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イル・ド・ボーテ(美しき島)は、あますところなくその美しさを見せつけた。夏の光の中で、海と空の青と、波の白、赤レンガ色のハーモニーがきらきらと輝いた。緑の野山の中を色とりどりのジャージが駆け抜けた。赤と白の日本ナショナルカラーを身にまとった新城幸也は、ボーマイヨ(カッコいいジャージ)を世界190カ国にたっぷりと披露した。記念すべきツール・ド・フランス100回大会の第1ステージが、コルシカ島で、なにやら楽しげに幕をあけた。
ただし、1日の終わりには、全てがカオスに包まれることになるのだ。手付かずの自然が残る島には、高速道路や抜け道といったものは存在せず、町と町をつなぐ一本道――しかも気分が悪くなるほどに曲がりくねった道だ――以外に選択肢はない。そんな四方八方を塞がれた状況の中で、まっ先に起こったハプニングは、8kmのパレード走行中に、総合優勝大本命クリス・フルームが自転車から転がり落ちたこと。幸いにも大事には至らなかったが、ゼッケンナンバー「1」は、つまり100回目の大会で名誉ある落車第一号というわけだ!
ゼロkm地点のアタックは、グランツール最初の通常ステージの、いわばしきたりのようなもの。ジェローム・クザンの力強い加速に、ラース・ボーム、フアンアントニオ・フレチャ、シリル・ルモワンヌ、フアンホセ・ロバトという強力ルーラーたちが乗った。今大会最初の山岳ポイント(4級)では、やたらと緊迫した戦いを繰り広げた。そして栄えある初日の山岳賞マイヨ・ア・ポワ・ルージュをロバトが競り落とすと、エスケープ集団の気が少々抜けたのだろうか。なにやら逃げに対するモチベーションが揺らぎ始めた。
こうして2分半ほどあったリードは40秒にまで縮まった。そこから奮発して3分40秒差へと再び開くも、またしてもぎりぎり15秒差ほどにまで迫られて……、我慢できずにクザンが単独で仕掛けた。すると他の4人も意欲を取り戻し、今度は4分差の壁さえ超えた。奇妙に繰り返された伸びたり縮んだりというタイム差ゲームも、ただし、予想通りの幕切れが待っているだけだった。だって英国チャンピオンジャージからマイヨ・ジョーヌに着替える予定のマーク・カヴェンディッシュと、そのアシストたちは、「5分以上は絶対に与えない」と決めていたのだから。スプリンターチームたちだって、これに関しては同意見だった。だから海風の吹くバスティアへと近づくに連れて、じわじわとスピードを上げ、隊列を組み上げ、確実に5人を追い詰めていく。ゴール前37kmで、集団はひとつになった。
華やかな大集団スプリントを夢見ていたツール一行に、異変が起こったのは、スプリントトレインが最終10kmのアーチへと迫っていた頃。「バァン」という破裂音にも似た音が、ゴールエリアに鳴り響いた。数週間前には、コルシカの過激独立派が停戦撤退を宣言していた。何匹もの爆発物探知犬が、ステージの朝に、いたるところを入念に嗅ぎまわっていた。だからフィニッシュライン横の実況席でJ SPORTS生中継を解説中だった栗村修氏は、「えっ、本当に爆発!?」と思わず飛び上がってしまったと言う。実際のところは、オリカ・グリーンエッジのチームバスが、ゴールのアーチに衝突した音だった。
他のすべてのチームバスが、かなり早い時間帯にゴールエリアに到着していたから、どうしてオリカのバスだけがあんな時間帯までふらふらしていたのかは定かではない。もちろん、最大の要因は、上記に挙げたように「逃げ場のない1本道」なのだろう。ちなみに事故当時、ゴールアーチの高さは4m50cmに設定されていたというが、アーチは上下スライドが可能なタイプ。ゴールライン脇の担当者にひとこと声をかけて高さを調節してもらうだけで、あっさり潜り抜けられるはずだった。バス運転手は高さを見誤ったのかもしれない。
アーチとの衝突でバスの冷房システムが壊れてしまったことなど、その後の混乱に比べれば、ちっぽけな災難だった。まずはバスがゴールライン上に立ち往生してしまったせいで、審判団は、急遽ゴールをラスト3km地点に移動すると発表した。「タイム救済ルール(ゴールから3km以内で落車・メカトラなどで遅れを喫した場合、当該選手には、アクシデントに見舞われた時点で属していた集団のタイムが与えられる)」を適応するために、計測機器が設置してあるからだ。
「ゴール前5km地点で、あと2kmでスプリントだ、と文字通り言われた」(カヴェンディッシュ)、「とにかく、ゴール地が変わった、というのは無線から聞こえてきたんですけれど」(新城)、「監督が無線でなにか必死に叫んでいたけれど、観客の声援やヘリコプターの轟音で、何を言っているのかまったく分からなかった」(マルセル・キッテル)、「そもそもイヤホンを外していたからね」(トマ・ヴォクレール)と、プロトン内の選手たちのゴール変更に対する認知度は様々だったようである。
