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モーター スポーツ コラム 2020年1月27日

恩人、いや大恩人逝く

今日も今日とてプッシュ&ルーズ by 高橋 二朗
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今年に入って気が滅入ることが多いです。
先日、恩人の石崎芳人さんが逝去されました。

石崎さんは、ボクにとっては「恩人」どころか、「大恩人」です。小欄を読んでいただいている方は、ご存知ではないかと思います。石崎さんは、グラフィックデザイナーであり、エディトリアルデザイナーでもあった方です。

モータースポーツ専門誌の門戸を叩き、仕事をいただいて出会うことができました。石崎さんがデザイナーとしてその雑誌の全ページを創っていたのです。実家から東京都文京区にあった編集部までは片道約2時間。その時間がもったいなくて、寝袋を持ち込み編集部に寝泊りしようとしていると、自宅に招いてくださった。よく飯も、お酒も奢っていただいた。

レーシングカートのページを担当させていただいていた時に、1981年の香港インターナショナルカートプリに行かないかと編集部から声をかけていただいたが、貧乏だったので海外への渡航など無理だった。その時、「金なら貸してやる、香港へ行け」といってくれたのが石崎さんだった。5万円をお借りして、初めての海外取材に行くことができた。

雑誌以外にも石崎さんは、レーシングカーのカラーリング、トップドライバーたちのヘルメットのカラーリングもしていた。日本で最も多くの国際レースイベントをプロモートしていた日本モーターレーシングセンター社のイベントポスターを手掛け、プログラムもデザインしていた。1982年に日本で初開催された世界耐久選手権。現在の世界耐久選手権=WECの前身のイベントのポスターは、イラストレーターの浅理道晴氏を起用した。当時としては画期的なアイデアだった。

ツインリンクもてぎが誕生し、インディのレースを招聘することになり、そのプロモーションのお仕事をいただくこととなった。新聞見開き2ページ、30段を使ってインディの面白み、迫力を表現することとなった。その時迷わず石崎さんにデザインをお願いした。新聞では通常の縦書きを横書きにして、これまでになかった文字組みと大胆なデザインは高い評価をいただいた。何日も朝から晩まで石崎さんの事務所に詰めて、ああでもない、こうでもないと意見交換しながら、編集する作業は体力的には辛かったけれど、とてもとても楽しかった。

近年は、お会いする機会もなかったが、今年になって体調を崩して入院していると聞いた。生前にお礼をお伝えできなかったことが心残りです。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。お世話になりました。


あちらに向かう段になったら、またお世話になります。また飲みに連れてってください。

文:高橋 二朗

高橋 二朗

高橋 二朗

日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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