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足首を痛めて、春から初夏にかけての丸々4ヶ月を、棒に振った。ようやく走り出せたのは、7月末からだった。だから体力と気力だけは、誰よりもフレッシュだった。アレッサンドロ・デマルキが、超級山頂のてっぺんで嬉しい勝ち名乗りを上げた。霧に紛れて、後方では、総合争いが大胆に繰り広げられた。マイヨ・ロホのファビオ・アルは猛然と加速を切った。前日まで体調不良に苦しんでいたナイロ・キンタナが、ついに復調の走りを見せた。
延々49kmも続いたアタック合戦を、制した甲斐があったというものだ。実は前ステージも、デマルキは50km以上もの競り合いを勝ち抜いて、エスケープに滑りこんでいた。そもそもこの日に逃げた5選手中、デマルキを含む3人が、2日連続の挑戦だった。ホセホアキン・ロハスも、ミカエル・シェレルも、24時間前に、共に失意にくれた仲間だった。一方で前夜はメイン集団で終えたサルヴァトーレ・プッチォとカルロス・キンテーロが、新たな逃げの友に加わっていた。
総合上位が何人も隠れていた前日のエスケープとは違って、この日の5人は、揃ってマイヨ・ロホから1時間以上の遅れを喫していた。だからアスタナには、厳密なるタイム差制御を行う必要はなかった。7人全員できっちり隊列は組んでいたけれど——すでにヴィンチェンツォ・ニーバリとパオロ・ティラロンゴは大会を去っている——、ステージの大部分は、ただ淡々と一定リズムでペダルを回し続けただけ。あっさりと最大10分近いリードを与え、最終峠の麓まできても、タイム差はいまだ9分半のままだった。
おかげで逃げの5選手は、余裕を持って、全長18kmの山道へと挑みかかることができた。早めに脱落する選手もいなければ、早めに抜け駆けする輩もなく、5人はひたすら黙々と先頭交代を続けた。ただBMCのシアンドリ監督によれば、「実はすごい神経戦が繰り広げられていた」(チーム公式HPより)そうだけれど。
というのも、実は超級……とは言っても、距離こそ今大会2番目に長いものの(最長は第7ステージの最終峠18.7km)、平均勾配5.5%、最大9%と、ブエルタにしては「平凡」な山だったから。つまり真のヒルクライマー向きというよりは、むしろルーラーやスプリンターにも攻略可能な山だった。それでも、5人の中では比較的クライマー度の高いシェレルが、一番にアタックを仕掛けた。すでに逃げ距離は160kmに達し、山頂までは4.5kmに迫っていた。
追走を請け負ったのは、デマルキだった。ルーラーのプッチォが少々苦しみ、スプリンターのロハスやヒルクライマーのはずのキンテーロが一切の責任を放棄したのに対して、かつて個人&団体追抜で何度もイタリアチャンピオンに輝いてきたトラックライダーは力強いダンシングで追いかけた。一旦全員が合流した後、再びゴール前2.5kmでシェレルが加速を切ると、やはりデマルキがきっちり潰しにやって来た。
「2回アタックを試みたのに、2度とも、デマルキが、かなり楽々と僕のところまで追い付いてきた。あれで精神的ダメージを喰らってしまった感じがあるね。『ああ、僕が勝つのは難しいだろうな』って悟ってしまった」(シェレル、ゴール後インタビューより)
残り1.9kmで、突如ロハスが切れ味するどい飛び出しを見せると、それでもシェレルは追いかける意欲を見せた。しかし、体力が、もはや残っていなかった。ツール・ド・フランスを総合18位で走り終え、少々疲れ気味のフレンチライダーの背後から、代わってデマルキが素晴らしいカウンターを決めた。勝利への、アタックだった。
「ほんの少しの幸運と、正しいタイミング。そして僕には、高速アタックを打つだけのエネルギーが残っていた。本当にラッキーだよ。だって僕が最強だとは思ってもいなかったから」(デマルキ、チーム公式HPより)
2015年ツール・ド・フランスのスーパー敢闘賞は、昨ブエルタの第7ステージに続く、人生2度目のグランツール区間勝利を手に入れた。しかも左足首の腱炎に長い間苦しんできたデマルキにとって、今季初めての、つまりBMC入りしてから初めての勝利だった。初日のチームタイムトライアルを勝ち取った後、少々バッドニュース続きだったBMCにとっても——総合リーダーとして大会に乗り込んできたティージェイ・ヴァンガーデレンが第8ステージで落車リタイアし、しかもこの日は、総合20位につけていたサムエル・サンチェスが、右足爪の感染症を理由に大会を去っていった——、ほっと嬉しい成功だった。
後方のメイン集団では、山へ入った途端に、モヴィスターがアスタナから先頭ポジションを奪い取った。前日にデマルキと共に24人の逃げに乗り、最終盤にはロメン・シカールのために大いに力を尽くした新城幸也もまた、前線で牽引役に務めた。
しかし、ゴールまで11kmに近づくと、改めてアスタナが主導権を取り戻した。ルイスレオン・サンチェスが一気にスピードを上げ、プロトンはまたたく間に小さくなった。ゴールまで5kmに近付くと、ダリオ・カタルドがさらに加速をもう一段。集団は散り散りとなった。そして、残り3km。ミケル・ランダが、仕上げとばかりに、山道でスプリントをかけた。そこから発射されたのは、もちろん、赤いジャージだった!
