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サイクル ロードレース コラム 2015年9月11日

【ブエルタ・ア・エスパーニャ2015】第18ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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逃げ切りが決まる。そう予測されていた。確かにニコラス・ロッシュは、逃げ切り勝利をもぎ取った。ただし、マイヨ・ロホ集団とはわずか38秒差の、ぎりぎりの逃げ切りだった。後方では3秒差を巡って、厳しいバトルが繰り広げられた。総合2位ファビオ・アルが何度も攻め立て、マイヨ・ロホのトム・デュムランも1度だけジャブを打った。その他の総合上位勢も、それぞれに攻撃を繰り出した。熱かった1日は、大いなる引き分けで終わった。デュムランとアルのタイム差は3秒のまま。総合上位12人の順位やタイムもまた、一切の変動はなかった。

マドリード到着前の、逃げチャンスは、残り3回。うち1回は1級峠×4の難関山岳ステージだから、つまり、大部分の選手にとっては18・19の両ステージが最後の機会となる。この日は5選手がスタートラインに並ばず、さらに小さくなった162人の集団は、いつにも増して猛スピードで走り出した。時速50kmもの超高速で、アタック合戦は延々1時間続いた。前日に続き鼻血に悩まされた新城幸也は、チームカー隊列に下がり、軽い治療を受けているうちに、飛び出しの波に乗り遅れた。そして50km地点を過ぎた頃、25人のエスケープ集団が出来上がった。

「40人が逃げたとき(第10ステージ)も、僕らジャイアント・アルペシンはしっかりコントロールできたからね。だから、逃げ集団の制御に関しては、まったく心配していない」(デュムラン、スタート前インタビューより)

むしろ、逃げ集団が最後まで行ってくれたほうが、マイヨ・ロホには都合が良かった。だって中間ポイント(最大3秒)&フィニッシュ地点(最大10秒)で発生するボーナスタイムを、ライバルに取られる心配がなくなるから。だから、ただ淡々と、ジャイアント隊列はテンポを刻んだ。最大6分半ほどの余裕を与えた。エスケープ内の総合最上位が13分38秒遅れのバルト・デクレルクだったから、デュムランの立場が揺らぐ恐れもなかった。

ところが、レースの主導権は、ドイツチームの手中にずっと収まっていたわけではない。まずはMTNクベカが静かに前方へ割り込んだ。例のデクレルクの存在が、癇に障った。なにしろ総合10位ルイ・メインティスと、このベルギー人との総合タイム差は、6分37秒でしかなかったから。「グランツール総合10位」の地位を守るため、南アフリカチームはペースを速めた。

力ずくで集団先頭に詰め掛けたのは、アスタナだった。ゴールまで55kmに近づくと、チーム7人全員で隊列を組み上げ、速いリズムを刻みだした。逃げ集団とのタイム差は、いまだ5分残っていた。

アスタナの締め付けは、ラスト35kmで、一気に厳しくなる。理由は総合3位ホアキン・ロドリゲスが、「フエンテ・デ」的なアタックをしかけたから。すぐに謀反は鎮められた。しかし、これをきっかけに、水色列車は今まで以上のスピードを強いた。前方とのタイム差も急速に縮まっていった。

生き残りをかけたエスケープ集団内の戦いは、1級峠直前に勃発した。数的有利を誇っていたロット・ソウダルの動きを利用して、シリル・ゴチエが独走を始めた。逃げの友たちは、しかし、諦めてはいなかった。じわじわと距離を詰めていくと、山の中腹で、フレンチライダーを捕らえた。続くカウンターアタックで、フィニッシュまで先頭を突っ走る権利を手にしたのは、ロッシュとアイマル・スベルディアだった。

「スベルディアと2人になってすぐに、お互いの意見が一致した。最後まで逃げ切りたければ、協力し合うべきだ、って。もしかしたら、ゴール前3、4kmで向こうが軽くアタックをかけてくるかも、と考えたけれど、実際はそんなことなく上手く協力し合った。だって、もたもたしている時間なんか、まるでなかったから」(ロッシュ、公式記者会見より)

なにしろ後ろからは、ボーナスタイムを狙うマイヨ・ロホ集団が、恐ろしい勢いで迫ってきていた。逃げ集団から単独で追いかけてきたホセイシドロマシエル・ゴンカルヴェスだって、ほんの20秒ほど後ろにいた。だから2人には、協力し合う以外の選択肢はなかった。ラスト1kmまで、先頭交代をきっちり行った。それからようやく、スプリントへの小さな駆け引きを行った。

