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サイクル ロードレース コラム 2015年7月15日

ツール・ド・フランス2015 第10ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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たった1つの超級峠で、全てが決まった。ツール初登場ラ・ピエール・サン・マルタンの、15.3kmの山道で、クリス・フルームがライバルをまとめて叩き潰した。区間勝利に、マイヨ・ジョーヌ、さらには今年40周年を迎えた山岳賞マイヨ・ア・ポワ・ルージュまで独り占めした! 総合で最もタイムの近いライバルでさえ、すでに2分52秒も突き放した。もはや、2015年ツール・ド・フランスは、終わったのだろうか?

「いやいや、山を1つ終えたばかりじゃないか。道のりはまだまだ長いんだよ」(フルーム、公式記者会見より)

戦場はブルターニュからピレネーと一気に移行した。オランダも暑かったが、フランス南西部も暑い。灼熱の太陽はチリチリと肌を焼き、アスファルトはところどころ溶け出した。独特の暑さに体を慣らすため、そして休養日でほんの少しだけ失ったレースリズムを取り戻すため、ステージ序盤のプロトンはゆっくり走ることを選んだ。フランス革命記念日「キャトーズ・ジュイエ(7月14日)」だというのに、恒例のトリコロール戦士たちによる飛び出し合戦も、ほんの7kmほどしか続かなかった。フランス人のピエリック・フェドリゴが前に走り出し、ベルギー人のケネス・ヴァンビルセンが後に続いた。これにて本日のエスケープは打ち止めに。

先を行く2人には、約15分もの大量のタイム差が許された。おかげでツールの区間4勝のうち、3つがフランス南仏部(ポー2回=休養地、タルブ1回=今ステージのスタート地)のフェドリゴと、第6ステージに続く2度目の逃げに乗ったヴァンビルセンは、ゴールまで50kmに近づいても10分のリードを保っていた。

スペイン国境までほんの100mほどしか離れていないフィニッシュ地では、いまだにエウスカルテル・エウスカディのジャージがあちこちで目に付いた。唯一のスペインチームであるモヴィスターは、ステージの大半で集団制御を引き受けた。ゴール前81km地点でフランス期待のヒルクライマー、ワレン・バルギルが落車したが、集団が比較的のんびりペースだったおかげで、15kmほど走った先で無事にライバルたちに合流を果たした。

レースの流れが変わったのは、ゴール前55km。朝起きた時点で「調子が良い」と言っていたらしいティボー・ピノを好位置へと導くために、FDJが猛烈にスピードアップを始めた。ゴール前43km地点の中間ポイントに向けて、スプリンターたちが猛烈に隊列を引いたのも、エスケープとの距離を縮めるのに大いに役立った。アンドレ・グライペルがマイヨ・ヴェールを取り戻し、タイム差はあっという間に溶けていった。最終峠の麓では2分半にまで縮まっていた。

フランスの自転車用語でいうところの、モンテ・セッシュ(コースの最後に山が1つしかない)の戦いへ、モヴィスターが全速力で飛び込んだ。平均勾配7.4%とは偽りの数字で、実際はほぼ平坦のパートと、まるで壁のようなパートが交互にやってきた。名うての山男集団は隊列を組み、きつい勾配部分を利用して、どんどん邪魔者たちを千切っていった。

登り開始からすぐにロメン・バルデが落ち、ティボー・ピノが滑り落ち、ジャンクリストフ・ペローが脱落した。フランス人が1年で一番もっとも輝くべきこの日に……。犠牲者はフランス人だけではなかった。11.5kmでロベルト・ヘーシンクが飛び出し、入れ替わりにフェドリゴの長いエスケープに終止符が打たれ、メイン集団ではスカイが前線に張り出してきた直後だった。ディフェンディングチャンピオンのヴィンチェンツォ・ニーバリの脚が止まった!

「できる限り長くしがみつこうと頑張ったけど、フルームとスカイのテンポが僕には速すぎた。チームメートについていくことさえやっとだった。理由は分からない。ただ呼吸が苦しかった。でも、苦しんだのは僕だけじゃなかったようだね。コンタドールやヴァンガーデレンも、タイムを失って……」(ニーバリ、ゴール後TVインタビューより)

スカイによる大虐殺は止まらなかった。ホアキン・ロドリゲスも、バルギルも振り落とされた。今年の2月にツアー・オブ・オマーンを制したラファエル・バルスが飛び出したときは、好きなように泳がせておいた。しかしラスト8kmでアレハンドロ・バルベルデが仕掛けると、状況は違った。ナイロ・キンタナの右腕であり、モヴィスターのダブルリーダーの攻撃に、ゲラント・トーマスが献身的な牽引を披露した。バルベルデは2度アタックを仕掛け、2度ともトーマスがきっちりと火を消した。

ラスト7kmまでくると、スカイの山岳最終アシスト、リッチー・ポートがリレーを引き継ぐ番だった。前日の休養日に、今季限りで英国精鋭軍を離れることを宣言したオージーは、親友フルーミーのために驚異的な加速を切った。とてつもないリズム変化が、アルベルト・コンタドールとティージェイ・ヴァンガーデレンの息の根を止めた!

