人気ランキング
J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題
コラム&ブログ一覧
この夏に100回目の誕生日を祝った先輩ツール・ド・フランスに敬意を表して、第68回ブエルタ・ア・エスパーニャが、フランスに入国した。ツール開催委員長クリスティアン・プリュドムも、レースカーに乗って、自らが大会に導き入れた「21世紀の山」ペイラギュード峠での山頂フィニッシュを堪能した。前夜、指を交差させつつ、「マドリードの2020年五輪開催地決定を信じている」と語っていたブエルタ開催委員長のハビエル・ギジェンは……スペイン全国民と共に、失意にくれていたけれど。
山に冷たい雨が降り続いた翌日の、全長224.9kmの大会最長ステージ。幸いにも気温はほんの少し上がった。それでも、体力が完全に回復しきれていない選手たちや、来たる世界選手権に向けてこれ以上疲労を溜め込みたくない選手たちが、次々と自転車を降りた。この日だけで10人が姿を消した。197人で走り始めたプロトンは、大会閉幕までちょうど1週間を残し、150人にまで小さくなった。
もちろん、どんなに疲れていても、やる気に満ちあふれている選手はたくさん存在した!スタートの旗が振り下ろされた瞬間に、次々とアタックがかかった。いくら吸収されようが、同じ選手たちが、幾度も体を前方へと飛び出した。30kmほど走ると、大量28人がまんまとエスケープの切符をつかんだ。
5人のフランス選手も、母国への凱旋を願って紛れ込んだ。いまだスペインの地を横切っている最中に、逃げ集団はさらに6人に絞り込まれたが……、そこでも4人のフレンチトリコロールが存在感を発揮した!
残り74.1km地点で、スペイン一周は、ついにフランスへと堂々入場を果たした。6人の先頭集団のリードは、22人の元逃げ仲間から2分40秒、メインプロトンから5分へと開いていた。地元っ子の区間優勝の確立が、一気に3分の2に上がった。さらにゴール前45km、ぐっと2分の1まで高まる。フランス中央山塊で生まれ育ったアレクサンドル・ジェニエが、ポルトガル人アンドレ・カルドソと共に、ライバルを振り払ったからだ。
「そもそもは、ティボー・ピノのために何かできるかもしれないと思って、前方に入ったんだよ。でも30人ほどの選手は、全く集団として機能していなかった。ボク自身はできるかぎり遠くまで行きたかったし、モチベーションの高い選手とだけ走りたかった。後々のためにエネルギーを温存しているような選手とは、一緒にいたくなかったんだ」(ジェニエ)
そしてフランスに入って最初の峠、ポール・ド・バレスからの下りで、ジェニエは単独で先頭に立つ。ツールで2007年に初通過して以来、いまだかつて3回しか使用されていない旧農道で、思い切り土地勘をフル回転させた。彼は2011年ルート・デュ・シュドで、まったく同じダウンヒルを経験している。もちろん、勝負に100%というのはないけれど、優勝のチャンスは一気に大きくなった。
しかも、とてつもなく幸いなことに、最終峠での独走がなんたるかを知り尽くしていた。やはりルート・デュ・シュドで、2010年に史上初めてペイラギュード峠が自転車レースを受け入れたときに、個人タイムトライアルでこの山道の最終盤を上っている。優勝したダヴィド・モンクティエに次いで……10秒差の2位に入ったほど、脚質にぴったりあった山だった。
ツール・ド・フランスとは違って、初秋の沿道の観客はまばら。それでも「バモス!」ではなく、「アレ、アレ、アレ!」というフランス語の声援が、山道にこだました。瞳を潤ませながら、25歳の若者は頂上へと駆け上がる。今度こそ、一等賞を取った。憧れの選手モンクティエがキャリア晩年に輝いたブエルタで、初めてのグランツール区間勝利を、ついにつかみとったのだ。
「ボクのプロ初勝利は2011年のオーストリア一周だった。今日と同じようなパターンの勝利だったよ。ブエルタのクイーンステージを勝てたなんて、ボクにとって特別なものだ。もっとしょっちゅう勝てたら素敵なんだけど、でもボクはクライマーで、つまりスプリンターと同じだけのチャンスはないからね。この瞬間を、一生涯ずっと忘れないだろうな」(ジェニエ)
