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サイクル ロードレース コラム 2015年6月1日

ジロ・デ・イタリア2015 第21ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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3週間の長い旅を終えて、蒸し暑いミラノへと、ジロ一行はたどり着いた。リヴィエラから198人で走り出したプロトンは、163人にひとまわり小さくなっていた。ほんのりばら色に染まったティンコフ・サクソ列車は、2008年以来2度目の総合優勝を祝うアルベルト・コンタドールを乗せて、先頭で、極めて静かに走り続けた。コース上ではスプマンテやキャビアがちょっとだけ振舞われ、コンタドールは人生最後のジロ・デ・イタリア区間を、ただ心行くまで楽しんで走るだけだった。

総合争いの戦いは、昨夜、セストリエーレの山の上で幕を閉じた。表彰台の3席も、山岳賞ジョヴァンニ・ヴィスコンティと新人賞ファビオ・アルの立場も、もはや脅かされることはなかった。大逃げフーガ賞も中間スプリント賞も、前日の逃げで最後のひとプッシュを決めたマルコ・バンディエーラがそのまま手に入れたし、敢闘賞は前日まで首位のフィリップ・ジルベールが守りきった。つまりは最終日ミラノまでもつれ込んだのは、マリア・ロッサの行方だけ。ジャコモ・ニッツォーロが17pt差でマリア・ロッサを着ていたけれど、いまだ数人に首位奪還のチャンスが残されていた。

なにしろ2015年ここまで、ニーバリはぱっとした成績を上げられていない(ティレーノ〜アドリアティコ総合16位、ツール・ド・ロマンディ10位)。ただ2014年も、実のところ、シーズン序盤には目立つ成績はなかった(パリ〜ニース21位、ツール・ド・ロマンディ5位)。ドーフィネにも出場したが、総合7位で終えている。

「去年のドーフィネは厳しかったことを覚えている。でも、同時に、それが僕にとっては良かったんだ。ツール・ド・フランスに向けて、どこを改善していくべきなのかを、理解できたから」(ニーバリ、ASO公式リリースより)

上りでの加速力が足りないと判断し、その後は山岳合宿で、オートバイの後ろに張り付いて特化したトレーニングを積んだそうだ。そして6月末のイタリア選手権を制し、ツール・ド・フランス2日目で主権を奪い取り、シャンゼリゼで栄光に輝いている。つまり今回に関しても、もしかしたら、本人はドーフィネで成績を上げる必要は感じていないかもしれない。それでも、注意深く観察することで、ニーバリの今後を占う鍵は見つかるはず。

一方のフルームは2月のアンダルシア一周総合優勝、ツール・ド・ロマンディ総合3位とそこそこの調子で来ているけれど、2013年序盤の圧倒的な強さを考えると(ツアー・オブ・オマーン総合優勝、ティレーノ〜アドリアティコ総合2位、ツール・ド・ロマンディ総合優勝)、やはり一抹の不安がよぎる。もちろん2013年はドーフィネも総合優勝をさらい取った。ところが昨大会は、第6ステージまでリーダージャージを纏いながら……、落車した。そのまま調子を崩し、総合も12位で終えた。ツール・ド・フランス本番でも3度落車し、それが原因でリタイアしたことは記憶に新しい。ケニア生まれの英国人に関しては、やっぱり、ドーフィネの仕上がりが大きくツールに影響すると考えても良さそうだ。

ちなみに英国テレグラフ紙のインタビューによると、フルームはツールの総合ライバルにニーバリ、キンタナ、バルベルデの名を挙げつつ、「しかしコンタドールが頭ひとつ抜けだしている。彼は指標であり、倒すべき男だ」と語っている。クリテリウム・ドゥ・ドーフィネの8日間の激戦の後には、フルームこそが、倒すべき男ナンバーワンになっているかもしれない。

「だから……実を言うと、チーム的には逃げの2人に、最後まで行ってもらったほうがよかったんです。区間勝利は欲しいけれど、ジャージを確実に手に入れるためには、先の2人がポイントを潰してくれたほうがありがたい。だから、あえて、2人を追いませんでした」(別府史之、ゴール後インタビューより)

すでにジロで区間2位を6回経験してきたニッツォーロは、ミラノでは、自ら区間勝利のチャンスを諦めた。名を捨てて実を取るために――。そして、トレックが前線から消えたプロトンは、道幅が極めて細く、一周あたり13ものカーブが待ち受けた周回コースで、思うような追走列車を組み上げることが出来なかった。

しかも、パンクが多かった。たとえば4周回目では、ヴィヴィアーニ擁するスカイが前線で牽引中に、レオポルド・ケーニッヒがパンクにあった。総合6位の一大事に、チームのほぼ全員が後方に下がらざるを得なかった。5週回目ではジルベールもパンク。6周回目の終わりには別府史之もパンクし、集団から離脱している。理由は路面電車のレール。コースと交わる部分は、一応は保護シートで覆われていたが、それでもパンク多発は防げなかった。2009年ジロの第9ステージのミラノ周回コースで、「細い道と路上駐車、さらには路面電車のレールが危険すぎる」と、選手たちが戦いをニュートラル化させたこともあったっけ……。

