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フレッシュ・ワロンヌでおなじみのユイの壁を2012年に制した激坂王ホアキン・ロドリゲスが、ツール・ド・フランスにおける「ユイ初代王者」の座を勝ち取った。2013年ツール覇者のクリス・フルームは、早くもマイヨ・ジョーヌを身にまとった。しかし大会3日目を彩った最大の事件は、とてつもなく巨大な落車と、開催委員会の主導によるニュートラリゼイションだった。
激しかったステージの翌日、選手たちは安全に1日を終えたい、と切に望んでいたはずだった。スタートと同時にヤン・バルタ、ブライアン・ノロー、マルティン・エルミガー、セルジュ・パウエルスの飛び出しを許すと、前半の平坦な道を、プロトンは淡々とペダルを回した。自らの愛するフランドルの大地で、ファビアン・カンチェラーラは現役最多29日目のマイヨ・ジョーヌを堪能した。史上最多着用記録96日を誇る史上最強の自転車選手エディ・メルクスの生誕地では、暖かな歓迎を受けた。前を行く4人には最大3分半ほどのリードを与えた。
退屈なほどに整然とした隊列で、一行は道を進んだ。65kmほど走ると、ベルギーのもうひとつの地方、ワロニーへと足を踏み入れた。少しずつ、ほんの少しずつ、集団内に緊張感が増していく。道も、少しずつ、うねりと起伏を増していった。谷間には風が吹き始めた。そして補給地点を終えると、プロトンは一気に戦闘モードへと切り替えた。1分ほど残っていたタイム差をあっという間に消し去った。山岳ポイントさえ収集させてもらえぬまま、逃げの4人は飲み込まれた。
ひとつになった集団は、真っ直ぐな突き進んでいた。平坦そうに見えたけれど、道は軽く下っていた。走行時速は80km近くまで出ていた。
そんな時だった。集団の比較的前方を走っていたウィリアム・ボネが、バランスを崩した。アスファルトに倒れこむと、派手に何度も回転した。……ブレーキをかける間もなく、20人ほどの選手が巻き込まれた。ある者は街灯の柱に突っ込み、ある者は沿道の牧草に突っ込んだ。そして黄色い自転車が一台、空中へゆっくりと跳ね上がった。ファビアン・カンチェラーラが、巻き込まれたのだ!
この105km地点=ゴール前54.5km地点の大事故の直後には、107km地点で再び大きな落車が発生する。第一の落車ではボネ、トム・デュムラン、サイモン・ゲランスが即時リタイヤし、第二の落車ではドミトリ・コゾンチュクが戦線離脱を余儀なくされた。デュムランはゴール地に設置されたレントゲン施設へ、他の3人はユイの救急病院へと搬送された。それでも多くの選手たちが、破けたジャージから赤い血の色を覗かせながら、再び自転車にまたがった。カンチェラーラも立ち上がり、走り出した。頭をふり、腰の痛みを訴えながらも、レース続行を決めた。
巻き込まれなかった多くの選手たちは、強制的にストップをかけられた。開催委員長クリスティアン・プリュドムが、レースカーの屋根から上半身を突き出し、両腕を大きく広げて、プロトンの歩みを抑えた。委員長本人の言葉によれば「アルバトロス(アホウドリ)のように翼を広げ、野生動物のような選手たちを制したのだ」。
「2つ目の落車が起きた時点で、4台の救急車、2台のメディカルカーは全て現場対応のために停車した。つまりは前を走るプロトンに対応できる医療隊が皆無になった。すぐにレース委員長と審判委員長との間で『レースの一旦停止』で意見が一致した。逃げ集団はすでに吸収されていたし、ステージ最初の上りにもいまだ入っていなかったからだ。こうして極めて例外的な決定を下した。極めて例外的な事態だったからである。あれほどのひどい落車の後に、さらにひどい落車が再び起こる可能性はあった。だから救急車のない状態で、選手たちを走らせるわけにはいかなかった。反対の声も上がった。もちろんだ。でも私の中では、救急車がいないと分かった時点で、即決だった。全責任を負う覚悟で下した決断だ」(開催委員長プリュドム、公式会見より)
巷で噂されたような、マイヨ・ジョーヌを待つためのニュートラリゼーションではない。またUCIルール2.2.029によれば、事故等でレースの通常の進行に支障が出る危険性のある場合、開催委員長はレースを一時的にニュートラル化する権利を持つと定められている。こうして選手たちは完全に停止し、地面に足をつけた。落車した選手たちが全員プロトンへ合流し、レース医療班の再配置も完了すると、ツールは再び走り出した。
走りながらのニュートラリゼイションなら、ツールは過去幾度も経験している。ちょうど5年前、やはりオランダからスタートしたツール3日目、ベルギーのワロニー地方を通過中に、大きな集団落車が発生した。あの時の開催委員会はレース続行を願ったが、マイヨ・ジョーヌを着ていたカンチェラーラがノーコンテストを主張した。すでに逃げていたシルヴァン・シャヴァネルに区間勝利が許され、その他選手はまとまってゴールした。またステージが完全に無効となったことも過去4回ある(1978年第12ステージ、1982年第5ステージ、1995年第16ステージ、1998年第17ステージ)。今回はゴール前50.5km地点の、4級ボイソー峠の山頂で、ニュートラリゼーションは解除された(山岳ポイントは廃止)。