ジロ総合2位ファビオ・アルの猛攻にピタリと張り付いていったのは、ツール総合2位のナイロ・キンタナだけだった。ジェスパー・ハンセンもしばし奮闘するも、すぐについていけなくなった。それ以外の総合勢はといえば……、総合3位トム・デュムランに追走の責任を押し付けて、しばらく様子見に終始していた。
「アルが加速した時、付いて行こうと無理に努力することで、力を使い果たしてしまうのが怖かった。だから僕は待ったんだ。おかげで少し、体力を回復することができた。あれが僕の1日を救った」(ホアキン・ロドリゲス、チーム公式HPより)
そのうち、様子見、なんていう悠長な状況ではなくなった。理由の一つは、山肌が、真っ白の霧に覆われていたから。一寸先も見えない状況で、アルやキンタナを先に行かせるのは、あまりに危険すぎた。総合5位につけていたエステバン・チャベスが、数人のライバルを引き連れて突進した。「プリト」もまた、流れに乗って、前線への復帰を果たした。
そして残り1kmの、最も勾配の厳しいパートで、ついにキンタナが仕掛けた。ロドリゲスだけがしぶとく追いかけたが、次第に引き離されていった。大会第1週目に奮闘したチャベスも、ラスト3kmから加速を続けてきたアルも、粘り切るだけのエネルギーを残していなかった。……ただし、ライバルにとっては幸いなことに、本人にとっては不幸なことに、病み上がりのキンタナは、他を大きく引き離せるほどの体力を回復していなかった。
「調子は良かったし、脚が上手く反応できるようになってきた。でもまだ胃が痛むし、ウィルスに苦しんだ後遺症が残ってる。完全にリカバリーしたわけではないんだ」(キンタナ、ゴール後TVインタビューより)
濃霧の中で繰り広げられた熱戦は、結局のところ、それほど大きな差を作り出さなかった。勝者デマルキから3分32秒後にフィニッシュしたキンタナは、ロドリゲスをほんの6秒、チャベスとアルを7秒上回ったに過ぎない。なにより、「ルーラー向け」の山で、デュムランもキンタナから26秒しか失わなかった。
「今日はOKだ。最高の一日ではなかったけれど、上手くタイムロスを食い止めることができた」(デュムラン、チーム公式HPより)
それでも、総合でマイヨ・ロホのアルから2分以内につけるのは、前日の8位以上から、5位以上へと数を減らした。2位ロドリゲス(26秒差)に続き、デュムランは3位に踏みとどまった(49秒差)。チャベスは4位に浮上し(1分29秒差)、ほんのわずかなタイム損失でラファル・マイカが5位に後退した(1分33秒差)。キンタナは総合11位(3分07秒差)から9位(3分差)へ小さく浮上したに過ぎない。また前日トップ10入りを果たしたシカールは、この日も総合10位にしっかり居座っている。
200kmを超える長い1日が終わり、2015年ブエルタもいよいよ最後の1週間へと突入する。15ステージの終わりには、いかにもブエルタらしい、激勾配を織り交ぜた1級峠がそびえ立っている。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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