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風。これが6日目の戦いのメインテーマだった。つまりステージ終盤に予想される横風→猛加速→斜め隊列→分断→落車……なんていう恐ろしい展開に備えて、しっかりと頭と体のキレを温存しておく必要があった。平地と風が苦手なヒルクライマー系総合勢たち――例えば2009年に同地方で置き去りにされたアルベルト・コンタドールや、体の小さいホアキン・ロドリゲスなど――にとっては、なおのことである。だからだろうか。スタート直後にルイス・マテマルドネスが前にふらりと飛び出したきり、誰一人として後を追おうとはしなかった。
南フランスの大地には、灼熱の太陽が照りつけていた。チームの「今日はエスケープに乗るように」という指示通り、逃げを始めたスペイン人だが、孤独な旅はひどく厳しかった。このまま行くべきか、引き返すべきか……。本人もチームもずいぶんと悩みながらも、タイム差は一気に6分以上にまで広がった。結局は45kmほど走っただけで、プロトンに再合流することとなった。
つまりゴール前130kmで、早くも集団は1つになった。再アタックの試みさえ見られない。ただ直後の中間スプリントポイントでは、恒例のミニバトルが繰り広げられた(アンドレ・グライペルが1位通過)。またフランスファンたちの期待を一身に背負ったボクサー……ではなくスプリンターのナセル・ブアニが、前夜の落車の影響で自転車を降りた。それ以外は、それほど目に付く動きは見られなかった。ただし、これは表向きの話。ルート右側から延々と吹き続けてくる風のせいで、プロトン内の選手たちは、実のところかなり緊迫した雰囲気の中を走っていたのだ。
「ひどくハードなステージだった。コース図を見ただけでは分からないだろうけれど、現場に満ちていた風と緊張感のせいで、危険がいっぱいで、スピードもすごく速かった。だから我らチームは集団前方に留まったし、最終盤には誰もが先頭に送り込まれたんだ」(チーム サクソ・ティンコフ、グイディ監督)
つまりマイヨ・ジョーヌを守るオリカ・グリーンエッジも、サクソ・ティンコフやスカイ プロサイクリング、BMCレーシングチーム、ベルキン プロサイクリングチームといった総合リーダーを守るチームも、こぞってプロトン前方へと詰め掛けた。そこに区間勝利を狙うスプリンターチームも加わって、ピリピリとした場所取りは延々と繰り返された。ちなみに、ゴール前35kmのリュネルの町から10kmほどが「強風レッドゾーン」で、各チームはそこでの分断の試みを恐れていたそうだ。幸いにも、この日は際立った風の変化はなく、つまり集団が散り散りになる大災害も起こらなかった。
ただし、まさしくリュネルの町で、マーク・カヴェンディッシュが落車した。自転車交換をしてすぐに走り出したものの、プロトンはとっくに先に行ってしまったあとだった。チームメートたちだって、すぐには助けに駆けつけられなかった。プロトンに顔が効くシルヴァン・シャヴァネルが集団先頭で減速に手を尽くし、同時にピーター・ベリトスがカヴェンディッシュを引き連れて前に戻すことで、ようやく5kmほど走ったのちになんとか事態は収拾した。
カヴェンディッシュが定位置に戻ってからは、オメガファルマ・クイックステップは集団制御によりいっそう努めた。総合勢と堂々と渡り合って、トレインを走らせた。一列後ろに控えていたチーム アルゴス・シマノやロット・ベリソルといった他のスプリンターチームは、ゴールまで5kmを切ると、突如として最前線に躍り出て突進を始めた。フラム・ルージュ(ラスト1kmのアーチ)を先頭で潜り抜けたのは、グライペルを乗せたロット列車だった。
「チームは完璧なタイミングで仕事を成し遂げてくれた。チームメートたちを誇りに思うよ。ラルスイティング・バクとフレデリック・ヴィレムスが、ステージの間中、前方でボクらを守ってくれた。それからゴール前2kmに近づいたところで、主導権を奪い取った。アダム・ハンセンが最終1kmまで凄まじい引きを見せた。そこからはマルセル・シーベルグとユルゲン・ルーランツが素晴らしい仕上げをしてくれた。最終盤は微妙に上り気味で、ボクはついて行くのに必死だったよ。それでも、スプリントするためのエネルギーは残していた」(グライペル)
自らの背後でむなしくスプリントを切ったカヴェンディッシュを、まるで寄せ付けず、グライペルが力強い勝利を手に入れた。前夜ゴール前に発生した集団落車のせいで、チームメートにして、総合リーダーのユルゲン・ヴァンデンブロックが大会を去っている。スプリント勝利と総合表彰台とを追い求めていたロット・ベリソルは、急遽、1つの目標に完全集中せざるを得なくなった。悲しいニュースの直後に、「ゴリラ」はチームに喜びをもたらした。
落車からのプロトン復帰に力を使いすぎたカヴェンディッシュは、区間4位で納得するしかなかった。マイヨ・ヴェールのペーター・サガンは、またしても2位で――第2・3ステージも2位、第5ステージが3位――、新作のゴールジェスチャーを披露できないままだ。
またスプリントに向けた加速でちょっとした分断が発生し、総合リーダーたちはこぞって5秒遅れの集団でフィニッシュラインを通過。そして2日間マイヨ・ジョーヌを満喫したであろうサイモン・ゲランスも、この小さな罠にはまってしまった。不幸中の幸いか、チームメートのダリル・インペイが、オーストラリア人の代わりに黄色いジャージを手に入れた。
「本当にこの経験を楽しんだ。こんな機会が持てるのは、人生でもたった1度切りかもしれない。そして基本的に、ダリルのサポートなしでは、ボクはイエローを着られなかっただろう。だからこそ、彼にジャージが渡ったことは、本当にステキなことだと思うんだよ」(ゲランス)
そもそもたとえ同タイムゴールだったとしても、マシュー・ゴスのための発射台を務める南アフリカ人が、オーストラリア人よりも7つ上の順位でフィニッシュラインを越えれば、マイヨ・ジョーヌは譲渡されるはずだったのだ。
「サイモンが望めば、ジャージはキープできたはずさ。でも彼は自らのチャンスを捨ててまで、ボクにチャンスを与えてくれた。これぞまさしく、このチームの在り方を表している。ボクらのチーム精神は、全ての選手が大切で、全ての選手がチャンスを手に入れる、というもの。これには本当に感謝しているよ」(インペイ)
しかも28歳のインペイは、記念すべきツール100回大会で、南アフリカ人として史上初めてマイヨ・ジョーヌに袖を通した。「アフリカ人」という大きなくくりで考えても、歴史始まって以来の快挙となる。ただし、「アフリカ生まれ」となると、モロッコのカサブランカで生まれたフランス人のリシャール・ヴィランクが、1992年大会でマイヨ・ジョーヌを着ている。
「表彰台ではすごく感動しちゃった。あの場に立ちながら、考えたんだ。『ああ、これだよ』って。つまりはボクのキャリアの中で最高に誇らしい時だった。これ以上の瞬間なんてあり得ないと思う。ただこれは、ボクがもう2度とあの場に立てないという意味ではないんだ。でもきっと、こんなやり方では、もうないだろうな。なんだかジャックポットを当てたような感じだからね」(インペイ)
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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