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2016年ブエルタ最後の山頂フィニッシュは、あらゆる野望が交差した。青玉を巡る争いは驚きにあふれ、新たな緑ジャージが誕生した。エステバン・チャベスは巧みに飛び出しを成功させ、3大ツール王者アルベルト・コンタドールが表彰台から弾き飛ばされた。ナイロ・キンタナとクリス・フルームは最後の100mまで互いに一歩も譲らぬままま……、コロンビアの雄がブエルタ初優勝をほぼ手中に治めた。そして、1年前の初夏に、コンタドール&キンタナ相手に山で堂々とタイマンを張ったピエール・ラトゥールが、生まれて初めてのグランツールで、高いポテンシャルを改めて証明してみせた。
逆転総合優勝のためにはフルームは1分21秒差を、逆転総合表彰台のためにチャベスは1分11秒を、それぞれの直接的ライバルから奪い取らねばならなかった。総合3分43秒遅れのコンタドールは、ひたすら、「勝つ」ことしか考えていなかった。だからマドリード到着24時間前のこの日、スタート直後から、チーム スカイとオリカ・バイクエクスチェンジ、さらにティンコフはとてつもなく攻撃的に動いた。
3チームの狙いは、逃げ集団にアシストを滑りこませること。総合2位〜4位の選手たちは、五月雨式に飛び出しを仕掛けた。そのたびに、当然のように、モヴィスター チームが集団制御にまわった。吸収されては飛び出し、飛び出しては吸収される。そんな場面が繰り返された。
山岳賞を巡るバトルもまた、最終決戦を迎えていた。青玉ジャージをまとうケニー・エリッソンドと、わずか3pt差で首位奪還を狙うオマール・フライレは、逃げの時宜を決して見逃さなかった。1つ目の山岳へ向かう途中で、次第にできあがりつつあった30人ほどの集団に、両者すかさず飛び乗った。
それなのに……、山頂までいまだ11kmの地点で、せっかちなエリッソンドは単独でアタックを仕掛けてしまった。小さな体に鞭打って独走を続けた。山頂の2kmほど手前で、着実に追い上げてきたフライレに、あっさり捕らえられた。急いては事を仕損じるとは、このことか。山頂首位通過をさらい取られたどころか、上位3位通過=ポイント取得さえできなかった!エリッソンドは2pt逆転され、フライレが山岳賞首位に浮上した。
この山の下りで、逃げ集団はシャッフルされる。エリッソンドとフライレは後方メイン集団へと飲み込まれ、またしてもスカイやオリカ、ティンコフは、精力的にブリッジを試みた。マイヨ・ロホ擁するモヴィスターは危険な動きを見逃さず、ライバルチームがなにか企てるたびに、隊列を組んで謀反者を引き戻しにかかった。
ちなみに2つ目の山に向かって、またしてもエリッソンドはアタックを仕掛けている。フライレもきっちり反応した。しかし、スペイン人は思わぬメカトラで脱落し、フランス人本人は先ほどの奮闘がたたり、早い流れについていくことができなかった。その隙にリュディ・モラールが、山頂間際で単独の飛び出しを決めた。下りを利用してルイスレオン・サンチェスが追いついた。
ついに2人が、先頭を突き進み始めた。その背後では、あいかわらず離合集散が繰り返された。モヴィスターの老参謀アレハンドロ・バルベルデが、自ら第2逃げ集団に乗り込んだことさえ。しかし、スタートから実に80kmも繰り返された混乱も、3つ目の山に差し掛かるころ、ようやく収拾へと向かう。モラールとサンチェスの背後には、15人の集団ができあがった。モヴィスター、スカイ、ティンコフ、オリカはそれぞれ平等に1人ずつ選手を送り込み、すべての総合陣営が納得する形に収まった。メイン集団は途端に減速し、前方とのタイム差は急速に開いていった。
残念ながら、逃げに滑り込んだマイヨ・ロホの傭兵だけは、途中で行く手を断たれた。下り途中で、ホセホアキン・ロハスが落車。ガードレールに激突し、左の脛骨と腓骨を開放骨折してしまったのだ。スペインチャンピオンは、マドリード到着の前日に、即時リタイアを余儀なくされた。
