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サイクル ロードレース コラム 2016年7月23日

ツール・ド・フランス2016 第19ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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大粒の雨が、総合争いに、ドラマチックな演出をもたらした。濡れた路面が次々と選手をなぎ倒し……、マイヨ・ジョーヌさえアスファルトに滑り落ちた。献身的なチームメートに支えられて、クリス・フルームは無事に総合首位の座を守り切った。危険を恐れず下りで加速したチームメートに連れられて、ロメン・バルデは勇敢に前方に飛び出した。雨の上がった山の上で、区間勝利を手に入れ、総合2位の座に駆け上がった。なにより、フランス人初勝利を待ちわびてきた母国のファンに、大きな歓喜をもたらした。

146kmという短距離走に、難しい山が4つ。カオスな1日は、20人の大きな逃げ集団の形成から始まった。大方の予想通り、ラファル・マイカが滑り込んだ。赤玉ポイント収集の、最後の旅にするつもりだった。いわゆる逃げ常連のトーマス・デヘントやハリンソン・パンタノ、ルイ・コスタの顔も見えた。ちなみに上記4人は、スーパー敢闘賞にノミネートされている。またジュリアン・アラフィリップ、フルーム、フレフ・ヴァンアーヴェルマート、ペーター・サガンの名前も挙げられている。第20ステージが終了するころには、シャンゼリゼで栄光を受ける受賞者が発表されているだろう。

肝心の山岳賞は、デヘントが最後までポイント収集に執念を見せたものの……、3つ目の峠=超級峠で決着がついた。前々日に5年連続のマイヨ・ヴェール獲得を決めたサガンに続いて、同じティンコフのマイカが、2014年以来2度目のマイヨ・ア・ポワ受賞を確定させた。……それにしても前回の2年前も、ジロで総合争いを演じ(6位、今年は5位)、ツールは単なるアルベルト・コンタドールのアシストとして乗り込んできたはずだった。しかし、いずれの年もリーダーが落車リタイアし、いずれのとしもマイカがチームに栄光をもたらした。

「チームが2つのジャージを争ったことを、嬉しく思っている。レース序盤には不運に見舞われたけれど、パリでは2つのジャージが手に入るんだからね。アルベルトが去った後も、僕らはいいレースを心がけた。ハードに戦った」(マイカ、チーム公式リリース)

スタートからわずか7kmで、エスケープはこの日最大のタイム差4分45秒を記録する。すぐにメイン集団では、アスタナ プロチームが制御に取り掛かった。たしかに前日の登坂タイムトライアルで、マイヨ・ジョーヌ争いには、ほぼ終止符が打たれた。一方で総合表彰台を巡る争いは、ひどい接戦が続いていた。なにしろ残る2つの席を、6人が争うのだ!メイン集団は熾烈なせめぎあいをしながら、逃げ集団をじわじわと追い上げていった。

エスケープが超級峠の山頂を越えた直後、雨粒が、選手たちの肩に落ち始めた。前方集団からピエール・ローランが飛び出したのと、ほぼ同時だった。フレンチヒルクライマーについて行ったのは、ルイ・コスタただひとり。しかも、しっとり濡れ始めた道の上で、ダウンヒル中にローランが滑って転んだものだから……。雨にめっぽう強いポルトガル人−−2013年第19ステージで濡れた下りフィニッシュを制し、大雨の2013年世界選手権も勝ち取った——は、ゴール前40kmで単独先頭に立った。

ちなみに、ローランを襲った不運は、この先に次々と訪れる悲劇の前兆に過ぎなかった。区間2勝のトム・デュムランは、落車で左橈骨を骨折した。逃げから吸収された直後のナバーロも、左肩甲骨を折った。両者ともに即時リタイアを余儀なくされた。なによりゴール前約35km、FDJの2選手が落車し、そこに総合6位リッチー・ポートが巻き込まれた。ラスト12kmでは2位バウク・モレマが落車し、その直後には首位フルームが、右側上半身をアスファルトに強く叩きつけた。