なにより、逃げていた2人の脚が、スペシャルだった。ダーブリッジは2011年トラック団体追抜世界チャンピオンで、タイムトライアルがめっぽう速い。一方のケイセは、北京五輪マジソンでは惜しくも4位でメダルを逃したが、冬場は6日間レースでタイトル荒稼ぎしている。しかも2人の「トラック野郎」が爆走する周回コースの内側には、かつてはファウスト・コッピやジャック・アンクティルがアワーレコードを樹立し、6日間レースの殿堂とも呼ばれた、歴史と伝統のあるヴィゴレッリ自転車競技場!

「ひどくトリッキーな周回コースで、コーナーが多かった。今の僕はロード選手だけど、本来はトラック選手だった。だからカーブは結構上手くこなせる。共犯者がダーブリッジだったのも、幸いだった。僕ら2人はパーフェクトに協力し合ったし、あらゆるカーブに全力で突っ込んだ」(ケイセ、公式記者会見より)

2周回目には18秒だったタイム差は、統制に欠けるプロトンを尻目に、1分にまで広がった。残り2周になっても40秒のまま。ランプレ発射台の「最後から2番目」ロベルト・フェラーリが、本来の役目をかなぐり捨てて追走を引っ張ったが、最終周回突入時でいまだ36秒もの差が存在していた。最終1kmで、25秒差。こうしてグランツール最終日の平坦周回コースが、久しぶりに、大集団スプリント以外の方法で締めくくられた。ツール・ド・フランスでは、2005年にアレクサンドル・ヴィノクロフが、最終周回の意表をつく飛び出しで勝利をさらっている。2015年ジロ・デ・イタリアは、トラック仕込みの「たっぷり駆け引きしてからの1対1スプリント」で、ケイセが初のグランツール区間勝利をもぎ取った。

「本当に嬉しいよ。僕のためだけでなく、チームにとっても。健康問題や不運続きで、チームにとっては難しいジロだった。ウランは体調不良に苦しんだし、最初の数日で2人のチームメートを失った。それでも、3週目まで、結果を追い求めて僕らは戦い続けた。そして最後の最後に、エティクス・クイックステップの名を、2015年ジロの成績表に刻むことが出来た。誇らしいよ。それに、最後の夜くらいは、チームメートたちとこの長くて辛い3週間の終わりを祝いたかったからね」(ケイセ、公式記者会見より)

追走をミスしたスプリンター勢は、勝者から9秒遅れの、3位争い+ポイント収集のスプリントで満足するしかなかった。ニッツォーロが5位に入り――モドロ13位、ヴィヴィアーニ7位、ジルベールは51秒遅れの集団でゴール――、目標通りに、赤いポイント賞ジャージを守りきった。18秒遅れの集団では、マリア・ローザ姿のアルベルト・コンタドールが、両手を上げながらフィニッシュラインを越えた。3本の指をアピールしながら。

自らの限界に達したザカリンが、後方へと脱落して行った後も、先頭集団の5人がスピードを緩めることはなかった。後方のコンタドールとの差は、ラスト5kmで1分25秒、3kmで1分40秒……。そしてゴール前2km。アルが飛び出した。最後までしがみついたウランもラスト1700mで振り払い、セストリエーレの山頂へと真っ先にたどり着いた。2日連続の山頂フィニッシュ勝利で、少しほろ苦い思いも味わった2015年ジロを、美しく締めくくった。

「初めてジロに来た2008年は、開幕直前に召集された。レースも知らなければ、どんな風に受け入れてもらえるのかも、どんな山が待ち受けているのかも知らなかった。2011年大会は、入念な準備で挑んだ。シーズン序盤からみっちり乗り込んできた。今回は逆に、シーズン初頭からレースはこなしてきたけれど、もう少し静かに、考えながら走ってきた」(コンタドール、公式記者会見より)

そして、人生で走った3回のジロ・デ・イタリアを、コンタドールは3回全て勝ち取った(2度目のタイトルは、2010年ツール期間中のドーピング問題により、後年剥奪された)。3週間壮絶なバトルを繰り広げ、時には苦しめ、最後は苦しめられたアスタナの2人、ファビオ・アルとミケル・ランダを両脇に従えて、スプマンテファイトをたっぷりと楽しんだ。辺りが見えなくなるほどの、ピンク色の紙吹雪に包まれて、しかし、コンタドールの気持ちは、すでに7月に飛んでいる。

「僕のツール・ド・フランスは、今この瞬間からスタートする。準備は今から始まるんだ」(コンタドール、公式記者会見より)

ばら色の5月が華やかに幕を閉じた。黄色争奪戦の足音が、早くも聞こえ始めている。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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