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サイクル ロードレース コラム 2014年9月9日

ブエルタ・ア・エスパーニャ2014 第16ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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本当ならば、7月のフランスで予定されていた。そんな2人の大チャンピオンの競演が、9月のスペインで実現した。ツールでの落車リタイアから約2ヶ月。ひどい怪我を乗り越えた2人は、最難関ステージの最終峠で、揃って前へ飛び出した。2013年ツール・ド・フランス総合覇者のクリス・フルームは、鋭いアタックを成功させ、総合表彰台のライバルたちからタイムを奪い取った。グランツール5勝のアルベルト・コンタドールは、ライバルの動きを賢く利用し、ついに山頂フィニッシュをつかんだ。マイヨ・ロホからは、おなじみエル・ピストレロのジェスチャーが威勢よく放たれた。

ゴール前40kmから、スカイが隊列を組んだ。猛然と高速リズムを刻み続け、アシストたちは1人1人が、持てる力を全て振り絞った。そして、最終山岳アシストのミケル・ニエベが最後の努力を終えた直後、ラスト4.5mでフルーム本人が加速を切った。

「チームがファンタスティックな仕事をしてくれた。彼らは本当にハードに働き、高速で山を登った。ピーター(ケノー)などは、自分がエスケープに乗るチャンスを捨ててまで、僕の側にいるほうを選んでくれた。これ以上のことは望めないくらいだったよ……」(フルーム、ゴール後インタビューより)

フルームが動いた瞬間を、総合首位コンタドールは見逃さなかった。すかさず背中に張り付いた。まるで影のように。総合3位の直接的ライバルであるはずの、2位アレハンドロ・バルベルデと4位ホアキン・ロドリゲスは、ほんの一瞬出遅れた。これが運命の分かれ道だった。以降、「ピストル男」は決して背中から振り落とされることなく、「無敵」と「小型葉巻」は決して追いつくことができなかった。

「コンタドールは上手く立ち回った。フルームの切り裂くようなアタックについていけたんだからね。その後ろで、プリトと僕は、協力し合って追いかけた。でも、僕ら2人とも調子がそれほど良くはなかったから、ただできることだけをやるしかなかった」(バルベルデ、大会公式リリースより)

スペインコンビは前を追って奮闘し、英国人は下を向いて一心不乱にスピードを上げ続けた。ゴール前12kmから独走を続けていたアレッサンドロ・デマルキなどは、残り3km地点で、あっさり追い越した。一方でマイヨ・ロホの王者は、宿敵の背中から絶対に出ようとはしなかった。振り切られることもなかった。1度たりともリレー交代には加わらず、ライバル3人の死闘を傍観し続けた。

「あらゆる力を振り絞った。でも、アルベルトを引き離すことは出来なかった」(フルーム、ゴール後インタビューより)

「少なくとも3度か4度、フルームは加速したと思う。傍目にはよく分からないかもしれないけれど、彼のリズム変化は強烈なんだ。ただ彼との一騎打ちは初めてじゃないからね。相手がどう攻めてくるのかは、分かっていた。むしろ嬉しかったのは、今日、脚が完璧に動いてくれたこと」(コンタドール、公式記者会見より)

ラスト800m、コンタドールが、ついに光を求めて飛び出した。約3kmに渡って全力を尽くしてきたフルームは、一発で振り切った。2012年ブエルタで「復活」を決めた第17ステージ以来となる、2年ぶりの「復活」区間勝利だった。ちなみに、あの日はあまりの疲労と感動で、ゴール時にはただ両手を天に突き上げただけだった。その前年のジロ第16ステージは、タイムトライアル勝利だったから、ジェスチャーをしている無駄な時間などあるはずがない。つまりグランツールでは、2011年ジロ第9ステージ以来となる、フィニッシュライン上での「バキューン」だった!

