田村岳斗 -華麗なる舞-

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このブログについて

【田村岳斗】
1979年5月28日生まれ。
プロスケーター&コーチとして活躍する男子フィギュアスケーターの第一人者。
高校3年時(1998年)に長野五輪出場。全日本選手権優勝2度の実績を持つ。現在は、関西を拠点に、未来のメダリスト育成に務める。

フィギュアスケート 14/15シーズン 2015年03月07日

世界フィギュアの思い出

田村岳斗 -華麗なる舞- by 田村 岳斗
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3月に入って、世界フィギュアが近づいてきました。
僕は過去に7回の世界フィギュアを経験していますが、
その内4回は選手として出場。
3回は試合を見るための行ったものです。
初めての世界フィギュアは、1994年幕張で行われた大会でした。
リレハンメル オリンピックの直後で、
エルビス・ストイコさんやフリップ・キャンデロロさんなど、
とても華やかな大会で、
しかもテレビでしか見たことのない
憬れの選手たちを生で見られる初めての機会でした。
その時、サイン色紙を用意して、
ストイコさんとキャンデロロさんのサインを
ちゃっかりもらうことができ、そのサインは今でも実家に飾っています。

幕張大会の時は、女子シングルで、
佐藤有香さんがチャンピオンになりました。
それまで伊藤みどりさんの活躍はテレビで見ていましたが、
日本の選手が世界のトップに立った瞬間を
生で見られたことにとても感動しました。
日の丸を掲げて、君が代を聞くことが自分のことのように
誇らしかったのを覚えています。
試合が終わった後、滑ったわけでもないのに、
興奮しすぎたのか、すごく疲れて帰ってきたのを覚えています。
あれ以来、僕もあの舞台に出てみたい!
そんな風に思ったのが最初の世界フィギュアでした。

2回目は1997年スイスのローザンヌの時です。
この時は、翌年の長野オリンピックを控え、
選手として出場した本田武史さんのリザーブの立場でしたが、
大舞台の雰囲気を見た方がいいということで会場に行きました。
この大会では、まだ10代だった本田さんが10位以内に入れば、
日本のオリンピック出場枠が2枠になるということもあり、
ぜひとも本田さんに頑張ってもらって2枠を勝ち取って欲しい。
そんな祈るような気持ちで応援していました。
本田さんが滑り終わってスコアが出た後、最終組の顔ぶれを考えると、
11位かなと思っていたのですが、
最終組のリレハンメル オリンピック金メダリストだった
アレクセイ・ウルマノフさんが、ケガのため途中棄権。
日本の長野オリンピック2枠がその時に確定しました。
ウルマノフさんには申し訳ないのですが、
長野オリンピック出場のチャンスが広がったことで、
僕はホテルの部屋に戻った瞬間から、腕立てと腹筋を始めました。

その翌年の大会は選手として、
世界フィギュアに出場できることになりましたが、
正直、世界選手権は僕にとっては
決していい思い出ばかりある大会ではありませんでした。
その話はまた次にします。

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