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ずっと待ち望んできた成功だった。2011年クリテリウム・アンテルナシオナルで区間と総合を制して以来、実に4年半ぶりに、国際レースの舞台で両手を天に突き上げた。35歳のフランク・シュレクが、誇り高く、独走勝利を決めた。総合争いでも、ベテランが再び意地を見せた。前夜マイヨ・ロホに1秒足りなかったホアキン・ロドリゲスが、この日は逆転の1秒差で総合首位の座を奪い取った。
スタートから同時に道は上り始めた。目の前には恐ろしい7つの山が待ち構えていた。それでも、翌日に2度目の休養日を控えて、10選手があらん限りの努力をすることに決めた。少しずつ飛び出して行き、20km地点でエスケープ集団は完成した。幸いにも、かなり早い時点で逃げ切りを確信することができた。なにしろ、山をようやく7分の2終えた後に、メイン集団とのタイム差は22分も広がっていたから!
おかげで、エスケープに滑り込んだオマール・フライレは、目標である山岳ポイント収集に集中することができた。7分の5で首位通過を果たし、残す2つの山でもポイントを積み重ね、この1日だけで27ptを荒稼ぎした。第3ステージから青玉ジャージを死守してきた25歳は、通算ポイントを82ptに伸ばし、2位以下とのポイント差を55ptに開いた。大会も残り5ステージで、等級のつく峠は全部で9つ。取得可能な最大ポイントは64pt。つまり展開次第では、第18ステージの終わりに、早くもフライレのマドリード表彰台が確実となる計算だ。
その他の9人は、ひたすら区間勝利を考えて、7分の5までは静かに協力体制を続けていた。ところが、いよいよ6番目の山に差し掛かると、シュレクが野心をむき出しにする。2011年ツール・ド・フランス総合3位がハイペースで先頭を引き始めると、逃げの友たちは、たまらず次々と脱落していった。
「今大会には、総合上位入りを狙って来た。でも、落車のせいで、目標を見直さざるを得なかった。区間勝利に集中し、総合は諦めることにした。その時から、このステージのことを考えてきた。今日は逃げよう、とあらかじめ計画していた」(シュレク、公式記者会見より)
シュレク「兄」にとって、最後に残ったライバルは、ロドルフォアンドレス・トレスだった。しかし、プロ生活も13年目(うち1年半は出場停止処分+チーム未所属のため走っていない)を数えるベテランは、このコロンビア人ヒルクライマーについての知識を、一切持ち合わせていなかった。というのもトレスの欧州のレース転戦歴は、わずか2年目でしかない。
「トレスに対して、あまり自信が持てなかった。彼について何も知らなかったから、すごくナーバスになっていた。他の選手たちのことは知っていたんだけど、でも、彼についてはさっぱり。何が出来る選手なのか、どんな調子なのか、一切分からなかった」(シュレク、公式記者会見より)
7つ目の、この日最後の上りの入り口で、ほんの少しだけ、トレスの数メートル後ろを走ったこともあった。もしかして、相手の実力を、正確に見極めるためだったのかもしれない。逆にゴール前3.3km、21.67%という激勾配を利用して、シュレクは一気に走行リズムを上げた。そして最難関ゾーンを抜けた直後に、ついに、残す1人も力尽きた。フランクは独走態勢に入った。
「ずいぶんと久しぶりの勝利だね。長くて辛い1日だった。でも調子は良かった。でも、上手くやるためにしっかりと自分自身を律してきたし、このためにハードに練習もしてきた。僕はこの勝利に値すると思うよ」(シュレク、公式記者会見より)
弟アンディは、ブエルタ未勝利のまま、昨季プロ生活を終えている。なにかと才能を比べられることの多かった兄弟だけれど、兄フランクは、少なくとも、ブエルタで区間1勝を手に入れたことになる。ちなみに、父親のジョニーもまた、1970年大会で1区間勝利している。