ゆっくりとペダルをまわすメイン集団が、先頭に3分、第2集団に1分半の差を許した頃だった。またしてもエリッソンドが、悲痛な努力へと打って出た。メイン集団から飛び出すと、前方に単独でブリッジを仕掛けたのだ。3つ目の山には間に合わなかったものの、下りで第2集団には追いついた。その後ますますポケットクライマーは奮闘した。自らが積極的に集団を引き、先頭の2人に追いつこうともがいた。だって4つ目の峠を、1位か2位で通過しさえすれば、青玉ジャージを取り戻せるはずだから。しかし1分半のタイム差はどうしても埋まらない。3位通過で1ptだけ追加し、つまり、いまだフライレを1pt差で追っていた。
メイン集団の遅れは、最終的には最大15分にまで広がった。高速の駆け引きで30人ほどにまで小さくなっていた集団も、当然ながら、再びボリュームを取り戻していた。オリカボーイズも、前に飛び出した1人を除く、8人全員が集結していた。そして、ゴール前60km、突如として隊列を組み上げると、猛烈なスピードアップを敢行した。4つ目の山の上りに差し掛かると、チームリーダーのチャベスを発射した。
5月のジロでは、第19ステージに、チャベスは同じ作戦を成功させている。あの日はチーマコッピでアシスト3人が発射台を務め、飛び出した先にはルーベンス・プラザが待っていた。ゴールではマリア・ローザを手に入れた(残念ながら翌日失うのだが)。そしてこの日は、下りに入ったところで、ダミアン・ハウスンが待っていてくれた!
7月のツールと同じ作戦を狙ったのは、フルームだった。チャベスが飛びたった集団は、淡々と4つ目の山を登った。直接的なライバルではなく、むしろモヴィスターがリズムを刻んだ。なにしろ山頂からの下りは、24kmと極めて長い。フルームが例のクレイジーなダウンヒルアタックに飛び込んでいってしまう可能性が……大いにあった。だから山頂でスカイが不穏な動きを見せると、すぐにモヴィスターは封じ込めた。同じ相手に、2回連続で同じ作戦は通用しなかった。
2016年ブエルタ最後の峠が、あらゆる戦いの決着を見届けるべく、そびえ立っていた。ルイスレオン・サンチェスとモラールは先頭で突入した。約1分半後にエリッソンドを含む第2集団が襲いかかった。6分後にはハウスンに引かれたチャベスが、そして7分50秒後にはキンタナ、フルーム、コンタドールを含むメイン集団が上り始めた。
フランス一周では過去区間4勝を上げながら、祖国のグランツールでの最高成績が区間2位……というルイスレオン・サンチェスは、100km近く一緒に走ってきたモラールを振り払い、残り12kmで独走を始めた。しかし、栄光への夢は、ラスト4kmで砕け散った。後方から飛び出してきたダルウィン・アタプマに、あえなく抜き去られてしまった。
区間5位以内でフィニッシュしさえすれば、青玉を確定できるはずのエリッソンドは、いつしか集団内から姿を消した。チャベスに抜かれ、総合上位勢に軒並み先を行かれ、最終的には区間22位でゴールした。3度の奮闘で疲れ果て、あと1pt届かなかった。フライレの手に2年連続で山岳賞が渡った。
今大会前半に4日間マイヨ・ロホを着たアタプマは、軽やかなダンシングで上り続けた。ただ背後からは、上半身をひどく折り曲げたラトゥールが、じわじわと追い上げてきた。自身がツール・ド・スイス第3ステージで区間勝利を上げた日に、リーダージャージを取ったのがこの若きフランス人だった。
しかも山頂まで2.5km地点で合流を果たすと、22歳の若者は繰り返し加速を試みた。背後からファビオ・フェリーネが差を詰めてきていたせいだった。片手では足りないくらいのスピードアップを、執拗に行った。ただ逆にラスト500mで、アタプマにカウンターアタックを打たれ、一度は脱落してしまう。……しかし、執念深い若者は、大ギアを回して300m地点で戻ってきた。そのまま全力を振り絞ると、ついにラスト50mで、コロンビア人のやる気をへし折った。
第4ステージにアタプマを蹴散らしたリリアン・カルメジャーヌと同じく、プロ2年生のラトゥールもまた、初めてのグランツールで初めての区間勝利をつかみとった。将来はグランツールで大暴れする逸材と、母国フランスでは大いに注目を浴びる。
