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フランスに4日遅れのキャトーズジュイエ(革命記念日)が訪れた。記念すべき100回大会も最終盤に差し掛かり、開催国は、絶望的な気持ちで1勝を追い求めていた。もしかしたら、1926年と1999年に続く史上3度目の、屈辱的な「フランス人ゼロ勝利」が実現してしまうかもしれない……。そんな不安も、パリまで4日に迫ったこの日、綺麗さっぱり消え去った。何しろ100年に1度の特別な大会の、最高に特別な山の上で、1986年ベルナール・イノー、2011年ピエール・ローランに続く史上3人目のフランス人覇者が誕生したのだから!
気温は10度以上も下がり、ひどく肌寒い朝だった。何日も前から山道にテントを張り、日夜ツールを夢見てきたファンたちは、冷えた体を温めてくれる熱狂的な戦いを期待していた。嵐の予報が告げられ、サレンヌ峠を下りたくない、怖い、と選手たちは口々に不安を吐いた。環境保全団体は、サレンヌ峠の下りを迂回せよ、さもなければ平和的デモで10分間道路に座り込むぞ……と脅していた。
幸いにも、全ては杞憂に終わる。午後には気温も上がった。雨はほんの数粒アスファルトに印を残しただけで、選手たちの邪魔はしなかった。サレンヌ峠の下りではデモ隊も現れず、ヒヤリとさせられるような場面がほんの数回あっただけ。
■前方と後方、区間と総合、2つの戦い
100万人のファンが、伝説峠ラルプ・デュエズの2回登坂の目撃者になろうと、21の九十九折にぎっしりと詰め込まれていた。1回目の上りに真っ先に飛び込む名誉を手に入れたのは、20km地点でエスケープ集団を作り上げた9人だ。モレノ・モゼール、ティージェイ・ヴァンガーデレン、イェンス・フォイクト、アルノー・ジャネソン、クリストフ・リブロン、アンドレイ・アマドール、ラース・ボーム、さらにはトム・ダニエルソン。実力派が肩を並べる前方集団は、道が上り始めた途端、人ごみの中であっという間に散り散りになってしまう。中でも苦しむ仲間たちを振り返りもせずに、勇敢に先頭で切り込んで行ったのはヴァンガーデレンだった。
前夜の個人タイムトライアルで復調をアピールした24歳は、完全に失敗に終わった総合表彰台&新人賞獲りの穴を埋めるように、伝説の山を駆け上っていく。ただしリブロンとモゼールも諦めなかった。山頂まで3km地点で、2人は合流を成功させる。しかも22歳の大型新人モゼールは……、ラルプ・デュエズの記念すべき28人目の首位通過者として、ヘアピンカーブの番号プレートに自らの名前を刻みつける権利さえ手に入れた!
3人はサレンヌ峠で少しだけはぐれた。22歳の大型新人モゼールは、上りで足が思うように回らなかった。下りに入ると、ヴァンガーデレンはバイクの不調で少々時間を費やしたし、リブロンは狭い左カーブに失敗して草むらに突っ込んだ。
「でも、今日のボクは幸運の星に見守られていたのかもしれない。だって転ばなかったし、どこも痛めなかったし、自転車も壊れなかった。ほんの十数秒失っただけで、再スタートを切ることができたからね」(リブロン)
2回目のラルプ・デュエズへに取り掛かる前の平地で、3人はめでたく再合流を果たす。メイン集団までのタイム差は7分20秒。伝説の山での、逃げ切り勝利がいよいよ見えてきた。上りが始まると、またしても――そして決定的に――、3人は協力体制を断ち切り、それぞれに自分の野心に向かって突き進むことになる。
「正直に言うと、山のふもとでは『勝てる』と思った。3人の中で最強なのはTJ(ティージェイ)だと分かっていたけど、彼は自転車交換でのタイムロスを取り戻すために、エネルギーを大いに消費していた。だから、攻略可能だと考えたんだ。確かにボクも道をはみ出したせいで、追走に力を使ってはいたけどね。でも、TJの加速に、ついていけなかった。爆発的な加速というのが、ボクはすごく苦手なんだ」(リブロン)
