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ラグビー コラム 2020年5月22日

鉄人・大野均、灰になってもまだ燃え続けた男の引退会見

ラグビーレポート by 斉藤 健仁
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42歳まで現役としてプレーを続けられた原動力を聞かれた大野は「やっぱりラグビーをプレーすることが好きだったということですね。

そして、スタジアム内外でいただく、たくさんの声援に背中を押していただきました。東芝の先輩である松田努さんの記録を超えられればいいなと漠然と思っていましたが、あと数ヶ月足りませんでした」と悔しそうな表情で語った。

ラグビーのどういうところが自分に合っていたかと聞かれると「大学からラグビー初めて パスもキック下手な中、それを考えたら自分の中ではシンプルでした。パス、キックが上手なら何をプレーするか迷って、ここまで現役を続けることができなかったかもしれない。

自分が所属した日本大学工学部ラグビー部、東芝ブレイブルーパス、日本代表、サンウルブズもそう、本当に魅力的なチームで、このチームで勝ちたいと思わせてくれた集団だったので、そのチームのために自分ができることを全部投げだそうという思いでやってきました」とコメントした。

また、大野は2004年に日本代表としてデビューを飾り、史上最多98キャップを誇る。

「日本代表に入った2年目、フランス遠征で日本から移動してホテルの宿舎まで24時間かかった。みんなヘロヘロでしたが、チェックインしたとき、その部屋割りが伊藤剛臣さんと同じだった。

剛臣さんがジーパンに着替えて、飲みに行くので、おまえもついてこいと言われてホテルのロビーに降りたら、箕内(拓郎)さんもいて、こういったタフな人がジャパンでは活躍できるんだなとそのときに再認識させられました。

また、箕内さん、剛臣さん、大久保直弥さん、渡辺まんきち(泰憲)さんといった大先輩に憧れて(日本代表として)プレーを続けられたと思います」としみじみと語った。

そして、ラグビーワールドカップは2007年から3大会連続出場した。「4年に1度、ワールドカップに立てる選手は本当に一握りです。

31名の中からグラウンドには23名、さらに先発できるのは15人。その1人として責任を感じさせてくれた舞台です。どの大会も国を挙げても祭りでした」と振り返った。

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