はるか後方では、フランスで生まれ育ったアイルランド人が、大きな賭けを打った。ポール・ド・バレスの上りでクリスアンケル・セレンセンが猛烈な牽引を行い、山頂付近でニコラス・ロッシュがするすると前方へ飛び出したのだ。前日に雨の中で失った3分半というタイムを、少しでも取り戻すためだった。ほんの少し先を走るエスケープ集団では、チームメートのオリバー・ザウグとラファエル・マイカが、リーダーを待っていた。
2011年前のジロ・ディ・ロンバルディアを制したザウグが、まずはタンデムの先頭を引き受けた。それから、1年前のブエルタでアルベルト・コンタドールの総合優勝のために献身的に働き、今春のジロ・デ・イタリアで最後まで新人賞を争ったラファエル・マイカが、後を引き継いだ。
「今日の計画は、ステー中にできる限りのオプションを持つこと。全てが計画通りに進んだ。1人になってからは、体のそこから力を振り絞った。他の選手に追いつかれないようにね」(ロッシュ)
ロッシュをすぐには追わなかったメイン集団だが、次第にティボー・ピノ擁するエフデジ・ポワン・エフエール――総合でロッシュと28秒差だった――がスピードを上げた。ゴールが近づくに連れて、マイヨ・ロホからヴィンチェンツォ・ニーバリを追い落としたいビッグネームたちが、次々と集団に揺さぶりをかけた。ダニエル・モレーノが攻撃的に走り、ホアキン・ロドリゲス本人もアタックを仕掛けた。近日おなじみ、クリストファー・ホーナーを支えるロベルト・キセロフスキーの、強烈な牽引も見られた。サムエル・サンチェスやリゴベルト・ウラン、アレハンドロ・バルベルデにニーバリと、小さな攻撃と吸収が、絶え間なく繰り返された。
サクソタンデムは、大波に飲み込まれてしまわぬように、必死で細い山道を逃げ続けた。そしてラスト2km、渾身の後押しを得たロッシュは、1人でフィニッシュラインを目指し始めた。ほんの3分ほど前に、VCラ・ポム・マルセイユの後輩が、笑顔で飛び込んだ山頂へ――。
「できれば1分はタイムを取り戻したかったけれど、たった13秒しか稼げなかった。でも、後悔はない」(ロッシュ)
幸いなことに、区間3位のボーナスタイム4秒(区間2位には、朝から逃げていたミケーレ・スカルポーニが飛び込んでいた)も、手に入れた。あれほど小さなぶつかり合いを繰り返したにも関わらず、結局のところ、総合1位ニーバリ、2位ホーナー、3位バルベルデ、4位ロドリゲス、5位ドメニコ・ポッツォヴィーボは、全員同タイムでゴールした。つまり上位5人の力関係は、全く変化はなかった。ロッシュは総合5位まで、6秒差に近づいた。
選手たちが長い長い1日を終えた後、ピレネーの山々は深い霧に包まれた。フランスでの激戦を終え、プロトンは当夜のうちにスペインへと舞い戻った。大会はいよいよ、クライマックスの最終週に突入する。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
あわせて読みたい
J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題
ジャンル一覧
人気ランキング(オンデマンド番組)
-
Cycle*2024 UCI世界選手権大会 男子エリート ロードレース
9月29日 午後5:25〜
-
Cycle* J:COM presents 2024 ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム
11月2日 午後2:30〜
-
10月12日 午後9:00〜
-
11月11日 午後7:00〜
-
【先行】Cycle*2024 宇都宮ジャパンカップ サイクルロードレース
10月20日 午前8:55〜
-
10月10日 午後9:15〜
-
Cycle* UCIシクロクロス ワールドカップ 2024/25 第1戦 アントウェルペン(ベルギー)
11月24日 午後11:00〜
-
【限定】Cycle* ツール・ド・フランス2025 ルートプレゼンテーション
10月29日 午後6:55〜
J SPORTSで
サイクル ロードレースを応援しよう!