ゴール前12.3km、カーブ番号に換算すると「17番」、つまりアメリカ人の大先輩アンドリュー・ハンプステンの名前が刻まれたカーブで、ヴァンガーデレンは再び単独で先頭に立った。父親の母国オランダのファンたちが詰め掛ける「7番」の悪名高き「オランダカーブ」では、観客の熱狂に後押しされた。ヒートアップしすぎた観客には、パンチさえお見舞いした。何よりツアー・オブ・カリフォルニアの総合勝者は、今度こそ、最後まで先頭で突っ走れるはずだった。
しかも背後のリブロンは、実は勝利をすっかり諦めていた!心理的には2位争いに切り替えて、淡々とテンポ良く上ることだけを心がけた。2日前のギャップでは大逃げの果てに区間2位に泣き、前日の個人タイムトライアルでは総合9位のチームメート、ジャンクリストフ・ペローを落車骨折で失ったから、ちょっとだけ無念の気持ちもあったけれど……。
「でも監督から『絶対にTJは崩れる。諦めずに前を追え』と言われたんだ。『まさか、それはないだろう』と半信半疑で走り続けたら、その通り、彼の背中が見えてきた。ポジションを見て、すぐに、『あ、疲れてるな』って分かったよ。しかも近づくにつれて、表現方法は悪いけど、犬がハァハァ息をするような音が聞こえてきた。確信したね。こんな千載一遇のプレゼントは、絶対に獲りに行かなきゃ、と心を決めた。監督がボクのピストルに弾を込めたのさ」(リブロン)
3年前の7月18日に、大逃げの果てにピレネーの難関峠アクス・トロワ・ドメーヌを制したリブロンは、2013年の同じ日に、アルプスの難関峠ラルプ・デュエズの山頂で、やはり大逃げの果てに歓喜の勝利を手に入れた。3年前の勝利の記念に妻から贈られたネックレスに、この日は熱烈な勝利のキスを贈った。1月17日生まれのリブロンにとって、7月18日は「2つ目の大切なアニバーサリーデー」となった。
■2度の登坂が体力を奪う
はるか後方のメインプロトンでは、クリス・フルームが怖がったサレンヌ峠の下りが終るまで、スカイ プロサイクリングは極めて抑え目な速度でプロトン制御を続けていた。おかげで逃げ集団は悠々とリードを稼ぐことができたし、一方で後方居残り組の区間や山岳賞への野望はあっさりと打ち砕かれた。1度目の上りでその両方を狙うピエール・ローランが飛び出し、アンディ・シュレクが2006年の兄フランクに続く栄光を追い求めてアタックを仕掛けたけれど、時すでに遅し。無駄なアタックで、プロトン屈指のピュアクライマーは、足を使い果たしてしまっただけだった。
サレンヌ峠の下りに入ると、「予想通り」とフルームが語ったように、ロマン・クロイツィゲルとアルベルト・コンタドールがエンジン全開で駆け下りて行った。「総合2位でも15位でも関係ない、ただマイヨ・ジョーヌのためだけに戦う」と公言していたスペイン人は、舗装状態の悪いヘアピンカーブを利用して、ほんの少しではあったけれど、メイン集団から距離を稼いだ。
「2人が今日どう攻撃に出てくるのか。それがボクらにとっては最大の脅威だった。ただこの時は、まだ2度目の登坂まですごく遠かったから、彼らはエネルギーを浪費してしまうだけだろうと思った。だからパニックにもならなかったし、追走に力を使ったりもしなかった。」(フルーム)
結局のところ、サクソタンデムは、失敗を早めに認めざるを得なかった。後方集団ではスカイに代わって、モヴィスター チームが5人がかりで強烈な牽引を始めていたこともあって、おとなしく元の位置に戻るしかなかったのだ。
「でもあれは、アタックとは言わないんだよ。単に集団の前方に滑り出しただけ。落ち着いて、リスクを冒さずに下るためだったんだ。うん、確かに少しタイムは開いたけど、そのまま突っ走るにはもう少し人数が必要だと分かっていたからね。でも誰も来なかった。だから最善の方法は、先を急ぐのを止めて、集団を待つことだった」(コンタドール)