ステージ中盤からカチューシャが制御し、終盤はティンコフ・サクソが牽引に勤しんだメイン集団は、10分半近く遅れて最終峠に飛び込んだ。山道が始まると、マイヨ・ロホ擁するアスタナがテンポを刻み、パヴェル・ポランスキーが先に立って、ラファル・マイカのために猛烈なスピードアップを試みた。ブエルタ初登場のエルミタ・デ・アルバは、地元記者が「ミニ・アングリル」とびっくりしたほど厳しかった。道幅のひどく細い激坂で、多くの有力選手が願ったのは、「トム・デュムランをできる限り引き離すこと」。
しかし、オランダのタイムトライアルスペシャリストが、集団前方にしっかりと控えていた一方で、肝心のヒルクライマーのアルのほうが……メイン集団後方で苦しそうに走っていた。
「僕は調子が良かった。脚は非常によく動いた」(デュムラン、チーム公式HPより)
「難しい上りだった。上り序盤は、ついていくことが難しいほどだった」(アル、ゴール後インタビューより)
アルの苦しみを知りつつも、チームメートのミケル・ランダは、集団先頭で一定のテンポを刻みつづけた。アンドラの今ブエルタ女王ステージを制したバスク人は、マイヨ・ロホが脱落しないギリギリの速度を、知っていたのだろうか?真っ先に落ちたのは、アルでも、デュムランでもなかった。ゴール前2.5kmでは(前ステージ終了時点で)総合8位アレハンドロ・バルベルデが、ラスト2kmで総合5位エステバン・チャベスが、さらに残り1.6kmでは総合6位ダニエル・モレノが、じわじわと後退して行った。
しかも、ラスト1.5kmでデュムランは一度遅れをとるも、自力でライバルたちの元まで立ち戻る、そんな執念深さも発揮した。最終的にはゴールまで900mまで、なんとかマイヨ・ロホ集団にしがみついた。
「またしても、タイムロスを最低限に食いとどめることができた。結局のところ、先に行ってしまったのはほんの小さな集団だけで、ほとんどの総合系選手は僕と同じように孤立させられていた。最後は、自分のやり方で、フィニッシュまで戦った」(デュムラン、チーム公式HPより)
それこそフィニッシュラインまで激勾配が続く山道の、ラスト800mで、ロドリゲスがアタックを打った。マイカもナイロ・キンタナも遅れて加速を試みたが、長くは努力は続かなかった。むしろ最後まで夢中で追いかけ続けたのは、真っ赤なジャージ姿のアルだった。
「まるで気に留める必要もないほど、たいしたことない差だ」(アル、ゴール後インタビューより)
プリトが悠々と山頂にたどり着いたわずか2秒後に、アルはふらふらになりながらもラインを越えた。つまり1秒差で守っていたマイヨ・ロホを、1秒差で失うことになった。
「この1秒リードという状況に、当然だけど、興奮させられたりはしない。でも、とにかく、今ブエルタでは、すでに自分が予測していた以上の成功を収められている。だって区間1勝に、こうしてマイヨ・ロホさえ着ているんだから。最終目標は、マドリードで、表彰台に上がること。もしかしたら、最上段で終われるかもしれないよね?」(ロドリゲス、公式記者会見より)
3年ぶりに、マイヨ・ロホに袖を通したロドリゲスは、休養日明けの第17ステージ、「最終走者」として個人タイムトライアルに挑む。2位アルとは1秒差、3位マイカとは1分35秒差、4位デュムランとは1分51秒差で走り出す。
「最高のタイムトライアルにする必要がある。最大限を尽くすよ。デュムランとの差は2分以内だから、厳しい戦いとなるだろう。でも、不可能ではない。明日の休養日に彼はしっかり体力を回復してくるはずだけど、僕らだって戦うさ」(ロドリゲス、公式記者会見より)
昨季の世界選手権個人タイムトライアル3位のデュムランは、今季個人TTだけで3勝を挙げている。うち1つが、バスク一周の最終ステージだ(18.3km)。2位には4秒差で、あのプリトが食い込んでおり(総合優勝も獲得)……。ただし、好走の真実は、ヒルクライマーにも優位に働く、そんなアップダウンコースだったから。一方で休養日明け、水曜日の真剣勝負は、最初から最後までほぼフラットな道が続く全長39kmの道のりだ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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