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ヤン・ポランチが大逃げ勝利を手に入れた大会初の山頂フィニッシュで、ミラノの表彰台の顔ぶれが早くも見えてきた。アルベルト・コンタドールはマイヨ・ローザを身にまとい、チーム総出で攻撃したファビオ・アルはわずか2秒差の総合2位に浮上した。チーム体制に少々不安はあるものの、本人は非常に好調なリッチー・ポートは20秒差総合3位につける。一方のリゴベルト・ウランは1分22秒差にまで離され、優勝争いから少し遠ざかった。
勝利につながるエスケープが出来上がったのは、スタートから16km。初夏のまばゆい光の中へ、アクセル・ドモン、セルゲイ・ツヴェトコフ、シルヴァン・ディリエ、シルヴァン・シャヴァネル、さらにヤン・ポランチが飛び出していった。しばらくすると、NIPPO・ヴィーニファンティーニのアレッサンドロ・マラグーティも、慌てて後を追いかけた。なにしろ、日本から、チームスポンサーであるNIPPOの会長が訪れていたから!
「ジロ・デ・イタリアが重要な大会であること、そして我々NIPPO・ヴィーニファンティーニがティンコフ・サクソやスカイ、アスタナといった世界トップクラスのチームと同じレースで戦っていることを、会長に実際の目で見て欲しい。だからこそ我々は、前方で、ジャージをアピールしなければならない」(ステファノ・ジュリアーニ、スタート前インタビューより)
残念ながらマラグーティの試みは、徒労に終わる。先に行ってしまった5人は、順調に先頭交代を続けた。プロトンとのタイム差は最大11分近くまで開いた。総合系チームが激烈に集団制御を試みた過去2日間とは対照的に、この日はマリア・ローザ4日目のオリカ・グリーンエッジが静かにメイン集団先頭を牽引した。いずれにせよ、道の先には、2級アベトーネの17.3kmという長い上りが待ち受けている。なにも急ぐことはなかった。
逃げ集団ではゴール前13.7km、戦いのゴングが鳴った。シャヴァネルの加速が合図だった。協力体制が一気に崩れ、ツヴェトコフが真っ先に脱落した。シャヴァネルはもう一度加速を畳み掛け、ドモンとディリエも運試しに向かった。
「エスケープの友たちには感謝してる。みんなで協力し合ったおかげで、集団の追走を避けることが出来たわけだからね。最終峠では、僕が一番強いことは分かってた。だから、アタックする最高のタイミングを、待ったんだ」(ポランチ、チーム公式リリースより)
父マルコが率いるコンチネンタルチームでキャリアを始めたヤンは、ヒルクライムの脚だけではなく、優れた戦術センスも持っていた。さんざん「友たち」を争わせた挙句に、ラスト10.7kmで、ポランチは強くペダルを踏み込んだ。一発の加速で3人を振り払うと、プロ初勝利へ向かって長い独走を始めた。ちなみにちょうど1週間前に23歳になったばかり。前ステージ覇者ダヴィデ・フォルモロとは同じ1992年生まれで、「ジュニア時代から何度も同じレースを走ってきた」そうである。
「最後の山の麓に来たとき、チームカーの監督から、100パーセントで上るな、と言われた。だから90%くらいの力で上った。最終盤は全力を振り絞った。最後の5kmくらいは勾配が厳しくなかったから、比較的楽に登れた。もっと勾配がきつかったら、おそらく、背後のトップライダーたちとの差を保つのは厳しかっただろうね」(ポランチ、公式記者会見より)
いやいや、フィニッシュラインに飛び込んだとき、後続へのリードはいまだ1分31秒も残っていた!一緒に逃げたシャヴァネルと、それから、後方から恐ろしい勢いで山を上ってきたアル・コンタドール・ポートとが、まったく同じゴールタイムを記録することになる。
ゴール前36km、コンタドールが自転車を交換した。本人によると、予定通りの行動だった。「モータースポーツのように」、地形や気候によって違うタイヤ、違うベアリング、違う調整の自転車を使用したいと考えたからだ。たとえばパリ〜ルーベでは、石畳路に変わる直前に、自転車を変える有力選手が多かった。個人タイムトライアルでは、上りと平坦とでバイクを使い分ける選手もいる。今回に関しては、「モーター搭載自転車だったんじゃないの?」なんて疑念の声を上げる人間もいたようだ。たしかに、ステージレースの山岳ステージでは、少々珍しい試みかもしれない。
この自転車交換からほどなくして、メインプロトンはスピードを上げ始める。じわじわと緊張感は高まっていき、オリカのマリア・ローザ列車に、ティンコフ・サクソやアスタナ――その他チームも代わる代わるに――が、各々に隊列を並走させた。ついには道の勾配が増し、集団の人数は減っていった。
ラスト10kmを切り、最初に仕掛けたのはアスタナだ。2日前はゴールスプリントにトライし、前日は中盤から猛烈にレースを制御した。それでもコンタドールに対するアルの遅れは、6秒差のまま変わらなかった。だからこの日の水色軍団はボーナスタイム獲得のため、まずは「逃げの残り選手の吸収」、もしくは「もう誰も逃がさない」作戦を敢行した。ディエゴ・ローザの囮アタックで集団スピードを上げ、ミケル・ランダはステファノ・ピラッツィの逃げを潰しに向かった。2013年のジロ山岳賞が2度目のアタックを打ったときなどは……列車を組んで回収に向かったほど!そのせいでマリア・ローザのサイモン・クラークは、あえなく脱落した。
優勝候補の中で、アタック1番乗りを決めたのは、コンタドールだった。ラスト5.5km地点で仕掛けると、お馴染みのダンシングスタイルで踏み続けた。いつもよりも、ずっと長めに。
「アタックしようと決めたのは、ライバルたちをテストするためだった」(コンタドール、チーム公式リリースより)
テストに合格したのはアルとポート、そして遅れて追いついてきたランダだけ。ウランは落第した。オリカ・グリーンエッジの最後の希望、エステバン・チャベスも振り落とされた。しかもランダはラスト1kmまで全ての仕事を請け負った。リーダーのアルを背負い(その後ろがポート、さらにコンタドールという定位置だった)、がむしゃらにスピードを上げ続けた。ライバルを振り払うためでもあり、前を走るシャヴァネルに追いつくためでもあり……。
ちょっぴり残念なことに、コンタドールもポートも最後までぴったり張り付いて離れなかったし、シャヴァネルにはほんの前輪の差くらいで追いつけなかった。ただし3位争いのスプリントを制し、アルはボーナスタイム4秒を手に入れた。コンタドールとの差も2秒へと詰めた。
しかし、マリア・ローザを、5日目にして早くもコンタドールの手に渡してしまった。
「決して早すぎるとは思わない。ただ、もしもミラノまでなにがなんでも守り通したいと願うなら、また話は別だろうけどね。僕は、最終日に総合優勝を手にするために、大会に乗り込んできた。ジャージは素敵なプレゼントだけれど、他の選手に手渡すこともありえる」(コンタドール、公式記者会見より)
コンタドールによれば、今はまだ、2015年ジロの「食前酒タイム」が終わったばかりだという。ちなみに過去8回のグランツール制覇(剥奪分2回を含む)で、最も早いリーダージャージ獲得は2011年ジロの第9ステージだった。一番遅いのは2007年ツールと2012年ブエルタの第17ステージ。いずれもコンタドールが一旦ジャージを着込んだ後は、最終日まで脱ぐことはなかった。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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