そしてフルームの読み通り、5度のグランツール総合優勝を誇る大チャンピオンは、2度目のラルプ・デュエズ途中で疲れ果ててしまう。スカイの最終警護役リッチー・ポートがフルームさえついていくのに苦労するほどのリズムを刻み、フルーム本人もがむしゃらにアタックを繰り出し、しかも昨ブエルタで自らが首位から突き落としたホアキン・ロドリゲスや表彰台入りを狙うナイロ・クインターナが鋭い加速を見せると、ゴールまで10kmを残して、総合2位コンタドールは完全に置き去りにされてしまった。
「地すべりのように、主役交代があちこちで進んでいる」と、数日前の仏レキップ紙は説を唱えた。そしてこの日は、1985年生まれのフルーム&ポートと、1990年生まれのクインターナが、唯一の例外的存在である1979年生まれのロドリゲスを巻き添えにしながら、グングンと先を進んでいく(そうは言っても、コンタドールは1982年生まれだから、それほど年寄りでもないのだ!)。しかも総合3位クロイツィゲルと4位バウク・モレッマも遅れていたものだから、5位クインターナと6位ロドリゲスにとっては、俄然パリで表彰台に乗る可能性が大きくなってきた。おのずとペダルを漕ぐ足にも力がこもった。
……と、ゴール前6km、マイヨ・ジョーヌが右手を大きく上げる。後方のチームカーに向けられた、何らかのトラブルが発生したことの合図だ。集団は色めき立った。クインターナとロドリゲスの2人は、紳士的に一旦は加速を弱める。
「血糖値が下ってしまったんだ。だからポートがチームカーに下って、食料を探しに行ってくれた。本当にポートがいてくれて助かったよ。低血糖になるのは初めてではないけれど、空っぽになって、ひどい気分になるんだよ。え?ボクの弱いところを見せつけて、イメージアップを図る作戦だったんじゃないかって?……そんなことを考える人がいるなんて、本当にクレイジーだね。アスリートなら誰だろうが、起こりうる症状なのに」(フルーム)
戻ってきたポートからエネルギーバーをもらい、フルームはかろうじて体力をつなぎとめた。またロドリゲスとクインターナには自由に先を行かせておいて、ポートの助けを得ながら、残りの距離を何とか切り抜けた。1996年のツールでハンガーノックに襲われ、ラスト3kmで3分失い、6年連続の総合優勝のチャンスを失ったミゲル・インドゥラインのような失態は犯さなかったというわけだ。いや、むしろコンタドールよりも57秒先にゴールにたどり着いたのだから、不調にも関わらず、総合2位とのタイム差をさらに開いたことになる(4分34秒→5分11秒)。
ちなみにインドゥラインは補給ルール違反でペナルティタイムを喰らったが、その点はフルームも同じだった。この日は本来ならば、2度目の登坂のふもとまでしか補給が許可されていなかった。だから実際にチームカーの監督から補給食を受け取ったポートには、当然ながら、200スイスフランの罰金+総合タイムに20秒のペナルティが課された。間接的に恩恵を享受したフルームにも、本人やチームにとっては少々不服だったようだが、同じ罰則が適応された。
ロドリゲスとクインターナは、後方の「表彰台ライバル」たちから1秒でも多くタイムを奪い取ろうと、フィニッシュラインぎりぎりまで全力疾走を止めなかった。おかげでコロンビアの新人は、さすがに最終盤で盛り返したコンタドールから総合2位の座は奪い取れなかったけれど……、5分32秒差で総合3位へとジャンプアップ。またロドリゲスは前日のローレンス・テンダムに続き、この日はモレッマを追い抜いて、5分58秒差の総合5位に駒を進めた。
フルームが連日のように異次元の強さを見せる一方で、つまり総合2位コンタドールから5位プリトまでは、47秒差に4人がひしめく超接戦状態。残す2日の難関山岳で、まだまだ表彰台の顔ぶれは変わるのかもしれない。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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