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ラグビー コラム 2021年11月18日

【日本ラグビーを支えるスペシャリスト】日本ラグビーの進化を現場で見てきた アスレチックトレーナー皆川彰さんの想い

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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――及川先生は当時、新日鉄釜石ラグビー部のトレーナーでもあったのですね。
「V3の頃から関わっていらっしゃいました。その及川先生が整骨院を立ち上げるということで声をかけていただき、そこで修行することになりました。そしてラグビーにも関わるようになったわけです」

――ラグビーというスポーツには詳しかったのですか。
「テレビで日本選手権を観戦するくらいでした。新日鉄釜石の菅平高原での夏合宿に帯同したのがラグビーとの初めての関りでした。そこで最初にテーピングを巻いた選手が松尾雄治さん(当時、日本代表SO)でした。僕は20歳で、まだテーピングすら上手く巻けなかったのですが、松尾さんは『テーピング巻いて』と声をかけてくれました。松尾さんはハッキリ言う人なので、『お前、ヘタクソだな』と言われました。今考えると、ぞっとするテーピングでした。悔しくて、もう二度と巻かせてくれないだろうと思ったら、松尾さんは合宿の最後まで一日2回、ずっと僕に巻かせてくれました。涙が出るほど嬉しかったです」

――育てようとしていたのでしょうね。
「そんな松尾さんには恩を感じていますし、ラグビーにずっと携わろうという気持ちになりました」

――皆川さんが最初に関わられたシーズンに、釜石は日本選手権で6連覇していますね。以降、さまざまなトップチームに関わるようになりましたね。
「1986年に高校日本代表のニュージーランド遠征のトレーナーになり、サントリーラグビー部にも関わるようになりました。サントリーの山本巖監督に声をかけられて手伝うようになり、土田雅人さんがキャプテンになった1989年からフルタイムのトレーナーになりました」

皆川彰さん

――サントリーで学んだのは、どんなことですか。
「昔は部活の延長のようなところがあり、怪我をしないようにするにはどんなケアが必要かを指導しなくてはいけませんでした。土田キャプテンが熱心に取り組んでくれました。そのシーズン、サントリーは東日本社会人リーグで初優勝したのですが、少ない選手数のなかでコンディショニングが上手くいき、主力選手が欠けることなくシーズンを乗り切ることができました。それがトレーナーとしての成功体験になりました」

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