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サイクル ロードレース コラム 2013年9月2日

ブエルタ・ア・エスパーニャ2013 第9ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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暴力的なまでの坂道が、最後の審判を下した。ユイの壁よりは500m短い800mで、最大勾配は1%多い27%。春先にフレッシュ・ワロンヌの勝負地を2分48秒(史上6位)で駆け上がったダニエル・モレーノが、バルデペニャス・デ・ハエンの市街地の壁を最速で上り詰めた。

アルデンヌクラシック風の結末へと向かって、ブエルタ一行は、オリーブ林の広がる南スペインの大地を急いだ。アントニー・ルー、ロイド・モンドリー、ジョニー・フーガーランド、ルーク・ロウ、ハビエル・アラメンディアの5選手が、スタート直後から逃げ始めた。許されたリードは最大6分半で、あとはいつも通りに、後方プロトンが追走作業へと取り掛かった。

BMCレーシングチームが、とりわけ積極的に牽引を行った。2011年にアムステル・ゴールドレース→フレッシュ・ワロンヌ→リエージュ〜バストーニュ〜リエージュと、丘陵クラシック3大会連続勝利を飾ったフィリップ・ジルベールを……、しかも2011年は史上最速2分44秒でユイの壁を制したパンチャーを、この日こそは勝利に導きたかったからだ。第7ステージでは好タイミングで飛び出したものの、タイヤ半分の差で2位に泣いていた。しかもディフェンディングチャンピオンとして迎える世界選手権ロード本番まで、ちょうど4週間に迫っている。

「チーム全体が、1日中働いてくれた。全員がそれぞれに任務を果たした。序盤から、逃げ集団とのタイム差コントロールのために、本当に良く尽くしてくれた」(ジルベール)

アルデンヌクラシック風の結末……だからこそ、逃げを吸収したくない人物も存在した。この日がグランツールリーダージャージデビューのニコラス・ロッシュは、17秒差で総合3位につけるモレーノを、ひたすら恐れていた。爆発力に欠けるアイルランド人は、激坂でスペイン人におそらく先行されるだろうことは、いやと言うほど理解していた。だからこそ、である。

「逃げはあえて追いかけなかった。だってモレーノにボーナスタイムを取りに行くチャンスを、できるだけ与えたくなかったから」(ロッシュ)

ゴールまで残り25km。前を行く5人の奮闘もむなしく、そしてロッシュの望みに反して、逃げ集団は吸収された。第2・7ステージに次ぐ3度目のエスケープを試みたアラメンディアは、ただ2度目の敢闘賞を持ち帰っただけだった。

ラスト800mの罠を、早めのアタックで攻略しようと試みた選手もいた。ゴールまで約15km地点に突き立つ2級峠の上りで、アメッツ・チュルーカやロベルト・キセロフスキーが、集団から抜け出した。さらにはエドヴァルド・ボアッソンハーゲンも、可能性を追い求めて突進した。ブエルタ初参加の……つまりバルデペニャス・デ・ハエンの激坂を1度も体験したことのないノルウェー人は、すぐさま先頭を奪い取ると、単独でテクニカルな下りへと飛び込んでいった。

下り巧者のルイスレオン・サンチェスが、ダウンヒルを利用して先行したこともあった。しかし、ゴールまで10kmに迫った地点で、突如としてカチューシャが集団制御権を奪い取った。2人の激坂巧者を抱えるロシアチームは、BMCを脇に押しのけると、5人体制で急激にスピードを上げた。この春のジロ・デ・イタリアで、36歳にして初めてマリア・ローザの栄光を堪能した36歳ルーカ・パオリーニが、高速で露払いを務めた。そして通常ならばリーダーが座るべき場所、つまり前から5番目につけていたのはホアキン・ロドリゲスではなく……、本来ならば山岳アシスト役のはずのモレーノだった!

