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初めてツールに乗り込んできた年の、初めてのラインステージで、当時22歳のペーター・サガンはマイヨ・ジョーヌのファビアン・カンチェラーラを一騎打ちで倒した。あれから4年。スパルタクスにとって人生最後のツールの、故郷ベルンのステージで、マイヨ・ヴェールのサガンがスプリント勝利をもぎ取った。フィニッシュゾーンには、まるで現役アルカンシェルの地元かと錯覚してしまいそうなほど、大量のサガンマニアが詰めかけていた。過去10シーズンに渡って北クラシックの頂点に君臨してきた王者は、区間6位で静かにほほ笑んだ。
複数の世界チャンピオンが、思い思いに物語を紡いだ。209kmの長距離ステージを、壮大なるタイムトライアルコースに仕立て上げたのは、個人TTで3回、チームTTで2回の世界一に輝いたトニー・マルティンだった。スタートから15km地点で、チームの後輩ジュリアン・アラフィリップを引き連れて、前方へと飛び出した。焼け付くような太陽の下で、たった2人だけの長く孤独な努力へと漕ぎ出したのだ!
「本当は逃げ集団を作り上げたかった。でも、結局のところ、前に出たのは僕ら2人だけ。クレイジーな逃げだった。バカバカしいほどに」(マルティン、ゴール後TVインタビュー)
エティックス・クイックステップのチームマネージャー、パトリック・ルフェヴェルの言葉を借りれば「自殺行為」であり、「ハラキリ」でもあった(同時に「見ていて感動的だった」と、2人の努力を絶賛もしている)。プロトン屈指のタイムトライアルスペシャリストにとっては、決して後悔すべきことではなかった。
「時にこうして、無謀なトライをするのは大切なこと。しかも過去には、こういう逃げを成功させたこともあるし」(マルティン、ゴール後TVインタビュー)
たとえば2014年大会の第9ステージでは、60kmの独走を勝利に結びつけている。また2013年ブエルタの第6ステージでは、たった独りぼっちで逃げを打ち、フィニッシュのわずか40m手前まで粘り続けた。ちなみにステージ後にはこんな風に嘯いて、周囲を唖然とさせたものだ。
「別に区間を勝ちに行ったわけじゃないんだよ。世界選手権に向けて、ハードに走り込みをしたかっただけなんだ」(マルティン、2013年ブエルタでのインタビュー)
その数週間後に3枚目の虹色ジャージを手に入れたマルティンにとって、つまり、今回も、リオ五輪に向けたハードな走り込みだった。しかも2016年ツールには、TT巧者向けのタイムトライアル区間が用意されていなかった。だったら自分で、その機会を作り出せばいい。
「気分も変わるし、良い汗もかける。プロトンの追い上げに抵抗し続けるのは難しかったけれど、僕はこういう重圧を感じながら走るのも好きなんだ。なにより、僕の努力を、すぐそばで上手く利用してくれるチームメートがいた。おかげでモチベーションが高まったさ」(マルティン、ゴール後TVインタビュー)
偉大なるマルティンを風よけ代わりにして、痩身のアラフィリップも必死に足並みを合わせた。大会序盤にマイヨ・ブランを5日間着用し、マイヨ・ジョーヌにさえ一時は8秒差に近づいた24歳は、大会2週目以降、フラストレーションのたまる日々を過ごしていた。特に第13ステージのタイムトライアルでは、風に煽られてひどい落車をした。前日の第15ステージも、逃げ集団から飛び出して、ついに先頭を奪ったところで……メカトラの犠牲となった。だからもう一度、何かしたかった。自己を証明したかった。
「正直に言えば、まさかトニーと2人きりで逃げることになるとは、思ってもいなかった。でも、実際に走ってみて、よくよく悟ったんだ。協調の取れない集団で逃げるより、彼と2人きりで走る方がずっと素晴らしいことなのだ、って。僕にとっては非常にためになる自転車レッスンだった。こんな日が、きっと、僕をさらに強くしてくれるはずなんだ」(アラフィリップ、ゴール後TVインタビュー)
マルティンが80%、アラフィリップが20%で先頭交代を続けたタンデム逃避行は、プロトンに最大6分近い差をつけた。後方からは3選手が延々と追いかけてきていたけれど、プロトン最強のルーラーに、平地で追随することなど不可能だった。
それでも中間スプリントをきっかけに、「上れる」スプリンターたちがエティックスコンビを急速に追い上げていった。特にサガンを支えるティンコフ、すでに区間1勝+マイヨ・ジョーヌ3日間を満喫したフレフ・ヴァンアーヴェルマートのBMC、クリストフの今大会初勝利にかけるカチューシャが、プロトンの前線で惜しみなく作業に従事した。おかげでチャンピオンのそばでたっぷり学んだアラフィリップは、ゴール前25kmで力尽きた。背後から迫りくるプレッシャーを感じながら、マルティンはもうひと粘り。それでもラスト22kmで、迫りくる集団に飲み込まれていった。
敢闘賞の審査員たちは、2人の懸命な努力に、いたく感動したらしい。どちらか1人だけを選ぶことなどできない……と、例外的にマルティンとアラフィリップに赤ゼッケンを手渡すことに決めた。これは2011年第9ステージ、大逃げ中に自動車に接触され、ケガを負いながらも最後まで走り切ったジョニー・ホーヘルラントとフアンアントニオ・フレチャが2人同時受賞して以来の、極めて特別な対応だった。