フェリーネは3位に飛び込む衝撃を演出し、緑ジャージを手に入れた。ただし最終日に中間4pt+ゴール25pt=29pt獲得可能だから、いまだポイント賞候補は5人存在する。特に7pt差につけるバルベルデが、5年連続7回目のマドリード表彰式参加を狙わないわけがない。
自己を犠牲にしてハウスンが力の限り働いてくれたあと、最後の18kmほどを、チャベスは1人で登った。ただし、後方でも、遠隔チーム支援は続いた。ハウスンと同じく逃げていたユーリ・トロフィモフが、ようやくコンタドール集団まで下がり、チャベスとの距離を詰めようと必死に牽引作業を始めた直後だ。たった1人のアシストを消耗させるために、総合6位のサイモン・イェーツが、囮アタックを打ち始めたのだ。トロフィモフも執念を見せるが、幾度となく繰り返される攻撃に、ゴール手前10kmで力尽きた。
むしろコンタドール自身が加速を切ったせいでもあった。チャベスとのタイム差はすでに2分近くまで広がり、つまり総合3位の座を奪われていた。しかし、あくまで「危険人物」の動きを、キンタナが見逃してはくれなかった。もちろん、わずか1分21秒後につけるフルームの動きも、絶対に見逃さなかった。
最終峠で最も厳しいラスト7kmに入り、やはり逃げていたスカイのダビ・ロペスガルシアが、するすると前から降りてきたタイミングだった。メイン集団に控えていたレオポルド・ケーニッヒが軽く加速を切り、フルームが本格的なペダル高速回転へと移行した。
長い長いアタックだった。ダンシングでも、シッティングでも、加速を繰り返した。ラトゥールに負けず、フルームは両手で足りないくらい試みた。しかしキンタナは、フルームの背中に、ただぴたりと張り付いたままだった。まさに不動だった。それでも7月のマイヨ・ジョーヌは、もはやタイム差を回復できないと悟っても、決して加速を止めなかった。フィニッシュライン間際で、マイヨ・ロホにスプリントで追い抜かれるまで--。
キンタナはタイムを詰められるどころか、新たに2秒のリードを奪い取った。背後ではフルームが、ライバルに拍手を送りながら、フィニッシュラインを静かに越えた。2014年ジロ覇者のナイロ・キンタナは、ついに2016年ブエルタの総合優勝に王手をかけた。この3度のツール総合優勝を誇るフルームは、どうやらマドリードでは、自身3度目のブエルタ総合2位を祝うことになりそうだ。
そしてチャベスがフィニッシュした1分24秒後に、コンタドールが山頂へたどりついた。こうして今ジロ総合2位のコロンビア人は、1分11秒差の遅れを見事なチームワークでひっくり返し、総合表彰台の上から3番目の位置を確保した。グランツール総合7冠の王者は、たった13秒足りずに、総合4位に陥落した。33歳のコンタドールは、グランツール表彰台では、いまだてっぺん以外の場所に上ったことがない。
別府史之も新城幸也も、ひどくめまぐるしかった3週間の戦いを、無事に乗り越えた。あとはマドリードでの最終スプリントへと向かうだけだ。
<選手コメント>
■ピエール・ラトゥール(アージェードゥゼール・ラ・モンディアル)
経験を積むために、チームからは総合狙いで走るように指示されていた。でも、この前の日曜日のステージ(第15ステージ)で、いいグループに留まれなかった。だから今ステージのスタート地では、ちょっと緊張していた。ぼくはまだ安定さに欠けるんだ。今日は逃げ集団に乗ろうと奮闘した。難しかったけれど、すべてが上手く行った。
最終峠の麓で、すでに疲れを感じていた。でも、誰にとっても、状況は同じだった。だって今ステージはスタートから厳しくて、80kmを過ぎて、ようやく逃げが決まったんだから。登り始めてすぐに、いくつもアタックが続いた。ぼくはなんとか後輪にはりついて、ついにアタプマのところまで追いついた。アタプマがもはやガス欠気味で、なんとか走っている状態なんだ、と気がついて、もしかしたら勝てるかもしれないと信じ始めた。
