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山頂を包み込んでいた乳白色のカーテンが、一瞬さあっと開いた。赤いジャージの男が、晴れの舞台に、ひとり飛び込んできた。41歳と325日のクリストファー・ホーナーが、「自転車界のオリンポス」で、グランドチャンピオンの仲間入りを果たした。ブエルタ・ア・エスパーニャが創設されてから78年、グランツールが誕生してから110年。2013年9月15日の夕刻には、1922年に36歳でツール・ド・フランスを制したフィルマン・ランボーを越える、史上最年長のグランツール勝者が誕生する。
3週間の果ての、最終決戦がやってきた。3大ツールで1、2を争う激坂アングリルが……、地元の人々が「エル・インフェルノ(地獄)」と恐れる12.2kmの苦行が、行く手には待ち受けていた。それでも32人の選手が、スタートから26kmで、無謀にも飛び出した。個人的な名誉を勝ち取りたい者たちと、リーダーの受難を少しでも軽くすることを願う者たちによる混成エスケープだった。
念願のステージ勝利で勢いに乗り、逆転表彰台を願う総合4位ホアキン・ロドリゲスを助けるために、カチューシャからはドミトリ・コゾンチュクとアンヘル・ビシオソが逃げに飛び乗った。総合3位アレハンドロ・バルベルデのアシスト要員ベナト・インサウスティの姿も、エスケープ集団内に見られた。なにより、前夜にわずか3秒差の総合2位へと陥落したヴィンチェンツォ・ニーバリにいたっては、逆転優勝の最後のチャンスを手繰り寄せるために、パオロ・ティラロンゴとヤコブ・フグルサング、アンドレー・グリブコの3人を送り込んだ。
一方では、総合首位ホーナーを守るレディオシャックボーイズたちは、1人も欠けることなく、メイン集団の赤シャツの側に寄り添った。大きな先行集団とのタイム差は、5分半程度に保ちつつ、来るべきバトルに備えた。
白地に青い水玉模様のジャージを身にまとうニコラ・エデは、2日連続の、今大会5度目の、そしておそらくブエルタ最後の大逃げへと漕ぎ出した。目標はもちろん、ダヴィド・モンクティエ以来2年ぶりのフランス人山岳王となること。唯一の脅威はホーナーで、差は16ポイントだった。
幸いにも、逃げの仲間たちは、野暮な邪魔などしかけてこなかった。おかげで第1峠=3級で3ポイント、第2峠=2級で5ポイントを、エデはきっちりと回収する。差は24ptに開いた。残す2峠で獲得できる最大得点が25ptで、アングリルの1位通過が15ptだから……、第3峠=1級をエスケープ先発隊がさらい取った瞬間に、エデの戦いは完結した。3週間前、本当のところは、区間勝利+総合上位20入りを目指してガリシア入りしたフレンチクライマーは、別の大きな獲物を仕留めた。
「でも、まだ、アングリルが残っていた。なんて苦しかったことか!それにしても、ボクがブエルタの山岳キングになれたなんて、いまだに実感がわかない。自分の望みを大きく越える結果だよ。ボクにとっては、とてつもない快挙だ」(エデ)
小さな小さなヒルクライマーも、また、フランスに歓喜をもたらした。1級峠の上りで、ケニー・エリッソンドは、パオロ・ティラロンゴと共に前に飛び出した。(自称)169cm・52kgの超軽量は、まずはイタリア人に必死でしがみ付いた。そして、最終峠アングリルの中腹に差し掛かると、逆に大きく突き放した。神秘の山の霧の奥深くへ、たった1人で突き進んでいった。
「あまり状況がつかめなかった。文字通りの五里霧中で、何も分からなかったからね!激坂では、壁に突っ込んでしまうような、そんな錯覚を抱いた。これはきっと、誰にとっても同じことだったと思う。追いつかれてしまうんじゃないかと、怖かった。冷静ではいられなかった」(エリッソンド)
上体を揺らしながら、必死で、22歳の若者は高みを目指した。ほんの数キロ後方……いや、たったの数百メートル背後では、すでに、マイヨ・ロホを巡る仁義なき戦いが勃発していた。山の麓で保持していた5分のリードは、急速に縮まっていく。
「アングリルのファンたちの熱気が、後押ししてくれたんだ。差は1分20秒ほどだと考えていたけど、まるで確かじゃなかった。ただゴール直前の軽い下りで、ニュートラルサービスカーが自分の後ろについているのが見えた。そこで、ああ、ボクが勝ったんだな、と理解した。ただただ信じられない。アングリルっていうのは、……伝説的な山だからね」(エリッソンド)
両腕を精一杯大きく広げて、別名「ケニバル」は、人生でいちばん大きな勝利をつかみとった。全ての苦悩から解放された瞬間に、涙が溢れ出した。後続との差は1分20秒ではなく、わずか26秒だった。
