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サイクル ロードレース コラム 2021年9月29日

【Cycle*2021 UCI世界選手権大会 男子エリート ロードレース:レビュー】燃えるような脚と、冷静な頭脳。最後は本能が赴くままに自分の走りを貫いたアラフィリップ「たとえ負けたとしても、華やかな走りがしたい」

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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【ハイライト】UCI世界選手権大会 男子エリート ロードレース|Cycle*2021

自転車熱狂の地フランドルに100万のファンが詰めかけ、歓声のトンネルの中を、選手たちは走り抜けた。国民の期待を両肩に背負った大本命ワウト・ファンアールトも、ベルギー代表も、母国に栄光をもたらせなかった。100年目の世界一決定戦は、ジュリアン・アラフィリップの2年連続優勝で幕を閉じた。あくまで攻めの姿勢を貫き、大小6度の加速で、虹をつかみとった。

「新たなレインボージャージを手に入れたことを、心の底から実感するためには、少し時間が必要だ。だって僕は強いフランス代表と共に、美しいレースを作ることを楽しんだだけ。僕は単純に、勝負に勝っただけなんだから」(アラフィリップ)

カウンターをゼロに戻し、他の新しいなにかを追い求めるためにやって来た。つまり世界チャンピオン自身は、タイトルを「守る」ために走ったわけではない。だからプレッシャーもなかった。それはフランス代表にとっても同じ。1年前のアラフィリップの戴冠は、代表監督トマ・ヴォクレールにとっては解放だったからだ。だからより自由に策を練り上げた。少々クレイジーすぎるほどの戦略だった。

スタート直後に出来上がった8人の逃げの背後で、まずはアントニー・テュルジスが揺さぶりをかけた。さらに続けてブノワ・コスヌフロワがアタックを打つ。フランドリアン周回の1周目の、1つ目の坂道で。フィニッシュまでいまだ180kmも残っていたというのに!

ちなみに後にヴォクレールが明かしたプランによると、本来は残り200km前後の、ルーヴァン周回1周目で動く予定だった。ただ特攻隊長レミ・カヴァニャのメカトラで、機会はずれ込んだのだとか。

直前の欧州選手権で3位に食い込んだ絶好調コスヌフロワの加速には、同大会2位レムコ・エヴェネプールとブエルタ区間3勝マグナス・コルトが素早く飛び乗った。優勝大本命ファンアールトの強すぎるアシストと、5人エースというとてつもない体制を組んできたデンマークエースの1人が反応したことで、その後も合流の動きが相次いた。最終的には15人の集団が形成された。「パンチャーとスプリンターは必ず一組で逃げること」の指示通り、フランスからはアルノー・デマールも滑り込んだ。ベルギーやデンマーク、さらにスロベニアも同じく2人ずつ、オランダやノルウェーもきっちり人員を配置する。

一方でファンアールトに次ぐ優勝候補、ソンニ・コルブレッリ擁するイタリアが乗り遅れた。ベルギーが閉めた蓋を無理やりこじ開けてでも、追走に乗り出さねばならぬ。アタック直前に激しく落車したマッテオ・トレンティンとダヴィデ・バッレリーニも、当然、集団牽引作業に打ち込んだ。約1時間にも渡る努力の果てに、残り約131km、無事に前を行くすべての選手を回収した。

仕事を終えた直後に、この2人は自転車を降りた。つまりダブルリーダーの1人にして、有能なキャプテン役のトレンティンを、イタリアはレース半ばで失ったことになる。またイタリアの2人に巻き込まれる形でマッズ・ピーダスンも落車。2年前の世界王者は、しばらく先で同僚アンドレアス・クロンと揃って再び地面に転がり落ちた。さらに先ではミッケルフレーリク・ホノレさえ転んだ。この影響でデンマークの5人エースのうち、2人が早々とリタイアに追い込まれている。

集団が一旦まとまっても、フランスは攻撃的態度を引っ込めなかった。集団先頭で繰り返し加速を試みた。他の強豪国も後に続いた。地元軍はあらゆる加速に反応し、ひたすら握り潰して回った。さらにレース中盤、なんとかベルギーは先頭で隊列を組み上げると、牽引請負人ティム・デクレルクが集団制御に乗り出した。

しかし残り95km、補給所を抜け出した直後に、ドイツのニルス・ポリッツが加速。カーブの多い市街地で、再び集団をカオスが襲う。11人が先行を開始し、ここに再びエヴェネプールが潜り込んだ。フランスはヴァランタン・マデュアスが、オランダからは後の銀メダリスト、ディラン・ファンバーレが飛び乗った。イタリアも今回はアンドレア・バジオーリが前に入った。流れを逃したイギリスが、今度は必死で追走体制に入った。

そんな時でさえフランスは攻撃的だった。残り80km、後方のメイン集団で、コスヌフロワが2度アタック。さらに残り75km、集団前方に7人で競り上がると、カヴァニャを先頭に隊列を組み上げた。そこまでプロトン後方で息を潜めていたアラフィリップの合図がきっかけだった。2度目のフランドル周回の、またしても1つ目の上りでは、コスヌフロワがこの日4度目の加速を切りさえした。ベルギーは毎回対応に迫られた。