「スベルディアが経験豊かな選手だということは知っていたし、クラシカ・サン・セバスチャンでは小集団スプリントで彼に負けたこともあった。だから、データの上では僕のほうが速いはずだったけど、上手く立ち回る必要があることは分かってた。猫とネズミの追いかけっこをするのではなく、速いスピードでそのまま駆け抜けることに決めた」(ロッシュ、公式記者会見より)

ラスト100mで加速したロッシュは、そのままスベルディアに先行を許すことなく、フィニッシュラインを真っ先に駆け抜けた。第10ステージまで総合4位につけていながらも、落車で臀部を痛め、総合争いから放り出された。それでも、「自分にぴったりなスペイン一周」を投げ出したりしなかった。第3週に、きっと自分が輝ける日がやってくる、そう信じて走り続けてきた。思いは実った。1987年にジロ・ツール・世界選手権の同一年制覇「トリプルクラウン」を成し遂げたステファン・ロッシュの息子であり、そしてこの秋には「(ブエルタのスポンサーブースで働く)デボラさんの夫」となる31歳が、2年ぶり2度目のスペイン一周区間勝利を手に入れた。

そのわずか38秒後に、総合1位から12位までの全選手を含む小集団が、フィニッシュラインへと雪崩れ込んだ。ゴンカルヴェスが18秒差で区間3位に滑り込んでいたから、ボーナスタイムはもはや残っていなかった。

ただ、ラスト20kmは、それこそアタックの応酬だった。きっかけを作ったのは、3秒差でマイヨ・ロホを追い求めるファビオ・アルだ。

「ハードだった。実際に、最初のアタックは、かなり強烈だったね」(デュムラン、公式記者会見より)

ダンシングで弾けるように飛び出したアルの後輪に、シッティングでデュムランは貼りついた。まさしく「ぴたり」という表現が相応しいほどに。

「勾配がそれほどきつくなかったからね。たとえ、もっと勾配がきつかったとしても……、僕にはいい脚があったんだけど。とにかく、僕は決して崩されなかったし、何の問題も抱えなかった」(デュムラン、公式記者会見より)

アルは少なくとも、4回のアタックを仕掛けた。前日のタイムトライアルの好走で、総合6位に浮上したアレハンドロ・バルベルデもまた、幾度となく攻撃に転じた。総合4位ラファル・マイカや総合7位エステバン・チャベス、総合9位ミケル・ニエベも突撃を試みた。1級峠からの下りでは、総合5位ナイロ・キンタナも、まさかのダウンヒル特攻に打って出た。しかし、デュムランがアルを決して逃がさなかったように、例えばアルはバルベルデやマイカを逃がそうとはしなかったし、ロドリゲスやキンタナはチャベスを決して逃がさなかった。

「僕自身だって、ラスト4kmでアタックしたほどだ。アルがエネルギーをかなり消耗したことを見て取った。だから、ダニエル・モレノが動いた時に、カウンターアタックを仕掛けてみた」(デュムラン、公式記者会見より)

モレノ、バルベルデ、チャベスが間髪おかずについて来たのを見て、デュムランは自らスピードを緩めた。その後も小さな企てが途切れることはなかったけれど、最終的には18人による「区間4位争い」のスプリントで締めくくられた。マイヨ・ロホのトム・デュムランは、ただ集団内で静かにステージを終えるだけでよかった。

「精神的にはきつかったよ。あっさり脱落したほうが、よっぽど精神的には楽だっただろうね。でも、調子が良かったし、自分がアルについていけることも分かってた。だからレッドジャージを守るために、すべてを尽くした。それに今日、何の問題もなく終えられたことで、この先への自信が増した」(デュムラン、公式記者会見より)

ちなみに小集団スプリントは、バルベルデが制した。いまだに「表彰台を諦めない」と宣言する35歳だが、ポイント賞による表彰台ならば可能かもしれない。2012年と2013年にすでに緑ジャージを勝ち取った俊足は、現時点では首位ロドリゲスをわずか2pt差で追いかけている。またオマール・フライレの山岳賞が、マドリードまで3日を残して、早くも確定した。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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