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穏やかで、静かで、ほっとするような1日の終わりに、旨みがぎゅっと詰まっていた。大集団スプリントフィニッシュの予定調和をぶっ壊そうと、勇敢な者たちが前方でレースを引っ掻き回した。ラスト1kmのアーチを潜った直後に、ロジャー・クルーゲも前方へと思い切って飛び出した。前を行くフィリッポ・ポッツァートをライン250m手前で追い抜き、そして残り50mで後ろを振り返ると、全てを一瞬で理解した。この日は自分こそが、地球上で一番幸せな男になったことを。
晴れてはいるけれど暑くはなく、起伏は少々あるけれどそれほど厳しくなく、むしろ後半は延々平坦な大地が続いた。あまりに暴力的だった山の短距離走を無事に抜け出した162人の選手たちは、のんびりと自転車旅を楽しんだ。
特にマリア・ローザ&表彰台争いの選手にとっては、フレンチアルプスの2連戦の前の、ほんのちょっとした息抜きとなった。加熱した最終盤を除いては、ただ淡々と、時に笑顔で、ペダルを回し続けた。総合上位には、順位にも、秒差にも、一切の変更はなかった。
「でも、長い、長い1日だったよね。本当に、静かではあったけれども。とにかくチームが何事も起こらぬよう、良く働いてくれた」(クルイスウィク、ゴール後インタビュー)
ステージ序盤のアタック合戦さえも、本日はお休みだった。スタートから2kmでダニエル・オス、パヴェル・ブラット、エウゲルト・ズパが飛び出すと、異論を唱えるものは皆無だった。3人は最大6分のリードを許され、おかげでプロトン内でも屈指のルーラーたちは、ロングエスケープを思い切り満喫することができた。中でもオスは、中間スプリントで2度の首位通過を果たして「中間スプリント賞」首位に踊り出た上に、さらには逃げ距離193kmを加えて「大逃げ賞」の首位の座を堅守した。
赤いポイントジャージを狙う選手にとっては、大切な出動日だった。コース上には4級峠が1つしかなかったから、青い山岳ジャージのダミアーノ・クネゴは、ゆったり構えていることができたけれど……。なにしろ、決して勝たないけれど2位1回・3位2回・4位1回でこつこつポイントを積み重ねてきた首位ジャコモ・ニッツォーロと、区間2勝+難関山岳での逃げで2位の座に控えるディエゴ・ウリッシとの差は、前夜の時点でわずか8ptでしかなかった。熾烈なポイント収集合戦は、避けられなかった。
しかも、52pt差と遠く離されてはいたものの、3位マッテオ・トレンティンも戦いに乱入してきた。コース上に2つ用意された中間ポイントでは、逃げる3人の背後で、3人がスプリントを繰り広げた。結果はいずれも、さすがエーススプリンター、ニッツォーロが4位通過6pt×2をきっちり懐に入れた。エースパンチャーのウリッシが6位→5位通過で計7ptを獲得し、マルセル・キッテル棄権後の代替エースのトレンティンは逆に5位→6位通過でやはり計7ptを計上した。
2つ目の中間ポイントを終えると、フィニッシュまでは残り33.4km。逃げとのタイム差は1分15秒。この先は、この三者の所属チームを中心に、大集団スプリントへ向けてつつがなく進行していくかと思われた。すでにニッポ・ヴィーニファンティーニやイアムサイクリングも、本格的な隊列を組み始めていた。
ところが、中間スプリントの小さな混乱を利用した、賢い奴らがいた。ラルスイティング・バク、イグナタス・コノヴァロヴァス、マキシム・ベルコフの3人が、前方へ猛スピードで突っ走っていった!