「前方に留まろうと努力した。安全を確保するために。でも、白線上で滑って、前輪がひっくり返ってしまった」(フルーム、表彰台裏インタビュー)

幸運なことに、ポートは落車後すぐに、チームメート3人の力強いサポートを受けた。その中の1人が、逃げに乗っていた選手だったから、用意周到さが功を奏したことになる。メイン集団は相変わらずアスタナが高速制御を続け、さらにはオリカ・バイクエクスチェンジもここぞとばかり加速に乗り出したが、最終峠に入る前にはしっかり集団復帰を果たした。

またフルームの周りには、いつも通りに、力強いアシストたちが控えていた。だから落車現場では、すぐさまゲラント・トーマスが自転車を差し出した。4人のアシストが追走役を務めた。もちろん、いつものような、「高速」牽引ではなかった。あちこちを痛めたフルームを気遣い、速すぎず、遅すぎず。メイン集団復帰後も、マイヨ・ジョーヌが危険な目に合わぬように……、常にアシストたちは前方後方に目を配った。

「ひどいケガがなくて幸いだった。単なる擦り傷と、ちょっと膝を打っただけ。チームカーがかなり後方にいることを把握していたから、トーマスの自転車を借りた。最後までチームメートに頼ることができて、本当に助かった。全員が素晴らしい仕事をしてくれた」(フルーム、表彰台裏インタビュー)

モレマに関しても、アイマル・スベルディアとピーター・ステティーナが待っていた。しかし、少し先で、3人揃って落車に巻き込まれた。もう少し先の曲がり角では、スベルディアがコースアウトしていった。ステティーナ1人では、最終峠の麓までが限界だった。最終10kmの山道を、モレマは孤独に上るしかなかった。

ところで、落車する直前のモレマは、メイン集団の前から2番目を走っていた。Ag2rのミカエル・シェレルが猛烈なるダウンヒルを開始した、そのすぐ背後に控えていたのだ。そしてトレックのリーダーは落車し、Ag2rのリーダーはあらゆる混乱を切り抜けた。なにより、このカオスを、上手く利用した。ゴール前13km、シェレルとバルデは、前方へと勢いよく飛び出した!

「何も計画なんてなかった。本能に任せたのさ。僕らがお見せしたいのは、自転車レースなんだ。つまりひらめきは、稲妻のように訪れる。『今だ』と思った瞬間に、行かなきゃならない。シェレルが僕に耳打ちしてくれて、すぐに僕も、彼に同意した。そこからの僕らは、それこそ全力を尽くしたさ」(バルデ、公式記者会見)

麓まで全力で引いたシェレルから、総合5位のバルデが勢いよく発射された。先を行くコスタにはすぐに合流した。できる限り、協力体制を心がけた。しかし、後方からのプレッシャーは徐々に増していった。最初は1分以上あったリードも、少しずつ減っていった。だから残り3.2km、バルデはもう一度だけ加速を切った。総合ライバルたちの追い上げを、妨げるために。

「過去のミスから教訓を得ていたんだ。ドーフィネでは同じような状況で失敗を犯した。だから今日は自分を律し続けた。総合のために全力を尽くすんだ、区間2位で終わったとしても大したことじゃない、二兎を追うな、って自分に言い聞かせた」(バルデ、公式記者会見)

ところが、この加速で、スタート直後から逃げていたコスタはあっさり脱落した。しかも、この加速が、バルデ自身に自信を与えた。自分にはまだ十分な脚が残っている、だから「後ろからの追い上げに、抵抗できるかもしれない」と。

フランスが不安から解放される時がやってきた。1903年に創設された世界最大の自転車レースで、フランス人がひとつも区間優勝を取れなかったのは、1926年と1999年の史上2大会しかない。しかしバルデのおかげで、なんとか史上3度目の屈辱を、味わうことなく済んだ。雨の上がった山頂で、感激に浸る25歳の若者へ、惜しみないブラボーの声が飛んだ。総合争いの真っ最中だというのに、フィニッシュラインまで全力で駆け抜けなかったことに対しては、ちょっとだけ記者陣から疑問の声も上がったけれど。