区間勝者から遅れること15秒、フルームは激しい闘争を終えた。バルベルデは55秒、ロドリゲスは59秒を失った。もちろん、コンタドールからはさらにボーナスタイム分の10秒、フルームからは6秒を失った。そしてスペインコンビを孤独に追い続けたイタリアのファビオ・アルは、1分06秒で最難関ステージを終えた。総合トップ5の順位には変動はなかったが、首位コンタドールは2位以下とのタイム差を31秒→1分36秒と大きく開いた。対する2位バルベルデは、3位フルームとの距離が49秒→3秒へと一気に縮まった。4位ロドリゲスは、前夜、表彰台まであと0.12秒差に迫ったというのに、50秒差にまで再び引き離されてしまった。

「まだブエルタの戦いは終わってはいない。たしかに、今日、僕は大きな一歩を踏み出した。あらゆるライバルとの差を広げることができた。でも、まだ5日間残っている。何が起こるかわからない。落車や、メカトラブルや、予想外の出来事が、降りかかってくる可能性はいつだってあるから」(コンタドール、大会公式記者会見より)

さて、5つの峠が待ち受ける動乱の1日は、13人の逃げから始まった。スタート直後の1級峠を利用して、ルイスレオン・サンチェスやデマルキといった常連が前に飛び出した。最大8分半のリードを許された13人は、ゴール前40km地点まで仲良く協力し合って逃げ続けた。サンチェスは、前夜に失ったばかりの山岳賞ジャージを、まんまと取り戻した。

ところが、4つ目の峠を上っている途中のことだ。ティンコフ・サクソのイヴァン・ロヴニーと、オメガファルマのジャンルーカ・ブランビッラが、突如として喧嘩を始めてしまった。エスケープ集団の中で、ペダルをテンポ良く回し、片手でハンドルを握りながら……、片手では相手とグーで殴りあい!

小さないざこざの後には、重い懲罰が待っていた。しかも喧嘩の直後に、デマルキがアタックを仕掛けた。そこにブランビッラは、同僚ワウテル・ポエルスと共についていくことを選んだ。至極順調に3人の先行は続いた。だからなおのこと、後悔と衝撃は大きかったはずだ。メイン集団に2分10秒差を付け、最終峠の入り口へと差し掛かった、ちょうどその時だった。レース無線から、審判団の決定が告げられた。「自転車レースのイメージを傷つけ、とりわけブエルタのイメージを失墜させた」として、ロヴニーとブランビッラの両者は即時レース除外――。前方を走行中のブランビッラには、審判車から直接、裁定が告げられた。

オメガファルマには、もう1つ、大きな不運が襲い掛かる。そもそもブランビッラとポエルスは、チームリーダーの総合6位リゴベルト・ウランの「もしも」のために、前方に送り込まれたはずだ。しかし、この2日間で総合順位を1つずつ落としてきたウラン自身が、3日目で大きく崩れた。

第一の山では、ティンコフ・サクソが高速リズムを刻んだ。総合4位ホアキン・ロドリゲスは、予想外の猛スピードに隙を付かれ、大きく突き放された。集団復帰のために、必死の追走を15kmも続ける羽目になった。だからこそ合流後は、カチューシャが制御権を握り締めた。それこそ全員体勢で前を引いた。すると、今度は、ウランが脱落する番だった。プリトのように、決して、単なる不注意で遅れたわけではない。

「5、6日前から、気管支炎に苦しめられていたんだ。昨日もすごく苦しかった。でも今日は最悪だった。息がまったく出来ないような、そんな感覚だった。最初の山を登っている時からすでに、もう、レースを止めてしまおうか、と考えたほどだったよ」(ウラン、チーム公式リリースより)

苦しくても、タイムをどんどん失っても、リタイアしなかったのはチームメートが支えてくれたからだと言う。最終的には今ステージだけで15分以上もタイムを失い、総合トップ10圏外へと大きくはじき飛ばされてしまった(総合16位、18分53秒遅れ)。それでも、ウランは、あくまで走り続けるつもりだ。そのために新たに設定した目標は、最終第21ステージのタイムトライアルで好結果を出すこと。もちろん、まずは体調を立て直すことが先決である。

ファビアン・カンチェラーラがメイン集団から飛び出し、30kmに渡って独走を続けたこともあった。レース半ばでカチューシャが少しだけ減速したことに対して、「だって僕は同じペースで走り続けたかったから」(チーム公式HPより)というのが理由だった。とりあえず世界選手権の個人タイムトライアルへ向けた調整ではない。そもそも、ポンフェラーダでは、TTには出場せず、3週間後のロードレース一本に集中する予定である。

総合争い以外にも、様々なドラマが繰り広げられたステージを、173人が走りきった。猫の額ほどの小さな山頂で、ほんの一息ついた後、各々が休養の地へと散っていった。チームバスでの旅は、350kmもの大移動。夜遅くホテルへと到着したら、残り5日間の激戦に向けて、選手たちは静かに英気を養うのだろう。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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