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うっすらと霧に覆われた山の上では、雷が鳴り響き、大粒の雨が激しく打ちつけていた。前日に比べ、気温は急激に下った。選手たちの体温も、急速に奪われていったはずだ。ルイスレオン・サンチェスとアイマル・スベルディアは、低体温症になり、ドクターストップで途中棄権。前夜まで積極的に攻撃を続け、総合7位につけていたイヴァン・バッソも、寒さに震え、ゴール前15kmで自転車を降りた。そもそもスタートしなかった2人を含めて、16人が一挙に大会を去った。
灰色の雲が垂れ込めるスタート地から抜け出すと、すぐに5人の逃げ集団ができ上がった。ステージ序盤の下り基調を生かして、ダニエーレ・ラット、グレーム・ブラウン、フィリップ・ジルベール、さらに後に自転車を降りることになるシェネルとL・サンチェスは、猛スピードでレースを先行した。序盤1時間の走行時速は48.5km!しかも、この1時間だけで、5人は後方プロトンから8分ものタイム差をもぎ取った。
元気良く走っていたプロトンも、超級エンヴァリラ峠にさしかかると、いよいよ黙示録のような世界へと放り出された。「40度から、一気に4度まで下ったもんね!」とティボー・ピノが語ったように、暑かった日々は、突然幕を下ろした。標高2410mの山頂は、摂氏5度前後。体感温度はわずか2度で、おそらくダウンヒル中の体感温度は……零度以下だったに違いない!しかも路面は濡れている。落車や脱落が相次ぎ、先頭集団もいつしか3人に小さくなった。
続く2級オルディーノ峠では、とうとう、先を続けられる元気のある者は、ただ1人となった。ラットが大きくペダルを踏み込むと、第12ステージの勝利で勢い付くジルベールを追い払った。
「そもそも逃げ始めたのは、メイン集団に追いつかれた後、ダウンヒルでバッソを助けられたら、と思ったからなんだ。でもプロトンは、エスケープに大量のリードを与えてくれた。それにボク自身は、ここ2日間くらい、すごく調子が良かった。体についている余計な脂肪のおかげで、今日の寒さに耐えられたのかな」(ラット)
そう、23歳の若者は、ひどい天候にも負けない、健やかな肉体を持っていた。さらには滑りやすくなった斜面でひっくりかえってしまわぬよう、しっかり工夫できる明晰な頭脳と、その技術も。2級コメリャ峠の下りで、カーブに差し掛かるたびに、内側の足をペダルから外して地面に伸ばしては、安定したバランスを心がけたのだった。
「オートバイに乗るとき、片足を地面に投げ出すことがよくあって、今日もそうしたんだ。落車を避けるためにね」(ラット)
最終峠の入り口で、ラットは後続ジルベールに5分50秒、メイン集団には8分近いタイム差を保っていた。ラスト4kmはとんでもない勾配が待ち構えてはいたけれど……、生まれて初めてのグランツール区間勝利へ向けて、自分のペースで確実に上り続けるだけでよかった。
「あの時点で、ひどいハンガーノックにならない限り、ステージを勝てるだろうと確信した。ちょっと脚が痙攣を始めていたから、怖かったけれど、なんとか上手くやりこなした」(ラット)
歓喜に満ちた表情でフィニッシュラインに飛び込んだラットは、その直後に、チームリーダーの「キャリアで一番悲しい」棄権を知らされることになる。
前日まで総合3位につけていたアレハンドロ・バルベルデも、あわや、全ての努力が水の泡としてしまうところだった。オルディーノ峠からの下りで、メイン集団から大きく千切れてしまったのだ。アシスト4人がすぐに馳せ参じて、リーダーの牽引を始めたが、遅れは40秒ほどにまで広がった。
「本当に辛い1日だった。恐ろしくて、残酷で。キャリアで最もハードな日だったと言ってもいい。体が震えて、真っ直ぐ走っていられないほどだった。ペダルが上手く踏めなくて、落車しそうになったことも」(バルベルデ)