「山頂では勝利を満喫したかった。レースをつまらなくする『計算』ばかりしていたくはないんだ。このツールを生き延びるためには、僕にとって、こういった気持ちの部分も大切だった」(バルデ、公式記者会見)

それでもバルデは、区間2位以下に23秒のリード+ボーナスタイム10秒を、きっちりと稼ぎ出した。直接的なライバルたちからは、ことごとく33秒以上のタイムを奪い取った。なにより総合5位から、表彰台の2番目の位置に、一気に駆け上がったのだ。

総合首位フルームの落車で揺れ、2位モレマの脱落で勢いづくメイン集団は、アスタナが猛然と加速を繰り返していた。落車からメイン集団に合流を果たしたばかりのポートも、チームメートを使って猛烈なスピードアップを図った。ナイロ・キンタナは用心深く、全ての不穏な動きに反応した。ゴール前3km、3位アダム・イェーツがギアトラブルで遅れ始めると、ますますバトルには熱がこもった。あらゆる動きに対して、スカイのアシスト、特にワウテル・ポエルスとセルジオルイス・エナオモントーヤは丁寧に対処し続けた。

ゴール前2km、アールが加速すると、ついにメイン集団のバランスが大きく崩れた。アレハンドロ・バルベルデがキンタナを伴い、アスタナリーダーに追随した。人生最後のツールを戦うホアキン・ロドリゲスが力の限り加速を続け、人生初めてのツールを戦うルイ・メインチェスも、思い切って飛び出した。フルームはじわじわと後退し、落車後の追走+加速合戦で力を使い果たしたポートは、完全に脱落した。

「こんな状況になってみて、すでに4分のリードを有していたことを、本当に嬉しく感じたね」(フルーム、表彰台裏インタビュー)

メイン集団は文字通りバラバラになって、2016年ツール最後の山頂フィニッシュへとたどり着いた。バルデ優勝の23秒後に、ロドリゲスとバルベルデ、メインチェスが雪崩れ込んだ。キンタナは26秒後に、アールは28秒後に駆け抜けた。ポエルスに支えられたフルームは、36秒後に辛い試練を終えた。ポートは53秒後に、イェーツは56秒後に、そしてモレマは4分26秒後に、それぞれ思い通りにはいかなかった1日を締めくくった。

つまりモレマは、タイムを絶望的なまでに失った。総合2位から10位まで陥落し、表彰台争いは「終わり」と自ら宣言を出した。イェーツは重大局面でバイク交換を余儀なくされたばかりか、チームメートのルーベン・プラサとの間にハンドスリング(2選手が手をつなぎ、一方が他方を前方へと投げ出す)があったとして、10秒のペナルティを課された。マイヨ・ブランは守ったが、総合表彰台からはバルデとキンタナに押し出された。

ただし、モレマとは違い、イェーツの表彰台争いは決して終わっていない。この日のスタート前は総合2位〜7位が2分16秒内にひしめいていたが、ステージを終えても、2位バルデ(4分11秒遅れ)、3位キンタナ(4分17秒)、4位イェーツ(4分46秒)、5位ポート(5分17秒)、6位アール(6分)が1分49秒内にぎゅっと詰め込まれている。しかもバルデとキンタナの差はわずか16秒でしかなく、キンタナにとっては3回目の総合2位さえ夢ではない。

もちろんフルームは、試練を乗り越えて、マイヨ・ジョーヌを守り切った。モン・ヴァントゥではブーイングを受けたけれど、この日は温かい拍手が沸き起こった。治療を受けるため、テレビインタビューも記者会見もキャンセルし、早急に山頂を立ち去った。ただ表彰台裏で、1つだけ短い代表インタビューが行われた。表情は極めて明るかった。

「パリまでまた1日近づいて、ほっとしている。でも、まだ優勝は、確定していない。今日は状況をひっくり返される可能性だってあった。ツールで静かに過ごせる日なんて存在しないんだ。明日もまた、厳しい1日となるだろう。パリ到着前最後の、踏ん張りを見せなくてはね」(フルーム、表彰台裏インタビュー)

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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