「僕の考えでは、僕よりも、トニーのほうにずっとふさわしい賞だね。だって僕はただ、彼の後ろにしがみついていただけなんだから」(アラフィリップ、ゴール後TVインタビュー)
2人を吸収するために、プロトンがあまりにもスピードを上げすぎたものだから、ゴール前25kmの4級峠で大量の脱落者を出した。しかも、マルティンの吸収のすぐ後には、やはり世界チャンピオン経験者のルイ・コスタが独走を試みて……、ますますプロトンは勢いを増した。単独の試みは、ラスト約4kmで、むなしく終止符が打たれた。
すでに一回り小さくなった集団は、ラスト2.5kmから始まる「石畳」の、しかも「急カーブ」満載の、さらには「勾配7%」の坂道で小さく絞り込まれた。北クラシック巧者のセプ・ヴァンマルクが奇襲を試みたこともあった。さらにはラスト1.5kmからの、全長600mとちょいと長めの坂道で、もう一回り小さくなった。なによりジャイアント・アルぺシンが猛烈な牽引を試みた。昨年のミラノ〜サンレモ&パリ〜ルーベ覇者にして、今年2月の自動車接触事故からいよいよ本調子を取り戻しつつあるジョン・デゲンコルブのために。
ラスト1kmで平地が戻ってきたころには、先頭集団は30人ほどに数を減らしていた。そのうちの16人は、総合の上から16人だった。つまり半数近くは区間勝利よりも、「分断にはまらず、ライバルからタイムを失わないこと」に集中していた。唯一の例外が「スプリントできるヒルクライマー」アレハンドロ・バルベルデで、「上れるスプリンター」たちに先駆けて、大胆にもスプリントを切った。
ただし、最後に主導権を握ったのは、やはり2人の北クラシックの巧者だった。しかも2015年にツール・デ・フランドルを制したクリストフと、翌2016年のフランドル王者サガンが、競り合ったままフィニッシュラインへと飛び込んだ。ゴール直後はサガン陣営から歓声が上がり、その後はクリストフの周辺で「勝った勝った!」との声が聞こた。結局のところあまりにも僅差だったものだから、勝敗は今大会何度目かの写真判定に持ち込まれた--。
「僕自身は2位だと思っていたんだ。だから僕が勝ったと聞かされて、信じられないような気分だった。フォトフィニッシュを見れば一目瞭然だと思うけど、この程度の、タイヤの厚みくらいの僅差で、僕は何度も負けているからね」(サガン、公式記者会見)
言われた通りに写真を見てみると、むしろ、両者の体勢の違いに気が付くだろう。緑色のジャージが思いっきり両腕を伸ばし、いわゆる「ハンドルを投げる」ポジションを取っているのに対して、赤いジャージは両腕を体に引き付けて、上体はいまだ起き上がったまま。しかも腰を浮かしたダンシングスタイルで、ペダルを踏んでいる。
「今日のアレクサンドルはラインに身を投げ出すのが遅すぎた。僕の方が早かった。身を投げ出すには、バイクを前方に押し出さなきゃならないのに、まさにそうすべき瞬間に、彼はバイクを手前に引き付けていたんだ。前方ではなくね」(サガン、公式記者会見)
「ラスト100mでスプリントを切った。僕の後輪に入り込んでいたサガンが、上がってくるのを感じた。そしてラスト15m、サガンがハンドルを投げた。あれが彼の勝利を決めたんだ。僕はあまりにも自分のスプリントに満足して、フィニッシュラインの位置をしっかり見ていなかった。ハンドルを投げなかったせいで、勝利を失った」(クリストフ、ゴール後インタビュー)
過去2年は1区間も勝てなかった現役世界チャンピオンが、2014年大会で2勝したノルウェー人を退けた。第2、11ステージに続く勝利をもぎ取って、ツール初参加の2012年と同じ大会3勝目を計上した。果たして再浮上のきっかけは何だったのだろうか?走り方が変わった?それとも、経験のたまもの?……こんな質問に、サガンはこう答えた。
「僕は何も変わっていない。これは、運命なのさ」(サガン、公式記者会見)
昨秋に結婚したカタリナ夫人の言葉を借りれば、「ポジティヴなカルマ(業)が戻ってきたのよ」(フランスTVインタビューより)とのこと。
元世界チャンピオンというだけでなく、元五輪金メダリストでもあるカンチェラーラは、区間6位で、人生最後の地元ステージを終えた。パリまで走り続けるか、という質問には「休養日にゆっくり考えたい」とはぐらかした。ただ、きっぱりと、「いまだに大きな目標を追いかける身であること」を、宣言した。
「今日はワインで盛大にお祝いなんかはしない。だって僕にはまだ、この先に、極めて大切な大会が控えているからね。でも……すごく暑かったから、お祝いするなら、むしろベルギーのビールだね!」(カンチェラーラ、ゴール後TVインタビュー)
サガンとクリストフの前にツール・デ・フランドルを勝ったのは、たしかにカンチェラーラだった。ひとつの時代の終わりを感じながら、ツール一行は大会2回目の休息日を迎えた。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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