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ラグビー コラム 2021年6月30日

ダブリン懐旧旅行 ~ジャパンーアイルランド戦の前後に~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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あらためて今回のダブリンはあまりに遠し。以下は懐旧の旅である。

1997年。早稲田大学ラグビー部のコーチとしてこの地に遠征した。午前中のひととき、ひとりでトリニティー・カレッジ(ダブリン大学)の石畳の中庭まで散歩した。ごろんと寝転がる。旅の者が身を横たえてもだれも気にしない。モジャモジャ頭や丸眼鏡の学生たちはそれぞれが瞑想にふけったり読書に夢中になったりしていた。「おお変人だらけじゃないか」。うれしくなった。

そのダブリン大学との試合後、メリオン通りのホテル「ダヴェンポート」で両校の宴が催された。その名も『ギネス・ジャズ・バンド』の演奏に乗せて、名門であるところのダブリン大学フットボール・クラブ(ここではフットボール=ラグビー)のプレジデントが、エルビス・プレスリーの『ブルー・スウェード・シューズ』を本格的に熱唱した。えらい人が歌いまくる。やはり変わっている。

プレジデントのジョン・テリーは言った。

「わたしたちは世界最古のラグビーのクラブだ」

こちらの知識では、1843年創部のイングランドのガイズ・ホスピタルが「最古」のはず。ダブリン大学ラグビー部は1854年の誕生なので2番目ではないか。

熱唱の紳士は諭すように解説した。

「正確には戦争による活動停止期間のないクラブとしては世界最古」

そういえばアイルランドは第2次世界大戦の中立国であった。

ダブリン大学のラグビーはあまたの人材を輩出した。たとえばドラキュラを世に広めた男もひとりだ。あの吸血鬼である。1897年5月に『Dracula』は刊行される。作者のブラム・ストーカーは赤毛で筋肉質の万能フォワードであった。1868年のシーズンは27戦全勝。ドラキュラ作家はまぎれもなく主力だった。

1991年。第2回ワールドカップ取材で最初のダブリン訪問はかなった。スポーツ新聞の記事をホテルのファクシミリで送り終えたら、あとは楽しい時間が待っていた。

トニー・オライリーの評伝とダブリンのパブ『オールド・スタンド』のマッチ

エクスチェカァ通りのパブ、『オールド・スタンド』こそは「私のアイルランド」の国土の大半を占めた。連夜、通ったのである。当時の「5か国対抗の紋章」が目立たぬように窓や店のマッチに装飾されていた。長身のバーマンの頭上に木箱があってテレビがしまわれている。ラグビー中継が始まると扉があく。試合終了と同時に、まったく同時に、バーマンは表情を動かすことなく扉を閉じる。そのルーティンがたまらない。

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