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フランス共和国大統領フランソワ・オランドの目の前で、フランスの若き2選手は痛いミスを犯した。後方に一切警戒を払わず、お見合いを始めてしまったのだ……!その隙に、34歳の老獪なるスティーブ・カミングスが、高速で先頭をかすめ取った。トラックで鍛えたスピードマンは、そのままテクニカルなラスト1kmをスマートにこなした。今は亡き元南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラの誕生日「ネルソン・マンデラ・デー」に、南アフリカチームの英国人が、MTNクベカに創設以来初めてのツール区間勝利をもたらした。アフリカ生まれの英国人クリス・フルームは、まるで我が事のように喜びつつ、ある件では、怒りを顕にした。
恵みの灰色雲が、ツール一行の上に広がった。マンドの山頂では、時々、遠くで雷がごろごろなる音が聞こえてきたほど。暑いよりは、ずっといい。前ステージの100km地点では路面温度が61度(最高温度は2010年第7ステージの63度)まで上がり、溶けたアスファルトが落車したジャンクリストフ・ペローの傷口に張り付いたとか……。この日はスタート地はいつものように暑かったけれど、ステージ後半は、ほんの少しだけ爽やかな風を感じられた。
レースは相変わらず熱かった。そもそもは20km地点で5人が飛び出し、そこに19選手が合流して、24人の巨大な集団が出来上がった。これが結局のところ、本日のエスケープへとつながった。ただし、すぐにはタイム差を開けなかった。そこから約1時間にも渡って、壮大なる追いかけっこが続いたのだ!
最大の理由は、総合11位のワレン・バルギルが入っていたから。総合上位チームは簡単に妥協するわけにはいかなかった。エスケープ内でも、邪魔者を排除するため、幾度となくアタックの火花を散らせた。バルギルが去り、スタートから65km地点まできて、ようやくメイン集団は手綱を緩めた。前方に生き残った20人選手も、落ち着いて先を進めた。以降、前方と後方とで、2つのレースが繰り広げられることになる。
エスケープには16チームが加わり、しかも第13ステージの区間上位3人(フレフ・ヴァンアーヴェルマート、ペーター・サガン、ヤン・バークランツ)が肩を並べた。前夜の区間2位でマイヨ・ヴェール争いを一気に前進させたサガンは、2013年モンヴァントゥ山頂フィニッシュ、2014年リズール山頂フィニッシュと、常にスプリンターにとっては「ありえない」ステージでポイント収集を成功させてきた。今年はマンドの激坂フィニッシュステージを舞台に選んだ。第一目標はもちろん中間スプリント。ライバル皆無の逃げ集団で、望み通りに1位通過20ptを手に入れた。ポイント賞2位アンドレ・グライペルとの差は44ptと、リードをさらに広げた。
ゴール前50kmで、スカイが静かに率いるメイン集団とのタイム差は6分45秒。逃げ切りが見えてきた。長い谷間を抜け、山地へと再び分け入ると、FDJの3人組が主導権を握った。マチュー・ラダニュとジェレミー・ロワが、ティボー・ピノのために積極的な牽引に乗り出した。昨大会総合3位の25歳は「表彰台候補」としてツールに乗り込んできたのに、第2ステージ分断、第3ステージ「力が出ない」、第4ステージメカトラ、第5ステージ落車、第10ステージ「正直分からない」、第11ステージ「脚がない」etc...と、いつのまにやら35分以上もタイムを失っていた。しかし悪天候の第12ステージでようやくマイヨ・ジョーヌ集団で1日を終え、復活の兆しを見せていた。
2級ソヴテール峠の下りでミカル・ゴラスがアタックを仕掛け、さらにクリスティアン・コレンも飛び出したときも、FDJコンビはピノのために熱心に追走作業を行った。おかげでエスケープの残り18人全員が、最後に立ちはだかるマンドの激坂へ、2人から11秒遅れで飛び込んだ。
坂道で真っ先に仕掛けたのは、ロメン・バルデだった。ピノと同じ1990年生まれの24歳もまた、大会前はフランス期待の星だったのに、総合争いを失敗した1人だった。酷暑のピレネーでは、ひどい体調不良に悩まされた。しかも所属チームのAg2rは、第8ステージで区間勝利を手にしていたけれど、むしろその後は悪夢の連続。通算13回もの大きな落車に巻き込まれ、2人がすでに途中棄権していた。
バルデは3度、アタックした。追いつかれても、執拗に加速した。ゴール前3kmでついに単独先頭に立った。しかしピノも負けてはいない。Ag2rのライバルが攻撃するたび、先頭に立って集団を引き戻した。そしてゴール前2.6kmで単独追走体制に切り替えると、頂に到達するほんの直前に、バルデに追いついた。
バルデvsピノ。フランス全国が「将来のツール総合優勝候補」の対決をわくわくと見守った。ところが2人が得意とする上りが終わり、平坦な、いや、むしろ軽く下り基調のパートに入ると、両者は途端に互いの様子見を始めた。まだゴールまで1.4kmも残っていたというのに。
「ロメンと顔を見合わせてしまった。おのずとスピードは落ちた。すぐに協力し合うべきだったのにね。でも騒音がすごくて、誰かが後ろから追いかけてくる音なんて、まるで聞こえなかった」(ピノ、ゴール後インタビューより)
「ティボーだけをひたすら警戒していた。スプリントに全力を注ぐつもりだった。実はフィニッシュの地形を知らなかったし、ここに下見に来たこともなかったんだ」(バルデ、ゴール後インタビューより)
またAg2rの監督が後に指摘した通り、テレビ中継は、バルデ&ピノとメイン集団のみを交互に映し出していた。そのほかの部分で何かが起こっていたなんて、チームカー内でテレビやレース無線を頼りに展開を追っていた監督も、テレビ画面に釘付けになっていた世界中のファンも、まるで知らなかった。誰も気がつかないうちに、誰も予想さえしていなかった選手が、フラムルージュ直前につむじ風のように2人を追い抜いた。「後ろで苦痛に顔をゆがめていた」(byピノー)はずの、カミングスだ!!