続く石畳の激坂で、前方はエヴェネプール、マデュアス、バジオーリ、ファンバーレ、ニールソン・ポーレスの5人に絞り込まれた。メイン集団では元世界王者ポーランドのミハウ・クフィアトコフスキが動きを見せ、スロベニアやデンマークも積極的に走った。やはりベルギーが制御に動いた。集団に残る6人全員で隊列を組んだ。

そして残り58km。アラフィリップがついに始動する。全部で42も散りばめられた坂道の中の、31番目の石畳ベークストラーツだった。クリストフ・ラポルトからの発射で、ペースを猛烈に上げると、集団を大きくふるいにかけた。

ベルギーのメイン&サブリーダー、ファンアールトとヤスパー・ストゥイヴェンはすかさず後輪に張り付いた。大会前10日間アラフィリップと一緒に練習してきたゼネク・スティバルに、マテイ・モホリッチやコルブレッリも問題なく後を追った。さらにトーマス・ピドコック、マチュー・ファンデルプール、マルクス・フールゴー、ジャコモ・ニッツォーロ、フロリアン・セネシャルも合流。乗り遅れたデンマークも、カスパー・アスグリーンの奮闘で、ミケル・ヴァルグレンがブリッジを成功させた。前を行く5人を飲み込み、残り53km、計17人の先頭集団が出来上がった。

フランス3人、ベルギー3人、イタリア3人、オランダ2人、デンマーク・スロベニア・イギリス・ノルウェー・アメリカ・チェコ1人ずつという集団内では、すでに2度も逃げたエヴェネプールが、凄まじい仕事を行った。しかし残り49km、フランドリアン周回最後の上りで、アラフィリップが2度目のアタックを仕掛ける。コルブレッリはすぐに反応した。ファンアールトは動かず、ストゥイヴェンが追走作業を担った。

「あれは単なる脚のテストだった。他の選手たちがどう動くかを見るためだったんだ。とにかくコルブレッリがすごく調子が良いことは理解したし、ベルギーがまだ3人残っていることも分かった。まだフィニシュまで遠かったし、無理に先行する必要はないと考えた」(アラフィリップ)

ほんの2kmほど先で回収されたディフェンディングチャンピオンは、燃えるような脚と、冷静な頭脳を備えていた。アラフィリップはこう分析した。調子が良ければワウトは自ら追ったはずだ。追わなかったのではなく、追えなかったのだ。ワウトは絶好調ではない、どうにかしてスプリントに持ち込みたいに違いない……と。だから監督ヴォクレールから与えられていた自らの役割「自分がここだと思う場面で、自由にアタックを打つ。スプリントフィニッシュに持ち込まぬよう、トライする」を、とことんまで貫くことに決めた。監督車の位置まで下がり、直接指示を仰ぎさえした。

この時、ヴォクレールは、アラフィリップにこんな風に言い聞かせたという。本能のまま走れ。ただあまりアタックを多用しすぎて疲弊し過ぎぬように。むしろ他選手のライバルに付いていき、それを利用してカウンターをしかけろ。セネシャルの護衛はマデュアスが務めるから気にするな、と。そのせいで、TV優勝インタビューに乱入した監督に向かって「言いつけを完璧には守らなかったなぁ」なんてアラフィリップは苦笑いし、それに対してヴォクレールは「本能!」と言い返すことになるのだが……。

その後のフランスはエヴェネプールにたっぷり仕事をさせた。残り26kmでついに21歳の神童は力尽きた。やはりスプリントフィニッシュの方が都合がいいイタリアも、パンチャーのバジオーリが先頭を引いていたが、マデュアスが軽く前で揺さぶりをかけると、やはり脚に限界を迎えた。

つまり強大なライバル2カ国のアシスト体制が手薄となった隙を突いて、アラフィリップは3度目のアタックを試みた。残り21.5km。ルーヴェン周回のウェイペンスの上りで、マデュアスががむしゃらに踏みつけると、そこからアラフィリップが発射された。

今度はファンアールト自らが努力せざるを得なかった。誰の協力も得られぬまま、約1kmに渡って優勝大本命は追走作業を行った。ただ平地でようやくストゥイヴェンが前に出たことで、なんとか回収にこぎつけた。しかし合流のタイミングで、アラフィリップはさらに2回、加速を畳み掛けた。またしてもストゥイヴェンは穴を埋めるために多大なる努力を強いられた。真っ先に反応できたニッツォーロは、追い付いてきたコルブレッリのために自らを犠牲に牽引を行った。

そして残り17.4km。すでに走行距離は250kmを、走行時間は5時間半を超えていた。誰もが限界に達しつつある中で、またしてもアラフィリップがアタックを打った。この日6度目にして、最後の加速だった。ルーヴェン周回の中で、最も手強いシント・アントニウスベルヒで、強烈な一発は打ち下ろされた。

「後ろにセネシャルがいると分かっていたからこそ、僕は本気で全力をぶつけられた。1日中すごく調子が良かった。まだ1周残していたから、正直、あそこで1人になるとは思わなかったけどね」(アラフィリップ)