「難解な1日だった。うまく呼吸ができなかったし、脚の乳酸を分解することができなかった。ペースについていけなくて、いわゆるバッドデーだった。だってフルームについていけなかっただけじゃなく、ほかの選手にさえついていけなかったんだから」(コンタドール、チーム公式リリースより)

「上りの序盤10kmはひどく勾配がきつくて、すごく苦しんだ。スカイについていこうとベストを尽くしたけれど、急激なリズム変化についていくことができなかった」(ヴァンガーデレン、ゴール後インタビューより)

そもそもポートの背中に張り付いていけたのは、チームリーダーのフルームとキンタナの2人だけ。2年前のツールでは、総合優勝フルームに次いで総合2位に入ったマイヨ・ブランは、極めて冷静にマイヨ・ジョーヌの後輪に入り込んだかに見えた。しかし、ゴール前6.4kmだった。おなじみのクルクルッという高速ペダル回転でフルームが前に進み出ると、もはやコロンビアの山岳巧者には手も足もでなかった。

「ライバルたちの状態をテストしたいと考えていて、そしてクリス・フルームが優位に立っていることを理解した。彼は本当に強かったし、そのことは認めなきゃならないね」(キンタナ、チーム公式HPより)

ひとりになったフルームは、ただ一心に山頂を目指した。チームメートの頑張りに応えるために。ツール未踏の山に初めての勝者として名を刻むために。ライバルたちとのタイム差を、1秒でも開くために……。マイヨ・ジョーヌは、山頂でハンドルさえ投げた。

「なんていうステージだったんだろう。昨日の休養日に、今日はどんな風に走るべきか考えた。結果、それほど攻撃的に走らないことにしよう、と決めていた。でも、上りでライバルたちが苦しんでいるのを見て取ったから、ゲラントとリッチーに牽引するよう指示を出したんだ。きっとみんな、休息日のツケをうまく解消し切れなかったんだろうね。そして僕はアタックに転じた。もっとも勾配の厳しいパートで。夢のようなシナリオだよ。特にリッチーが2位に、ゲラントが6位に入ったんだからね」(フルーム、公式記者会見より)

キンタナに区間2位のボーナスタイム6秒を与えぬよう、ポートは哀れなライバルをゴール前250mで追い抜いた。笑顔が止まらないポートとトーマスは、しかし、前述のフルーム同様に気を引き締める。「明日は別の日」とトーマスは何度も繰り返し、ポートは「明日こそ注意しないと。ほかのストーリーが待ち受けているから」とフィニッシュラインで語った。ポートは決して忘れてはいないはずだ。2013年第8ステージでフルームが強烈な強さを見せつけ、区間と総合で首位に立った翌日、あらゆるチームが総攻撃を仕掛け、スカイがばらばらに解体されたことを。あのステージも、ピレネーだった。

「過去の出来事から教訓を得た。今後はきっちり守りを固めていく。でも今日の大いなる努力が、今後数日間でどれほど体力的に影響してくるのか、状況を見ていかなきゃならない。とにかく2013年みたいなシナリオが繰り返されないことを願うよ。ただあらゆるチームが今後、上り以外の場所で動きを作り出そうとしてくるだろう。2013年のコンタドールのように、分断や、下りなんかで。この先は、そういう動きに警戒していくさ」(フルーム、公式記者会見より)

たった1つの超級峠で、キンタナは1分04秒、ヴァンガーデレンは2分30秒、コンタドールは2分51秒、ニーバリは4分25秒を失った。総合では2位ヴァンガーデレンが2分52秒差、3位キンタナが3分09秒差とすっかり大きな隔たりができた。またコンタドールは4分04秒差の6位、ニーバリは6分57秒差の10位に沈んでいる。結局のところフレンチ勢で最も健闘したのは、1週目の平地パートで少々苦しんだピエール・ローランだった。フルームから2分04秒差の8位で区間を終えた。1年前の革命記念日はマイヨ・ジョーヌを着て走ったトニー・ギャロパンが、総合では7位と、フランス人としては最も良い位置につけている。

また左精巣に癌が見つかったとして、ティンコフ・サクソのイヴァン・バッソが大会を離れた。開幕時から少し違和感を抱えていたものの、第5ステージの落車以降、痛みが引かなくなったという。ツールのレースドクターの助言により、休養地ポーの病院で午前中に精密検査を受けていた。休養日夕方に母国イタリアへと帰ったバッソは、ミラノのサン・ラッファエーレ病院にて手術・治療を受ける。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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