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サイクル ロードレース コラム 2013年8月28日

ブエルタ・ア・エスパーニャ2013 第4ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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この世の果てには、新世界へと続く茫洋たる大海が広がっていた。見晴らしのよい丘の上で、選手たちはとびっきりの爆発力を競い合った。フランドルの「ミュール=(壁)」コッペンベルグをこの春も勢いよく駆け上がったファビアン・カンチェラーラを、アルデンヌの「ユイの壁」を4月に制したダニエル・モレーノが、見事に退けてみせた。

この日のゴール前35kmにも、勾配30%越えの壁が立ちはだかっていた。残念なことに、攻撃の要地とはならなかったけれど。アタックをかけるには、確かに、フィニッシュラインまで遠すぎた。ただスタートから9km地点で飛び出したダニーロ・ウィス、アレックス・ラスムッセン、ユッシ・ヴェッカネン、そしてデニス・ヴァネンデールの望みを断ち切るのには、十分すぎるほどの試練だった。一時は7分半近いリードを奪い、ぎりぎり55秒差で常軌を逸した坂道へと飛び込んだ彼らには、無駄な抵抗を試みる余裕さえなかった。エスケープの中ではただ1人、ニコラ・エデだけが、どうにか先を続けた。

一部の「上れるスプリンター」や「パンチャー」系の選手たちも、この壁で夢を断たれた。体調万全なら区間優勝候補の一角に上げられるはずのフィリップ・ジルベールやサイモン・ゲランスは、それぞれエネコ・ツアーと前夜の落車の影響がたたり、プロトンから完全に置き去りにされた。

また例えば「第3ステージよりも、むしろ第4ステージが脚質にあってるかな」と豪語していたジャンニ・メールスマンも、激坂の途中で後方へと滑り落ちた1人だった。なんとかチームメートたちの援助を得て、下り坂で、メイン集団への再合流は無事に果たした。しかし追走のために、大いにエネルギーを費やしてしまった。

壁を先頭で抜け出したエデは、その後アメッツ・チュルーカを待ち、さらにはルイスレオン・サンチェス等4選手と協力しながら、逃げ距離を着々と伸ばして行った。しかも後発組5人があっさり諦めてしまった後でさえ、単独で頑張り続けた。ジロ・デ・イタリアのように「フーガ賞(逃げ距離の総計で競う賞)」があればよかったのだけれど……。幸いにも、ゴール前15kmでついに吸収されたフランス人には、「敢闘賞」が手渡された。

生まれて初めてのグランツールリーダージャージを身にまとう41歳、クリストファー・ホーナーを支えるレディオシャック・レオパードが、完璧なるプロトン制御を続けていた。「高速上りフィニッシュは自分に向いていない」と言うヴィンチェンツォ・ニーバリを、総合ライバルの抜け駆けから少しでも保護するために、アスタナのアシスト勢も隊列を敷いた。最後の上りが近づくに連れて、まさに前日と同じように、オリカ・グリーンエッジやキャノンデール プロサイクリングが前方へと競りあがってきた。最後の上りでまっさきに仕掛けたのは、前日と同じ、フアンアントニオ・フレチャだった。前日の3kmよりは短い、残り1.1kmからの飛び出しだ。

しかしラスト600m、小さな激坂巧者が、切れ味鋭いカウンターアタックを成功させた。前日に山頂スプリントを打ちに行ったホアキン・ロドリゲスではなく、その影武者的存在の……モレーノだった!

「昨日の夜、チームメートたちに、『今日のステージを勝ちに行きたい。すごく好きなタイプのステージだから』って話してあった。ボクのために力を尽くしてくれたチームに、感謝している。もちろん『プリト』にも。プリトとボクは、互いのことを知り尽くしてる。このステージは彼向きなのか、それともボク向きなのか、互いによく分かっているし、しっかり話し合いもしているんだ。もちろんチームのリーダーは彼だし、チーム全体が彼のために働く。でも今日は、ボクにトライする機会が与えられたんだよ」(モレーノ)

挑戦は見事に報われた。世界の果ての灯台前で、自身2度目のブエルタ区間勝利を手に入れた。フィニッシュラインではロドリゲスの祝福を受けた。

一方で、ヒルクライマーの後ろから猛烈な加速を仕掛けたのは、疲れ果てたパンチャーやスプリンターではなく、世界最強クラスのルーラーだった。しかしカンチェラーラは、自分に関しても、チームに関しても、少々苦い思いを味わうことになった。前夜から勝利を胸に誓っていた勝者に対して、「ラスト20kmは、行くべきか行かないべきか決めかねてた」からかもしれない。「55kgが飛び出していったんだ。85kgとは違うさ」と、そもそも、山登りにおける身体的ハンデもあった。1日中、総合リーダーのために風除けを務めてきた、疲れもあったのかもしれない。その仕事さえも、結局は水の泡となってしまった。ゴール前のほんの小さな分断にはまったホーナーは、わずか3秒差で総合タイムを逆転され、マイヨ・ロホを失った。

「こんなことは、時々起こりえることさ。何の問題もないよ。たったの3秒差でしかない。むしろ良かったくらいさ。だってこうしてステージを終えて、後はバスに帰って、シャワーを浴びて、リラックスして、次のステージに備えられるんだから。次にジャージを取り戻す時まで、記者会見に答える必要がなくなったんだからね」(ホーナー)

大ベテランは、幸いにも、物事をポジティヴに考える方法を知っていたようだ。リーダージャージを思わぬ形で取り戻してしまったニーバリの方は、つまりリラックスする時間が削られた。なにしろミニバンに飛び乗ってホテルへと急いでいる途中に、表彰台へと呼び戻されてしまったのだ。

「ジャージが手もとに帰ってきてビックリしている。何が起こったのか分からないよ。どこかで分断が起こったんだと思うけど……。ボクが特に何かアクションを起こしたわけじゃない」(ニーバリ)

ニーバリが特別に何かをしていたとしたら、それは、しっかりと集団前方に留まっていたことなのだろう。カンチェラーラの飛び出しに、慌ててエドヴァルド・ボアッソンハーゲンやマイケル・マシューズ、そしてメールスマン等が加速を切った。その素早い流れに問題なく乗ることのできた選手たち(ニーバリ、バウク・モレッマ、ニコラス・ロッシュ、アレハンドロ・バルベルデ、ホアキン・ロドリゲス、ロマン・クロイツィゲル等々)には、モレーノと同タイムが与えられた。

しかし前から21番目と22番目の選手の間に、ほんの小さな……しかし1秒以上の隙間が生まれた。こうしてイヴァン・バッソやホーナー、リゴベルト・ウラン、サムエル・サンチェス等の成績表には、モレーノから「6秒遅れ」が記録されたのだった。ちなみにこの6秒とは、区間2位選手に与えられるボーナスタイムに等しい。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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