っていた。

ルーベ競技場まで残り31km。しかしモスコンに不運が襲いかかる。後輪のパンク。自転車交換を余儀なくされ、ここで40秒ほどを失った。直後に走り込んだ第7セクターでは、無念の落車。空気圧が高すぎるせいで、跳ねる車輪を上手く制御しきれなかった。石畳出口でもはや余裕は13秒のみ。それでも石畳の不利を、舗装路での加速で上手くカバーすることで、モスコンはぎりぎりの追走を続けた。

ただファンデルプールの毅然たる態度は揺るがなかった。たとえ捕まった後のコルブレッリがほぼひたすら後輪に張り付いているだけで、2つ目の「5つ星」モン・アン・ペヴェールで唯一2人に同伴できたギヨーム・ボワヴァンは、先頭交代を拒否したとしても。もちろん同僚ファンアスブロックとフェルメールスを吸収した後は、カナダ王者が進んで牽引を始めるのだけれど。

「最後はただファンデルプールの後ろを走ることに決めた。それが僕の戦術だった。ただ後輪に張り付き、時を待った。落車しないように、泥にはまらないように、そのことだけを考えた」(コルブレッリ)

ボワヴァンも、第5セクターでTVカメラバイクもろとも転倒し、イスラエル2人組は優勝争いから離脱した。しかもレースカー車列を塞き止め、結果的に、いまだ50秒差で追走を続けていたファンアールト集団の追い上げを不可能にした。なによりファンデルプールの側を走るのは、ついにコルブレッリとフェルメールスの2人だけとなった。

そして訪れた伝統のカルフール・ド・ラルブル。この日最後の「5つ星」であり、この第4セクターを抜け出すと、実質的にパヴェバトルは終焉を迎える。差を縮めたり伸ばしたりしながら、粘り続けてきたモスコンにも、ここでとうとう引導が渡された。残り16km、3人が先頭に立った。

モスコンに追い付いたと同時にコルブレッリはカウンターに転じるも、ファンデルプールがそれを許さなかった。残り3kmからの舗装路ではフェルメールスが2度、隙を突こうと試みたが、失敗に終わった。計55kmの石畳のトリを飾る第1セクター、別名「シュマン・デ・ジェアン(巨人たちの小道)」を抜けて、3人揃ってルーベ自転車競技場へと走り込んだ。

257.7kmの長くて苦しい戦いは、バンク1周半の勝負に持ち込まれた。3人の誰が勝とうとも1955年大会以来となる初出場初優勝で、1949年に続く戦後2度目の初出場3人の表彰台が実現する。20年ぶりの雨であり、史上初めての秋開催であり、そもそも2年半ぶりのルーベだ。記録にも記憶にも残るとびきり特別な大会の終わりに、背面からはカラフルなジャージ姿の、しかし前面から見れば真っ黒な3つの塊が争った。

ファンデルプールはもはや「空っぽ」で、後手に回った。2人の名高い強豪に対抗するためには自ら動くしかないとフェルメールスは真っ先にスプリントを切った。近頃「上れる」という枕詞がどんどん大きくなりつつあるコルブレッリが、最後に真価を発揮した。最終ストレートへ向けて加速すると、2人を交わし、両手を天に挙げた。

「250km以上も走った後なら、クライマーでさえスプリントで警戒しなきゃならないのさ。競技場に入った時点ではファンデルプールの動きに集中していたけど、フェルメールスに先行されて、少しヒヤリとした。幸いにもぎりぎりで追い抜くことができた」(コルブレッリ)

例年は翌週アムステル・ゴールドレースへの身体的影響を恐れ、ルーベを迂回してきたというコルブレッリにとって、プロ生活11年目で手にした初めてのモニュメントタイトル。数年前からメンタルトレーナーの指導を受け、自己の内部から精神的な成長を遂げたことで、イタリア選手権優勝、欧州選手権優勝に続く大きな成功を引き寄せた。

石のトロフィーにキスをするコルブレッリ

石のトロフィーにキスをするコルブレッリ

「年齢が30を越えてからモニュメントを勝ち始める選手、たとえばヴァンアーヴェルマートのような選手をずっと手本にしてきた。僕も30歳を過ぎて円熟期に入り、ようやく自分のいるべき場所にたどり着けた。願わくばあと数年はこの位置に留まりたいものだね」(コルブレッリ)

昨6月にプロ転向したばかりのフェルメールスは、「全身が痙攣で悲鳴を上げ」ながらも2位の座をつかんだ。ほんの2週間前にU23世界選手権個人タイムトライアルで3位に輝いたばかりの22歳は、「人生で1度でもいいからモニュメント表彰台に上がりたいな」とぼんやり憧れていたそうだが……たった2度目のモニュメント出走で夢を叶えてしまった!

「現時点では失望してる。でも自分のパフォーマンスが誇りに思えるものであることは分かってる。カルフール・ド・ラルブルで3人になった時に、『よし、調子は良い、勝つ準備は出来ている』って自分に言い聞かせたよ。最後にアタックを試みたのは後悔したくなかったから。時を巻き戻せるとしても、僕はもう1度同じことをするだろう。だから後悔はない」(フェルメールス)

レースを作り、レースを引っ掻き回した3位ファンデルプールは、悔しさを隠しきれぬまま。表彰台ではニコリともせず、TVインタビューに手短に答えると、記者会見にも出席せずにルーベを後にした。祖父プリドール18回、父アドリ13回、本人1回で、いまだ一家にルーベの石畳トロフィーは飾られていない。

「自分のレースには満足している。自分の好きな走りができた。つまりアタックした。負けるなら、戦って負けたい。僕は今日のレースを忘れない」(ファンデルプール)

37kmの独走を見せたモスコンは4位で終えた。あまりにメカトラが相次ぎ、第15セクターで前に乗り遅れたドゥクーニンクは、イヴ・ランパールトが5位で名誉を救った。途中で後輪ブレーキが効かなくなり、自らの靴で減速するという離れ業を披露したクリストフ・ラポルトは、その後の自転車交換で6位フィニッシュ。そして大本命ファンアールトは7位で、素晴らしかったロードシーズンの幕を閉じた。

どの顔も、白目と歯だけが、きらきらと輝いていた。泥の仮面には深い皺が刻まれ、耳の中やまつ毛の先にまで乾いた土片がこびりついている。朝から降り続いた冷たい雨と、50kmもの悪路とを乗り越えて、自転車競技場にたどり着いた選手たちはみなどこか誇らしそうだった。「ここまで走りつけたことだけでも、僕にとっては勝利だよ」。そんな声があちこちから聞こえてくる。完走した96人も、最後まで走りながらタイムアウトになった10人も、さらには無念にも途中棄権に追い込まれた70人も、間違いなく、誰もが2021年パリ〜ルーベ伝説の一部なのだ。

文:宮本あさか

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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