「プリトと今日の戦術を練ったんだ。2011年に彼が勝った時にアタックを仕掛けたのと同じ場所で、ボクがアタックを仕掛ける予定だった」(モレーノ)

「モレーノがアタックをかけたら、ボクがそこについていく予定だった」(ロドリゲス)

こんな2人の思惑を乗せたカチューシャ隊列は、サンチェスをあっという間に飲み込み、さらにゴール前1.8kmでボアッソンハーゲンを引きずりおろした。激坂へと脚を踏み入れる直前には、2010年に同じ最終激坂を勝ち取ったイゴール・アントンや、イタリアの誇る魔の山ゾンコランを制した経験を持つイヴァン・バッソが――前夜の最終峠で存在感を見せた2人だ――、集団前方へと競り上がってきたこともあった。上りが始まると、ヴィンチェンツォ・ニーバリの親衛隊タネル・カンゲルトが、細い道路に蓋を閉じようとしたことも。

しかし、ゴール前800m、勾配24%ゾーンで、モレーノは予定通りに発射された。誰の手にも届かないところまで、一思いに飛び立った。続く27%ゾーンで、慌ててアレハンドロ・バルベルデも加速したが、時すでに遅し。プリトは、仲良しのチームメートについていく代わりに、ライバルの背後にぴたりと張り付いた。

「モレーノがアタックしたとき、ちょっとためらってしまった。改めて加速したときには、もはや追いつくのは不可能となっていた」(バルベルデ)

「正直に言うと、ボクはモレーノについていけなかった。実のところ、誰にも、ついていけっこなかったのさ」(ロドリゲス)

ちなみに2009年ブエルタでは、ケースデパーニュのエース・バルベルデが総合優勝をさらい、同チームのアシスト役だったロドリゲスとモレーノはそれぞれ総合7位と11位で終えている。また翌年2010年のアムステル・ゴールドレースでは、当時はオメガファルマ・ロット所属だったジルベールがアムステル・ゴールドレースを制し、チームメートのモレーノは74位だった。

「あの頃から、モレーノはものすごく力を伸ばしたね。彼がアタックした時、誰1人としてついていけなかった。ボクはありったけの力を振り絞って、バルベルデやプリトに追いつこうとしたけれど、最終盤があれほど勾配がキツイというのをすっかり忘れていたんだ。そして、千切れてしまった」(ジルベール)

緑色のポイント賞ジャージ姿でガッツポーズを決めたミニクライマーは、数分後に、総合リーダーの証である赤いジャージを身にまとうことになる。バルベルデとロドリゲスは4秒遅れで雪崩れ込んだ。ジルベールが13秒遅れで肩を落とす一方で、マイヨ・ロホ姿のロッシュはニーバリと同じ8秒差ゴールで、なんとか被害を最小限に食い止めた。……ボーナスタイム制度がブエルタに存在していなければ、ロッシュが正真正銘の総合首位であり続けるはずだった。しかし、危惧していた通り、区間勝者に与えられるボーナスタイム10秒が状況を大きく引っくり返した。4日後に32歳の誕生日を控えるモレーノが、わずか1秒差リードで、生まれて初めてのグランツール総合首位に君臨した。9日間でかき集めたボーナスタイムは、トータル32秒!

「区間勝利と、もちろん、レッドジャージを獲得できたことは本当に嬉しい。信じられないような結果へとボクを導いてくれたロドリゲスと、チームメートたちには、大いに感謝してる。でも、マイヨ・ロホを着たからって、何も変わらないんだ。今日のボクはジャージにふさわしい走りをしたし、この先も守って行くつもりだよ。ただしクレイジーになるつもりはない。総合優勝候補はあくまでも、ホアキン、バルベルデ、ニーバリの3人なんだから。彼らには持久力があるし、3週間を上手くコントロールしていく術もある。これは本当に、長いレースなんだよ」(モレーノ)

モレーノが名前を上げる3選手は、総合3位ニーバリ(19秒差)、4位バルベルデ(22秒差)、6位ロドリゲス(56秒差)と並ぶ。42歳クリストファー・ホーナーは28秒遅れの総合5位といまだ健闘を続けるが、リゴベルト・ウランはこの日だけで47秒失い、総合でも1分22秒差と大きく退却。2日連続で意欲を見せたバッソは、ボーナスタイム獲り合戦に加われないせいもあり、1分36秒差の総合11位となかなか浮上できぬままだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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