その後もしばらくは速度控えめで走ったプロトンも、10kmほど進むと、再び全力疾走を始めた。総合優勝候補を有するチームが隊列を組み上げた。アスタナが分断を仕掛け、一瞬スカイが罠にはまる場面もあった。中間スプリントではコフィディスがナセル・ブアニのためにスプリント列車を走らせ、しかし緑ジャージのアンドレ・グライペルが1位通過をさらいとった。こんな風なあらゆる加速の試みと、ステージ終盤に立て続けに登場する起伏と激坂とで、怪我人たちはじわじわと後方へと押しやられていった。
たとえばカンチェラーラは、最終的に勝者から11分43秒遅れでフィニッシュへとたどり着いた。そして無言のままレース会場から立ち去った。精密検査の結果、2ヶ所で腰椎骨折が認められ、当夜には大会からのリタイヤが発表された。「もしかしたら僕にとって最後のツール・ド・フランス」と、前日に何度も繰り返していた34歳は、ひどく残念な形でツールにサヨナラを告げることとなった。マイヨ・ジョーヌ着用日数も、29日で打ち止めとなるのだろうか……。
前方はさらにスピードを増していった。今年4月からユイ直前に組み込まれた4級シュラヴ坂は、肝心のフレッシュ・ワロンヌでは大した役目を果たさなかったが、ツールでは集団を大きく絞り込んだ。ユイの細道へと向かっては、毎年4月に延々と繰り返されてきているように、集団内では非情なるポジション争いが繰り返された。
ここではやはり、過去6大会中で優勝2回・2位2回を誇るカチューシャが、一枚上手なところを見せ付けた。ジャンパオロ・カルーゾが最前列で最大勾配26%の「チャペルの道」へと飛び込むと、プリトを背負って猛スピードで壁をよじ登り始めた。もちろん春のユイ登坂を12年間欠かさず行ってきたロドリゲスは、誰よりも―今年5年ぶり4回目のフレッシュに参戦したフルームや、時々しか走りに来ないコンタドール―、壁の攻略法を熟知していた。
「今日は早めに加速を切った。今年のフレッシュ・ワロンヌでは、走り方を間違えた。あまりにも長く後方に留まりすぎたんだ」(ロドリゲス、公式記者会見より)
つまりゴール前400mの、極めて勾配の高いゾーンで、プリトは渾身のアタックを決めた。トニー・ギャロパンがしがみついたが、必死の努力は長くは続かなかった。フルームもじわじわと追い上げたけれど、21世紀最高の激坂ハンターは、壁のてっぺんでゆっくりと両手を天に突き上げる余裕があった。
「ツール・ド・フランスでのこういったフィニッシュは、クラシック時とは比べ物にならないね。まるで違うレースだ。ツールのほうがはるかに速度が速い。時速1000kmでの争いだ!」(ロドリゲス、公式記者会見より)
クラシックを愛する者として、実はグランツールがクラシックの名所を取り入れることにはあまり賛同できないそうだが、ともかくツールでは2010年の「激坂」マンド制覇に次ぐ区間2勝目。2015年大会初の赤玉ジャージ着用者となり、「うん、これは今後の目標になり得る」と語る。しかし2013年大会総合3位のロドリゲスは、真顔でこう続けた。
「むしろ僕は総合表彰台に上りたいんだ。それがどれだけ難しいことなのか、十分に承知している。でも十分にトレーニングを積んできた。調子はいい。自信もある。僕は36歳だけど、僕は『いいワイン』のような選手だと思ってる。年を重ねるにつれて、良くなっていく」(ロドリゲス、公式記者会見より)
肝心の総合争いでは、前日の分断がたたって、現在2分遅れの18位につけている。その第2ステージできっちり先頭集団ゴールを果たし、この日はプリトと同タイムフィニッシュで、しかも区間2位のボーナスタイム6秒を手に入れたフルームが、トニー・マルティンを1秒差で交わしてマイヨ・ジョーヌに袖を通した。2013年パリのシャンゼリゼ以来となる、約2年ぶりのジャージとの再会だった。
「再び黄色を身にまとえるなんて、なんて素敵な気分だろう。今朝誰かに『君がジャージを着るよ』って言われても、僕は信じなかっただろうね。本当に素敵だ。それにマイヨ・ジョーヌを着るのに、早すぎるなんてことは決してないと思うよ。ライバルたちにタイムを与えるよりも、自分が首位のポジションに立つほうがずっといい」(フルーム、公式記者会見より)
つまり今日のフルームが、タイムを与えてしまったライバルは、ロドリゲス1人だけ(ボーナスタイムの4秒)。他のあらゆるライバルは、フルームからタイムを失った。ティージェイ・ヴァンガーデレン、ヴィンチェンツォ・ニーバリ、ナイロ・キンタナの3人はそれぞれ11秒ずつ、アルベルト・コンタドールは18秒。アウトサイダー筆頭と見られていたティボー・ピノは、なんと1分33秒も……。総合ではヴァンガーデレン13秒、コンタドール36秒、ニーバリ1分38秒、キンタナ1分56秒と続く。
果たしてフルームはマイヨ・ジョーヌのまま最後まで突っ走るつもりだろうか?ちょうど1年前のニーバリが、第2ステージから黄色の栄光の日々を始めたように?しかしフルーム本人も、多くの関係者も、こう口を揃える。「まずは明日の結果を見てから」。大会の母国フランスへと帰る道の先には、恐ろしい石畳が敷き詰められている。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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