「自分が集団内のベストヒルクライマーじゃないことくらい分かっていた。だから雰囲気に飲み込まれぬよう、周りに合わせて無茶しないよう心がけた。上りさえ終われば、僕向きのファイナルが待っていることを知っていたから。僕は体重が少し重いから、ピノやバルデに対してアドバンテージがあると考えていた。しかも2人は協力体制になかった。だからピノが少しカーブでまごついているうちに、アタックした。コーナリングの上手さは僕の長所の1つ。トラック経験のおかげさ。僕のパワーさえあれば、彼らはきっと追いついてこれないと確信していた」(カミングス、公式記者会見より)
上りを知らなかったバルデに対して、カミングスは2010年パリ〜ニースで上りを1度体験していたことも大いに役立った。なによりネルソン・マンデラ・デーを迎えるに当たって、ステージ前に特別ミーティングを開き、スペシャルヘルメットをかぶり、モチベーション高くレースへと走り出していた。
「まだうまく実感できないよ。ツール・ド・フランスは、僕にとってずっと『夢』だった。まずは参加することを夢見て、それから、ブエルタで区間勝利した後、ツールでの区間勝利も夢見始めた。でも、こんな風に夢が実現するなんて……。今日はチームが僕を信じてくれた。僕に自由に走る権利を与えてくれた。それにしてもネルソン・マンデラ・デーに勝てたなんて、なんて素敵なんだろう」(カミングス、公式記者会見より)
2005年トラック世界選手権の団体追抜で世界チャンピオンに輝き、2004年アテネ五輪ではあのブラッドリー・ウィギンスと共に団体追抜銀メダルを獲得したカミングスの背後で、フランスの若い2人は戦いを終えた。「2位は何の意味もない」とピノは吐き捨て、「崩れ落ちてしまった」とバルデは肩を落とした。また4位リゴベルト・ウランに続いて、サガンがなんと5位でフィニッシュを果たした。バルデ、ピノと同じ1990年の怪童は、マイヨ・ヴェール用ポイントをさらに17pt上乗せして、グライペルとの差を61ptに開いた。
後方のもう1つのレースも、マンドの坂道で大きく動いた。ナイロ・キンタナが真っ先に切れ味鋭いアタックを繰り出した。ヴィンチェンツォ・ニーバリも共鳴した。リッチー・ポートに丸々1日休暇を出し、チームメートたちには山の麓まで引くように指示していたクリス・フルームは、ほんの少し出遅れるも、じわじわと、確実にキンタナに追いついた。一方でティージェイ・ヴァンガーデレンは脱落し、続いてニーバリも下がっていった。さらにキンタナとフルームが一緒に飛び去っていく背中を、アレハンドロ・バルベルデやアルベルト・コンタドールは遠くからただ眺めるしかなかった。
「調子が良かったから、自分の脚を試したかった。ライバル達がどんな動きをするのかも見たかった。そして、僕らの夢である、マイヨ・ジョーヌ獲得は不可能ではないのだ、ということを理解した。アルプスでは、フルームは我々に注意せねばならないよ」(キンタナ、ミックスゾーンインタビューより)
そんなことフルームはとっくに承知している。だからこそフィニッシュでは無我夢中でスプリントを切って、ハンドルを投げてまで、キンタナから1秒をもぎ取ったのだ。「1秒でも取れるものは取っておかないとね」(ミックスゾーンインタビューより)というように。つまりキンタナはマイヨ・ジョーヌ相手に1秒を失ったが、総合では2位(3分10秒差)に格上げとなった。40秒失ったヴァンガーデレンは総合3位(3分32秒差)に一歩後退。また総合4位バルベルデ(4分02秒)、5位コンタドール(4分23秒)と続く。
マイヨ・ジョーヌ記者会見にやってきたフルームは、質疑応答の前に、自らマイクを持って語り始めた。カミングスへの祝福、チームメートへのねぎらいと感謝、キンタナのアタックに応えられたことへの満足感、他のライバルたちからタイムを奪えたことの喜び……を語った後に、衝撃的な報告が行われた。
「ひどく残念なことに、50〜60km地点で、観客が小さなコップに入った尿を2杯、僕に浴びせかけてきた。『ドーピング野郎!』と叫びながら。ひどく失望させられた。受け入れられない事態だ。もちろん、こんな行為を働くのが、ごくごく一部の人間であることは分かっている。これも一部のメディアが、非常に無責任な情報を垂れ流ししているせいなんだ。3日前の僕の勝利や、チームについて、無責任な内容の記事が書かれている。これもまた、受け入れられない事実だ」(フルーム、公式記者会見より)
穏やかに、しかし毅然とした態度でフルームは語り続けた。かつてのランス・アームストロングのような挑発的なセリフを吐くわけでもなく、2012年のブラッドリー・ウィギンスが「ファッ×ン」と吐き捨てて記者会見場を後にしたような無謀さもなく、丁寧に、口元に笑みさえたたえながら、マイヨ・ジョーヌは「プロスポーツ選手としてリスペクトして欲しい」と訴えた。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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