それにしても、フランスの若手世代にとっては、大漁のブエルタとなった。21歳ワレン・バルギルが2勝、25歳アレクサンドル・ジェニエ、そして22歳エリッソンドと、区間勝利は計4勝。25歳のエデが山岳賞、そして23歳のティボー・ピノが総合7位。……もしも新人賞というものが存在していれば、ピノが白いジャージを着ていたはずだった。
36歳のティラロンゴは、アングリルで、リーダーのためにペダルを踏み続けていた。かつてはアルベルト・コンタドールの名山岳アシストとして働き、1年前にもチームの枠を超えてスペイン人の復活優勝の背中を押した大ベテランは、前方でニーバリの合流を待っていた。カチューシャがジャンパオロ・カルーゾとダニエル・モレーノの強烈な牽引で、メイン集団が10人ほどに小さく絞り込まれた、その時だった。ゴール前7km、「山小屋カーブ」ゾーンで、ニーバリが強烈なアタックを打つ。
「まずは最終峠への下りで、アタックを仕掛けた。だってグリブコが前にいて、彼の後ろについていくことができたから。それからアングリルでアタックを打った。だってティラロンゴが前にいて、彼と一緒に走ることができたから。フグルサングに関しても、同様だった」(ニーバリ)
ゴール5kmのアーチの下で、ティラロンゴと合流したニーバリは、さらに4km直前にフグルサングの助けを得る。すでにバルベルデは脱落気味だった。しぶとくしがみ付いてきた老兵ホーナーと34歳プリトに対して、水色のジャージは包囲網を敷いた。数的有利を生かして、攻撃体制を整えたニーバリは、そこから1人で強気で攻め立てた。20%の「天竺ネズミ」ゾーンで1度、23%超の「山羊」ゾーンで数度。畳み掛けるように、力を振り絞ってスピードを上げた。
「アングリルでの最初のアタックは、ホーナーをテストするためだった。ボクについてこれる脚があるかどうかを、見るためだったんだ。それから、フィニッシュラインが近づいてきてからは、彼を倒すために、何度もアタックをかけた。何度も、何度も。ある時点で、ホーナーを見たときに、ひどく苦しんでいるようだった。だから、もしかしたら行けるかもしれないと思ったんだ……。でも、ボクだって苦しんでいた」(ニーバリ)
28歳と、自転車選手としてはまさしく脂の乗った世代にいるニーバリの攻撃に、ホーナーは何度でも耐え切った。たとえ一旦は少し遅れても、すぐに追いついてきた。バルベルデやロドリゲスは、いつの間にやら、力尽きて消えていったというのに。あと1ヶ月もすれば42歳となる老兵は、決して崩れることがなかった。それどころか、21%超の「エル・アヴィル」ゾーンで、逆に強烈なアタックを打ち返してきた!
「ニーバリが6回アタックしてきたって?ボクにとっては、10回とか20回とか、そんな気がしたほどだよ。彼は凄いショーを見せてくれた。ソファーに座って眺めていたら。どんなに面白かったことだろう。ファンにとっては、信じられないような光景だったはずだ。ペダルストロークのひとつひとつを、楽しんでもらえたかな」(ホーナー)
ちょうど20歳年下の小さな後輩に続いて、ホーナーは2番目に山頂に飛び込んだ。ゴール直後には足腰が立たなくなるほど、エネルギーの最後の1滴まで使い切った。チームスタッフに両肩を抱えられ、よぼよぼと歩いてはいるけれど、その顔は幸福で輝いていた。
「ボクのような年齢の男がグランツールを勝つなんて。きっと皆さんが生きている間は、もう2度とお目にかかれないようなことだろうね。それに、この年になると、明日まで待たずとも、しみじみと感慨にふけることができるようになるものさ。これがどれだけ美しいことなのか、十分に理解してる。ニーバリが仕掛けてきた戦いは、華々しく、そして激しかった。あれほどの濃い霧の中で、体の深部から力を振り絞らなきゃならなかった。だからなおのこと、素敵だよね。ニーバリやバルベルデ、ロドリゲスといった偉大なるチャンピオンと戦って総合を手に入れたことは、ボクにとって大きな意味を持つんだ」(ホーナー)
総合2位ニーバリと3位バルベルデは、54秒差(ホーナーから28秒差)で、総合争いを締めくくった。ロドリゲスは1分近くタイムを失い、7月のツール時のような逆転表彰台はならなかった。総合トップ10は顔ぶれは変わらず、7位〜9位で小さな順位変動はあっただけだった。大会が用意した11の山頂フィニッシュを全て上り終えた144人は、最終日マドリードで、ようやく平坦な道を楽しむのだ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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