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ラグビー コラム 2019年8月16日

ラグビーを愛するトップビジネスマンに聞く~スペースマーケット 重松大輔CEO~

ラグビーのすゝめ by 村上 晃一
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重松大輔

高校ラグビー部キャプテン、大学時代のAD経験が今に生きている

──ラグビーとの出会いを聞かせていただけますか。

「高校から始めました。入口はドラマのスクールウォーズです。小学生の頃、再放送で見たんです。野球少年だったのですが、ラグビーは凄いと思うようになりました。僕は千葉県出身です。地元にラグビースクールがなく、すぐにはできなかったのですが、当時、千葉東高校が花園(全国高校大会)に出たことがあって、文武両道でカッコ良いと思いました。千葉東に入学したいと思って中学生活を送りましたね」

──高校でラグビーを始めることに決めて勉強したわけですね。

「千葉県は野球が盛んで、僕の同学年に高橋由伸がいたのです。小学生の頃に試合をしたことがあるのですが、実力がずば抜けていました。その頃から、彼は六大学に行き、プロ野球選手になるだろうと言われていて、その通りになりました。野球は無理だと思いました(笑)」

──ラグビーと勉強を両立したいと考えたのはなぜですか。

「それがカッコ良いと思っていたからです。私の両親は中学の教師で、自分の教え子がスポーツと勉強を両立し、頑張っている話をしてくれるんです。それを聞いてカッコ良いと思っていました」

──千葉東高校に入学し、ラグビー部に入ってみて、いかがでしたか。

「入部の儀式で、先輩がたくさんボールを蹴り、革のボールを奪った選手がレギュラーになれるというのがあったんです。当時はゴムのボールが出始めた頃でゴムと革が混合していました。僕は必死で革のボールを取りました。でも、元々兄が在籍していた同期たちはゴムボールを拾いに行っていた。罠だったんです。革のボールを取った者は、毎日、そのボールを磨かなくてはいけなかったんです(笑)。そんな下積み時代もありましたね。ラグビー未経験者が多かったのですが、全国大会出場を目指し、厳しい部活でした」

──花園に出場することはできたのですか。

「1年生の時は、県立千葉高校が花園に出ました。2年生の時は、流経大柏高校が代表になり、全国ベスト8まで行きました。3年生の春は県の決勝まで勝ち進んだのですが、流経大柏に負けました。関東大会に出場したのはいい思い出です。冬の全国大会予選は打倒・流経大柏で頑張ったのですが、その前に準決勝で市立稲毛高校に負けて終わりましたね」

──ポジションはどこでしたか。

「2番(HO)と6番(FL)でした。身長190cmのLOがいて、彼がラインアウトを取ってひたすらモールを押すラグビーでした」

──進学校によくあるタイプですね。

「そうそう、一点突破でいくタイプですよ」

──3年間のラグビー経験で得たものはどんなことですか。

「キャプテンの経験です。千葉東は1年生のときに指名があるんです。3年生でチームのキャプテンになり学年のリーダーになる。そういうカルチャーがありました。同期が最初は25名くらい。3年生のときは、全部員で50名くらいだったと思います。練習メニューもキャプテンが考えていて、リーダーとしての経験は今に生きていますね。」

──大学では続けなかったのですね。

「早稲田大学のラグビー部にはスター選手も多いですし、自分がここでやる必要はないと思ったんです。高校でラグビーを始めたのも、ラグビーなら高校から始める選手が多いし、千葉東には進学校でも勝てるメソッドがあった。そういうものを学びたいという気持ちがありました。自分の強みをどう生かすかということに興味があったのです。いま思えば、その頃から起業家志向だったのでしょうね。だから、早稲田大学では、リスの会というラグビーサークルに入りました」

──何か印象的なことはありますか。

「先輩にアルバイトを紹介してもらって、NHKのADの仕事を始めました。『ためしてガッテン』(現在はガッテン!)という番組が始まった頃で、そのアルバイトが面白すぎて、リスの会をやめて、バイトに時間を割くようになりました」

──何がそんなに面白かったのですか。

「バイトだったのですが、決定権を持つ仕事だったのです。キャストを集める仕事もあって、大学の後輩や仲間をリクルーティングして、ロケの手伝いや出演もしてもらった。バイトの組織を作りました。いまだにそれは続いているようです。僕も屋久島に一週間ロケに行ったり、唾液の実験で胃カメラを飲んだり、いろいろやりました。その時期にメディアの視点を理解することができたのは大きかったです。テレビ映えする商材の作り方など、テレビが何を欲しているか、どういう画を撮らなければいけないのか、それが分かるようになりました。今の仕事を始めることは想定していなくて、目の前のことをやっているうちに、すべてがつながっていたということなのですが」

──早稲田大学の法学部で学ばれたのはなぜですか。

「弁護士になりたいと思っていたからです。でも周囲を見ていると、自分が弁護士に向いていないと感じました。僕は事件の判例を読み込むと、なぜこの犯人はそんなことをしたのかという裏側が気になるのです。方向転換し、メディア系に行くことにしました。当時は超就職氷河期でした。僕が一番行きたかったのはNHKエンタープライズだったのですが、最終面接で落ちて、最終的にはNTT東日本に就職しました」

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