ところがチームバスがなんとか試行錯誤の末にフィニッシュラインから退くと、一転、審判団は予定通りの場所でゴールを行うと宣言する。当然ではあるけれど、これがさらなる混乱を呼んだ。なんとなく2013年ジロ最終ステージの「中間スプリントポイントの場所が移動され、果たしてどこでスプリントしたらいいのか分からずに、3回もスプリントをしてしまったカヴェンディッシュ」状態のように、ストレスと不安に苛まれた選手たちは、とにかく前へ前へと詰め掛けた。そして、大集団落車――。
タイムトライアル世界チャンピオンのトニー・マルティン、ロード世界チャンピオンのフィリップ・ジルベール、昨マイヨ・ヴェールのペーター・サガン、昨フランス王者ナセル・ブアニ、グランツール5回総合制覇アルベルト・コンタドール、2010年ツール総合優勝アンディ・シュレクを筆頭に、無数の選手が地面に放り出された。幸いに転ばなかったとしても、落車の後方で脚止めを喰らったカヴェンディッシュのように、急なハンドル捌きでパンクしてしまったグライペルのように、勝負から放り出されてしまった選手だっていた。こうして主を失ったオメガファルマ・クイックステップでは、ニキ・テルプストラが飛び出しを仕掛け、マッテオ・トレンティンがスプリントへと打って出た。ロット・ベリソルでは、2番手スプリンターのユルゲン・ルーランツも加速してみせた。
しかし、まあ、本職のエーススプリンターには叶わなかった。ゴール地の変更→再変更を一切関知していなかったおかげで、キッテルはただフィニッシュラインに向かって心乱れず加速することができていたし、それが幸いして落車に巻き込まれないような好ポジションにつけていた。オメガファルマやロットのアシストたちが、背後のリーダーを気にしてゴール前ギリギリまで腹をくくれなかったのに対して、アルゴスのメンバーはためらわず全力をリーダーに捧げることができた。
「正直に言えば、今回スプリントには壮絶なバトルというのは存在しなかった。普通ならばまずチーム同士のバトルが行われて、熾烈な場所取りを繰り広げるものなんだ。でも今回、落車の後、誰もが顔を見合わせているばかりだった。どう動くべきか、誰もが思案に暮れていた。ボクは周りを見回した。カヴェンディッシュもグライペルもいなかったから、ボクらのチームがトレインを牽引することに決めた」(キッテル)
こうしてキッテルはゴールラインで歓喜の雄叫びを上げた。1年前のツール初体験は、開幕前の胃腸炎のせいで散々の結果に終わっていた。しかし本人にとって2度目の、チームにとっては3度目の、そしてワールドツアー入りしてからは初めてのツールでは、第1日目に、あっさりと素晴らしい勝利をさらい取った。もちろんマイヨ・ジョーヌとマイヨ・ヴェール、ついでにマイヨ・ブランもついてきた。
「まるで両肩にゴールドを纏っているような、そんな気分だよ。信じられないよ。ボク自身とチームを、すごく、すごく誇らしく思う。ボクらにとって、歴史的な1日になった」(キッテル)
ただし本当に勝者がキッテルなのかどうか確定するためには、2位がアレクサンダー・クリストフで3位ダニー・ファンポッペル(今ツールのプロトン最年少19歳!)であると正式に記録に残すためには、少々時間が必要だった。たとえ、どこからどう見てもキッテルの優勝は明らかで、自転車につけた位置測定器が瞬時にステージ順位をはじき出してくれるとは言っても、あくまでも最終的な順位は「フォトフィニッシュ」で決定される。そのゴール連続写真を撮影する機材は、例のオリカバスの激突により、壊れてしまった……。
だから開催委員会が編み出した苦肉の策は、「テレビカメラで撮影した映像を見直して、最終順位を確定する」ことだった。大落車はゴール前約4.5kmだったけれど、プロトン全員に同じゴールタイムが与えられた。真新しいナショナルチャンピオンジャージが破れたり汚れたりするような一大事もなく、「ボクらチームは誰も転ばず、誰も遅れず。だから満足ですよ」と新城幸也は笑顔を見せた。美しき100回大会第1ステージに悪夢をもたらしたオリカ・グリーンエッジには、2000スイスフランの罰金が課された。ついでに言えば自らのスプリントリーダーのマシュー・ゴスも落車してしまったし、そもそもバスの修理費用もかさむに違いない。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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