人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

サイクル ロードレース コラム 2015年9月4日

【ブエルタ・ア・エスパーニャ2015】第12ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
  • Line

ぎりぎりの追走劇の果てに、今大会4度目の大集団スプリントで1日は締めくくられた。実力と知名度ならナンバーワンのはずのジョン・デゲンコルブは、またしてもポジション取りに失敗し、4度目の苦杯を嘗めた。ゴール直前のメカトラブルをモノともせず、22歳のダニー・ファンポッペルが、初めてのグランツール勝利に歓喜した。

ほんの2週間ほど前は、豪華キャストの勢揃いが、大いに話題を呼んだはずだった。しかし、ヴィンチェンツォ・ニーバリやティージェイ・ヴァンガーデレンに続いて、また1人、総合争いのビッグネームがスペインを去った。2015年ツール・ド・フランス覇者は、前日のスタート直後に縁石に激突した。それでもペダルを回し続け、6つの峠を上り切った。右足舟状骨を骨折し、松葉杖がなければ歩けないほどの重症だったというのに……!勇敢なるチャンピオンは、この日の朝、静かに大会を離れた。

同じく前日のスタート直後に発生した、セルジオ・パウリーニョとTVカメラ用オートバイの衝突→リタイアは、自転車界に大きな波紋を生じた。今大会だけで所属選手2人がオートバイ事故に巻き込まれたティンコフ・サクソは、大会のボイコットさえ口にした。スタート前の話し合いで、幸いにも、チームはレース続行を決定した。また昨年から3選手がレース中の車両事故に巻き込まれたBMCも、ティンコフに続いて、UCI国際自転車競技連盟へ公開書簡を送った。さらにCPAプロ自転車選手会は、関係者による緊急安全ミーティングを開催すべきだと提案。今後の対応が注目される。

肝心のレースの方は、下り基調を利用して、スタートから7km地点で5選手が逃げ出した。アレクシー・グジャールにマキシム・ブエ、ミゲール・ルビアーノ、ヤコブ・ヴェンター、さらには第7ステージですでに逃げ切り勝利をもぎ取っているベルトイヤン・リンデマンは、メイン集団から最大5分40秒ほどのリードを許された。厳しかった山越えの翌日に、総合勢たちは、静かな1日を過ごすことに決めていた。新マイヨ・ロホのファビオ・アルとアスタナのチームメートたちは、ステージ前半の2級峠を問題なく切り抜けると、集団の制御権をあっさり手放した。代わってジャイアント・アルペシンが、プロトン前列でタイム差調整に努めた。

ただ、ジャイアント列車は、連日の集団コントロール作業で疲れ果ていたのかもしれない。デゲンコルブのために、さらにはマイヨ・ロホを3日間着用し、現在も総合3位につけるトム・デュムランのために、序盤から仕事のし通しだった。しかもエスケープ集団には、見事にタイムトライアル強者ばかりが揃っていた。

ラスト50kmで2分半にまで縮まったタイム差は、残り20kmを切っても、いまだ2分も残っていた。すでに随分と前から、トレックファクトリーレーシングも追走に手を貸していたけれど、思うように距離は詰まらなかった。いつしかランプレ・メリダも協力を始めた。牽引する者たちの顔に、必死さが、にじみ出ていた。

「ラスト30kmは、全力で走った。残り18kmでも、いまだ2分差があることを告げられて、(逃げ切りを)信じ始めた。そして、どうやってフィニッシュを戦おうか、頭を巡らしだした」(ブエ、チーム公式HPより)

ゴール前11.5km、タイム差は約1分。ここでトレックのスプリンター、ダニー・ファンポッペルにパンクのアクシデントが襲いかかる。

「とにかくすばやく交換して、チームカー隊列に滑り込んだ。プロトン前方のチームメートは前を引くのをやめて待っていてくれたし、フランク・シュレクとヤロスラフ・ポポヴィッチが、僕を前方まで引き戻してくれた。ポポは素晴らしい仕事をしてくれた。僕をデゲンコルブのすぐ後ろのポジションまで、連れて行ってくれたんだからね」(ファンポッペル、チーム公式リリースより)

父も兄も自転車選手のファンポッペルと同じく、父も弟も自転車選手だったシュレクは、「あのパンクで、逆に変なプレッシャーが抜け去ったのかもね」(ゴール後TVインタビューより)と語ったが、しかし、この時点では、いまだ逃げ吸収さえ確実ではなかった。ゴールまで5kmで、差は30秒。もはやトレックやランプレは牽引を打ち切り、残されたジャイアントのアシストが、1人で孤独に奮闘を続けているだけだった。

幸いだったのは、その後、BMCやロットNL・ユンボが最後のひと押しに参加してくれたこと。また、残り3kmで、グランツール初参加のグジャールが我慢しきれずにアタックを打ってしまったことも、エスケープの分裂を招いた。それまで一致団結して、先頭交代を続けてきたのに……。

「それから、ヴェンターがラスト1kmでアタックを仕掛けた。目印代わりに、少し彼を先に走らせておいてから、彼をとらえて前へ出た。後ろは振り返らなかった。プロトンに飲み込まれつつあるような感覚を覚えた。それでも、全力を尽くした」(ブエ、チーム公式HPより)

ほんの、300mほど、逃げ集団には足りなかった。プロトンは恐ろしい勢いで5人を巻き込むと、そのままフィニッシュラインへと突き進んでいった。もはや「列車」と呼べる整然とした隊列など、存在しなかった。混乱を一番に抜けだしたのは、ファンポッペル家の弟だった。胸のチームロゴを誇らしげに指差し、何度もガッツポーズを握りしめた。

「第1週目は調子が良くなかったし、暑さに苦しめられて、チャンスを逃してきた。だからちょっと自分に腹を立てていたんだ。今日は再びチャンスが巡ってくると分かっていた。だから責任を引き受けた。それにチームが1日中、僕のために牽引し続けてくれたことで、モチベーションがものすごく上がった。本当に、スペシャルだったよ」(ファンポッペル、チーム公式リリースより)

ダニーの父ジャンポールは、ツール・ド・フランス区間9勝&マイヨ・ヴェール1回、ブエルタ・ア・エスパーニャ区間9勝、ジロ・デ・イタリア区間4勝の名スプリンターだった。ちなみに父の初勝利は23歳(1986年ジロ)の時だったから……、22歳でグランツール初勝利を引き寄せた息子もまた、この先、輝かしいキャリアを積み重ねていくのかもしれない。

一方のデゲンコルブは、抜け出すスペースを見つけられず、トップスピードに乗る間もなく封じ込められた。3位、2位、2位と来て、4度目のスプリントフィニッシュを5位で終えた。昨大会で4ステージをもぎ取った強者にとって、次の完璧なるスプリント機会は、最終日マドリードまでお預けとなる。

もちろん、本気で取りに行くつもりなら、第13ステージの3つの山くらいデゲンコルブに越えられないこともなさそうだけれど……。やはり前評判通りに、今大会3度目の、エスケープによる逃げ切りが決まる確率のほうが高そうだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

J SPORTSで
サイクル ロードレースを応援しよう!

サイクル ロードレースの放送・配信ページへ