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ラグビー コラム 2021年1月8日

担当133試合のレジェンド「戸田京介レフリー」登場!ラグビートップリーグ担当レフリー特集

ラグビーレポート by 多羅 正崇
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“戸田レフリー”はこうして生まれた。「本気でやらなければ選手に失礼」

――ではレフリーを始めた経緯を教えてください。

当時、「関西ラグビー協会B級レフリー認定講習会(22府県所属)」は岐阜県で行っていました。ちなみに現在はブロックごと分散して行っています。

グラウンドは飛騨市古川町の数河(すごう)高原でした。が、主催している岐阜県からの受講生がいないのは岐阜県の立場がないということもあって(笑)、ある程度の年齢になると、センスの有無などに関わらず、B級認定講習を受けるよう言われていたんですね。

僕は当時25歳で、結果的にそれがレフリーを始めるキッカケになりました。

――そこからレフリーとしてのキャリアを積み重ねていきます。

僕は小学校教員を8年、中学校教員を2年やりましたが、25歳で資格を取った後の10年間で、幸いにしてレフリーとしてトントンと上がっていくことができました。

レフリーをやっていると、行ったところのない場所――今週は九州に行ってほしいとか、場合によっては韓国、台湾に行ってほしいとか――いろいろなオファーが来るんですね。そうしているうちに、これは本気で始めなければ選手に失礼だと思うようになりました。

ただ海外に行ってほしいとなると、小・中学校は担任もありますからジレンマを感じていました。そこで諸先輩のアドバイスもあり、すでにラグビーがライフワークになっていた教員10年目の夏に、高校教員の試験を受け直しました。

高校教員になればラグビー部を持てるかもしれないし、レフリーを応援してくれる人がいるかもしれない。生徒にもラグビーにも貢献できるはず、と考えたんですね。

戸田レフリー

――実際に高校でラグビー部の監督をしたのですか?

2校目の赴任先だった大垣西高校で4年間、ラグビー部の監督をしました。

ただ赴任1年目は募集停止の状態でした(笑)。そのとき部活認定の条件として提示されたのが「部員を15人揃えるか」「県大会で1勝するか」の2つでした。

その条件を満たすために必死にやりましたね。サッカー部を退部した生徒、問題を起こした生徒を呼んで「ラグビーやらないか」と(笑)。おかげさまで部員も集まり、7人制で東海大会に出場して優勝もしました。良い思い出です。

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