やはり名うてのルーラーとして知られる新トリオは、しばらくして、前を行く3人と合流した。人数が倍増し、パワーも倍増した。6人は協力し合って、スプリントチームの必死の追い上げ激しく抵抗し続けた。とは言っても、区間2勝のキッテルも区間3勝アンドレ・グライペルもいなければ、エリア・ヴィヴィアーニもアルノー・デマールもいないプロトンは、吸収にひどくてこずった。ゴール前10kmで20秒差、5kmで12秒差、2kmで7秒差。そして、ようやく、ゴール前1.6kmで、プロトン・コッパット。集団はひとつになった。
……それも、ほんの一瞬に過ぎなかった。最後まで必死に耐えたバクが吸収されるかされないかのうちに、ポッツァートが鮮やかに飛び出した。とたんに、フィニッシュエリアでは、歓喜にも似た叫び声が上がった。かつてのミラノ〜サンレモ覇者は、すでに34歳になり、小さなプロコンチネンタルチームで走っていた。それでも「ピッポ」人気は相変わらず根強い。なにより、前日のヴィンチェンツォ・ニーバリの失速で落胆するイタリア国民に、華やかな希望を与えてくれるものだった。ラスト1kmのアーチを先頭で越え、得意のロングアタック態勢へと持ち込んだポッツァートに、ティフォージの「ダイ、ダイ」の声が飛んだ。
「本当はハウッスラーのために走っていたんだけれど、フラム・ルージュの直前で、右側から飛び出す可能性を見つけた。でもハウッスラーはまだ後ろにいたから、自分自身で前に行くことに決めた」(クルーゲ、公式記者会見)
しかし、後ろからイアムのジャージが1人するすると上がってくると、最終コーナーへと猛スピードで突っ込んだ。カーブを抜けた先で、長身で体格のいい男が、細くしなやかなふくらはぎを持つ男の望みを非情にも打ち砕いた。
「なによりカーブの後に、ポッツァートを捉えられるに違いないと考えたんだんだ。猛スピードでカーブをこなして、ポッツァートを追い越した。そしてゴール前50mで後ろを振り返ったときに、気がついた。自分がグランツールで初めての勝利をつかみかけてることに!」(クルーゲ、公式記者会見)
クルーゲが人生初めてのグランツール区間勝利に歓喜した、そのほんの2日前には、所属チームのイアムが今季限りの解散を発表したばかりだった。2013年に発足したスイスチームは、2015年にワールドツアーへと昇格した。しかし成績が思うように上がらず、サブスポンサーの成り手を見つけることができなった。さらには自転車界のヒエラルキーの頂点へ向かって、順調に成長していくことができなかった……、とチームオーナーのミシェル・テタズは考えているらしい。たしかにチーム創立4年目で、これまでワールドツアーの勝利はわずか4つだけ……。
5つ目の、そしてチームにとって創立初めてのグランツール勝利は、少々寂しい思い出となった。
「これがミシェルの考えを変えるとは思わない。ただチームの解散が発表された後も、僕ら選手はチームのグランツール初勝利目指してひたすら集中し続けたんだ。僕らにはまだ日曜日までジロが残っているし、まだツールとブエルタもある。勝利に向かって突っ走っていくだけだよ」(クルーゲ、公式記者会見)
トラック競技ではオムニウム世界銀メダリスト(2008年、20016年)、さらには五輪のポイントレース銀メダリストに上り詰めたことはあるが、優勝だけは逃してきた。5月のイタリアで「地球上で最も幸せな男」になったクルーゲにとって、この日のレースはちょっと「ポイントレースみたいだった」とのこと。その心は、長い長いスプリントを耐えねばならなかったから。
区間2位にはまたしてもニッツォロが飛び込み、ポイント賞のリードを8pt→48ptに大きく開いた。2年連続の赤ジャージに大きく近づいた。マリア・ローザのクルイスウィクは極めて安全に首位の座を守り、また1日、トリノへと接近した。
「僕はすでにジロを勝った、とは思っていない。ただ自分ができることは、ベストを尽くすこと。これまでの2週間半に自分がやり続けてきたことを、そのまま遣り通すこと。自信を持って走るし、僕には弱点なんかない」(クルイシュウィク、公式記者会見)
また完走を目指す山本元喜は、162位とプロトン内では最終位ではあるものの、で17日目のレースを無事に走りきった。完走を目指す我らが日本人にとって、トリ到着まで、あと4ステージに迫っている。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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