すべてを一瞬で突き放した。ポーレスが後を追いかけ始め、それぞれのチームエースからついに「君が勝負に行け」と託されたと言うストゥイヴェンとファンバーレも、すぐに反応した。7人のチームメート全員の途中棄権で最後は孤軍奮闘となったヴァルグレンも、慌てて追走に乗り出した。しかし4人の追走集団は、ストゥイヴェンとファンバーレがあくまでリーダー待ちの「ふり」を貫いたため、足並みが一向に揃わない。

ちなみに、この時点ですでに警戒選手をアラフィリップからファンアールトへと切り替えていたというコルブレッリは、2位争いの動きにさえ乗り遅れた。罠にはまったことに気付き、単独ブリッジを試みるも、リーダーからアシストへと転向したファンアールトやファンデルプールに阻まれた。ニッツォーロの牽引も虚しく、欧州チャンピオンは、メダル圏内から弾き飛ばされた。

ルーヴェンの市街地に描かれた15.5kmの周回コースを、アラフィリップは、完全に1人先頭で駆け抜けた。最終周回突入時にはわずか10秒しかなかったリードは、残す4つの上りを経て、着実に開いていった。

「できる限り早く走ろうと努力した。カーブではできる限り減速せずに、カーブからの立ち上がりはできる限り素早く加速した。効果的な走りに集中し続けた。最後は脚がひどく痛んだし、もうなにも考えられなくなった。ただ子供のことをだけを思った。それが僕に大きな力を与えてくれた」(アラフィリップ)

1年前は観客のいないイモラサーキットへ単独で駆け込んだ。今年は鈴なりのファンたちの歓声を煽りながら、世界の頂点に立った。ジュリアン・アラフィリップが、史上7人目の世界選手権連覇を成功させた。

ジュリアン・アラフィリップ

連覇を成し遂げたジュリアン・アラフィリップ

「1年前に世界選を勝ち、1年間ジャージを着続けたのは、本当に信じられない経験だった。レインボージャージを輝かせようと努力し続けたし、自分がジャージにふさわしいレベルの選手であるよう、常に奮闘した。同時にそれは多大なエネルギーを要することでもあって、だからこの1年が終わったことに、ほっとしていた部分もあったんだ。今日からはようやく新たな目標を追い求められる、そんな気分だった。それでも、頭の片隅には、自分の立場に相応しい走りをしたいという思いもあった。そして僕は、その通りの走りを行った」(アラフィリップ)

こうして虹色を取り戻したアラフィリップは、フィニッシュラインでフランスのチームメートたちと喜びを分かち合った。TV実況席から走り出してきた妻マリオンさんとは熱い抱擁をかわし、ライバルであり友達でもあるスティバルやファンデルプールと健闘を称え合った。表彰台の上では、ファンアールトの優勝を願って詰めかけた大勢のベルギーファンたちと共に、クラッピングを楽しんだ。大好きな自転車レースを、大好きなやり方で勝てたことが、アラフィリップにとっては至上の喜びだった。

「僕は動きのあるレースが好きで、アタックが好き。虹色ジャージを着ていると、誰からもマークされるし、みんなが潰しにかかってくる。でも世界チャンピオンなのだから、すべてのレースを勝ちにいかねばならないんだ。でも、僕は、自分を変えようとは思わない。ロボットのような走りはしたくない。アタックし続けたい。楽しみ続けたい。たとえ負けたとしても、華やかな走りがしたい。うん、時には負けるだろう。いや、たくさん負けるだろう。でも僕は勝つためにすべてを尽くす。心をこめて。そんな走りがアルカンシェル姿で見せられたら、さらに美しいものとなるだろうね」(アラフィリップ)

2位争いのスプリントをファンバーレが制し、ヴァルグレンが3位に入った。エースから受け取ったバトンをしっかり結果につなげた銀メダリストも、「最悪の1日」となったデンマークを最後に救った銅メダリストも、それぞれの結果を心から喜んだ。一方でこの春のミラノ〜サンレモをスプリントで制したストゥイヴェンは4位に終わった。ファンアールトのために全力を出し切り、最後のひと押しをもはや残していなかった地元ルーヴェンっ子は、プレスインタビューゾーン手前の人目のない木陰でひとり泣いた。コルブレッリも10位に沈んだ。

そして、いまだかつてないほどのプレッシャーと闘い続けたファンアールトは、11位で走り終えた。開催国ベルギーは個人タイムトライアルでメダル4個(男子エリート銀・銅、男子U23銅、男子ジュニア銅)を手にしたが、アルカンシェルはもちろん、ロードレースでは1つもメダルを獲得することができなかった。

また今大会出場195選手の中では最多13回目の出場となった新城幸也は、49位でフィニッシュ。激しい展開の中、孤軍奮闘で最終盤までメイン集団内に食らいついた。全日本選手権延期やアジア全体のUCIレースがほぼ中止された関係で、本来ならば日本男子エリートには出場枠がなく、UCIの特別な計らいで与えられた1枠だった。その高い責任感と確かな実力とで、完走68人という厳しいレースを、新城は最後まで走りきった。

文:宮本あさか

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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