大荒れのレースだったし、簡単なステージなんてひとつもなかった。常に何かが起こっている状態で、ぼくにとっては難しかった。常に集中し続けることが困難で、肉体的にも精神的にも、厳しかった。ジャン・クリストフ・ペローのそばで色々と学んだ。それに、なかなか逃げに乗れなかったから、アクセル・ドモンやヤン・バークランツからアドバイスを得たりもした。(レース公式リリースより)
■ナイロ・キンタナ(モヴィスター チーム)
ジロを制した時は、難しい時も過ごした。風邪を引いていたし、調子が良くなかったからね。このブエルタ中はずっと健康でいられたし、運も良かった。なによりぼくの周りには、素晴らしいチームがついていた。チームのみんなにお礼をいいたい。ホセホアキン・ロハスにも言葉を贈りたい。彼がもはやこの場にいられないことを、残念に思っている。
ツール・ド・フランスに向けて厳しい練習を積んできたけれど、アレルギーのせいで、100%を尽くすことができなかった。でも、ブエルタに向けては、素晴らしい体調を保つことができた。五輪にも出場しなかった。ぼくの出場枠を、ぼく以上にチャンスを活かせる選手に譲りたい、と考えたからなんだ。とにかくツールのあと、自分の悪い流れを、どうにかして断ち切りたかった。
フルームは幾度となくアタックを仕掛けてきた。下りでも、上りでも。そしてぼく自身は、彼よりも先にフィニッシュしたかった。だって彼本人だって、たとえ1秒でも大切なんだ、と繰り返し語ってきたからね。(フィニッシュでスプリントをしてしまったことで)彼が気を悪くしたのだとしたら、謝罪したい。それに彼のタイムトライアル勝利に、おめでとうを言いたい。フルームこそぼくの直接的なライバルであり、今日は最強のライバルでもあった。今年に関しては、ぼくらは引き分けだね。彼がぼくに腹を立ててなきゃいいんだけど。ぼくの行動は、瞬間の勢いに任せたものだったんだ。
(フルームが拍手したのは)知らなかった。ぼくにとって、最強のライバル相手に勝ったんだから、名誉あること。今日の彼が打った数々のアタックは、信じられないようなものばかりだった。ぼくは彼に1ミリたりとも与えることはできなかった。(レース公式リリースより)
■アルベルト・コンタドール(ティンコフ)
表彰台で終えるか、勝利を手にできていたら、きっと満足できていただろうにね。表彰台が、ほんの数秒で、手元から滑り落ちていった。残念だ。スポンサーにとっては、表彰台乗りは大切なことだから。もちろん、ぼくらの目標は、まるで異なるものだったのだけれど。それでも、ぼく自身は、満足している。レースを楽しんだし、ぼくを助けるために、チームはできる限りの力を尽くしてくれた。たしかに、ぼくらにはアシストが足りなかった。山で強いチームではなかった。結局のところ、物事は進むべくよう進んだ。キンタナとフルーム、そしてチャベスを祝福しなければならないね。オリカに関しては特に。あのチームは非常に賢く立ちまわった。フォルミガル(第15ステージ)のお礼代わりに、もしかしたらモヴィスターがぼくに手を貸してくれるかも、と考えていたんだ。でも、だれもが、自分たちのやり方で立ちまわった。このブエルタには体調良く乗り込んできたけれど、不運に襲われて勝つことはできなかった。ぼくが表彰台にそれほど重きを置いていないことに関して、ショックを受ける人もいるかもしれない。ただ、ぼくの目標は、あくまで総合優勝だったんだ。それ以外の場所は、それほど重要なものではない。(レース公式リリースより)
■ケニー・エリッソンド(エフデジ)
青玉ジャージを、1ポイント差で失ってしまった。たったの1ポイントでね!最初の上りで、もしもここで5ポイントが取れたら戦いを終えられるに違いない、と考えた。足の調子が良かったんだ。でもフライレが後ろから追いついてきて、逆に5ポイント取られてしまった。それから、再びプロトンから飛び出して、最後から2番目の上りで1ポイントを取り戻した。でも、十分ではなかった。本当にがっかりしている。(レース公式リリースより)
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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