それでも、チームメートの献身的な仕事のおかげで、タイム差を徐々に取り戻して行った。体調も上向き。最終峠の麓では、バルベルデの遅れは、わずか15秒にまで縮まった。しかし、残念なことに、レディオシャック・レオパードがメイン集団で高速ペースを刻み始めていた……。
ロベルト・キセロフスキーが、総合4位クリストファー・ホーナーのために、果敢な加速を続けていた。46秒差と同タイムで並ぶバルベルデを引き剥がしたい……というのが、当初の狙いだったに違いない。ところが、クロアチアチャンピオンの強いるテンポに、ニコラス・ロッシュが耐え切れなくなった。ゴール前5.5km、31秒差で総合2位につけるアイルランド人は、ずるずると後退していった。
さらにキセロフスキーは、渾身のダッシュで、登坂発射台の役目さえ果たした。15%ゾーンが待ち受けるゴール3.5km手前で、最後の力を振り絞って、ペダルをがむしゃらに漕いだ。そして所属チームのリーダーと、ブエルタの総合リーダーのただ2人だけを、前方へと押しやった。
雨や寒さに普段からビクともしないサムエル・サンチェス、風邪気味だったにも関わらず「雨で寒ければ、全員条件は一緒!」と前向きなピノ、個人TTの好成績で勢いに乗るドメニコ・ポッツォヴィーボは、セレクションから漏れた。アンドラに居を構え、一帯の激坂を知り尽くし、ステージ半ばからチームメートを全力で走らせていたホアキン・ロドリゲスさえも、もはや力が及ばなかった。
ニーバリとホーナーの、ランデブーは山頂間際まで続けられた。道中のほぼ大半で、41歳の大ベテランが前を引き、28歳のマイヨ・ロホは後ろからプレッシャーをかけ続けた。
「2人きりになった後、心はすぐに決まった。フィニッシュラインまで、とにかく100%を尽くすこと。ニーバリを引き離せるかどうか、試すこと。自分のできる限りの力を尽くして、ニーバリを引き離そうと努力したけど、でも、彼はすごく強かった。むしろ彼と一緒に上まで走り続けられた唯一の選手になれたことを、本当に嬉しく思う。もちろんニーバリよりも前でゴールできたらステキだったけど……、ボクは今日成し遂げたことだけで満足すべきだと思うんだ」(ホーナー)
ゴール前数百メートルで、ようやく、ほんの幾度かニーバリが先頭交替に手を貸した。ゴール手前150m、先を走るニーバリが背後のホーナーに、小さく3度合図を送った。果たしてどんな意味が込められていたのだろうか。「お前が先にゴールしろ」?「先頭を引け」?それとも?……両者の口からは、なんのヒントも与えられなかった。ただホーナーはカーブで大きく膨らみ、ニーバリはそのままストレートにフィニッシュラインまで突っ切った。
「厳しい1日だったね!大いに苦しめられた。でも、ゆっくりだけれど、確実に、自分本来の力を取り戻した。最後まで戦った。総合優勝へ向けて、大切なステップを上がることができた。でも、まだタイム差がそれほど離れていない選手もいるし、ハードなステージもたくさん残っている。ブエルタでは、何でも起こりうる。だから、地に足をつけていたいんだ」(ニーバリ)
ホーナーに2秒差をつけ、区間2位のボーナスタイム6秒も手に入れたニーバリは、マイヨ・ロホをさらにしっかりと着込んだ。ホーナーは単独総合2位にアップするも、実際のところ、遅れは50秒差に広がったことになる。またロドリゲスは18秒差、サンチェスは26秒差と順に苦行を終え、最後は単独で追い上げたバルベルデは、ニーバリから50秒遅れで長い1日を終えた。総合では1分42秒差3位に踏みとどまり、4位プリトとの差は1分15秒。
青白い顔で山頂に姿を現したロッシュは、わずか5.5kmで3分半近くも失った。総合4分06秒差の総合6位に退却した。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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