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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。
【Pre-match Words 鹿島アントラーズ・土居聖真編】
(2015年7月14日掲載)
Q、今シーズンから背番号も8になって、錚々たる選手が付けてきた番号を任されるプレッシャーはゲームを追うごとに増していますか?
A、そうですね。実際に付けてみて、負けている時の試合中なんかによく「ここで自分が何かをしなければ、今まで野沢(拓也)さんだったり小笠原(満男)さんが付けてきて、そこに並ぶことすらもできないんじゃないかな」というのが、本当に負けている状況の時にふと頭をよぎるんですけど、そういう時にやっぱり8番を付けている時にやらなきゃなという想いを持たせてくれるのを今年は凄く感じるというか、番号が僕にそうやって思わせてくれることが多いかなと思いますね。
Q、ここまでのリーグ戦で4ゴール2アシストという数字に関しては率直にいかがですか?
A、もうちょっと取れたかなというのは正直な感想ですし、あまり比べることはしたくないんですけど、「去年とそんなに変わっていないのかな」というのがあって、悪い言い方をすれば「まだ一皮向けていないな」という見方ですし、良い言い方をすれば「去年の半分終わったくらいとACLも含めて継続するくらいはできているかな」というのはあります。本当に満足はしていないので、セカンドステージの1試合目で内容は良くなかったですけど、結果だけ見れば個人的にもチーム的にも勢いの付くスタートは切れたかなと思うので、これをきっかけにしっかり上位争いに、優勝争いに入っていけるようにしたいですし、僕がそうやって活躍しないとチームもノッてこないかなと思うので、目指す所を高く設定してやっていけたらなと思います。
Q、僕は横浜FM戦(2015年J1 1st-第16節 〇3-0)のゴールが"お気に入り"なんですけど、アレは会心のゴールだったんじゃないですか?
A、自分がゴールを決める前にもゴール前に顔を出す機会が多くて、ボールを触る回数も多かったですし、自分としてはやっぱりちょっと気持ち的にもプレー的にもノッていたかなという所でのゴールだったので、良いイメージであそこまで行けたかなと思います。
Q、中澤(佑二)選手を切り返しで外した後は、あの流れだとファーに巻くシュートが多いと思いますが、あそこでニアサイドを選択したのはどういう感覚だったんですか?
A、見てくれた人にはよく言われるんですよ。「よくニアに打ったね」と(笑) 僕も本当にギリギリまでファーサイドを狙って打とうと思っていたんですけど、「GKがファーをケアしているんじゃないかな」「ちょっと動いたんじゃないかな」って本当にその一瞬だけ思って、ファーを見ながら感覚でニアに打ったかなという感じだったので、珍しく落ち着いて(笑)相手の裏をかいたプレーだったかなと思います。
Q、アレはメッチャ気持ち良かったんじゃないですか?
A、そうですね。あそこまでの過程もそうですし、シュートの時の駆け引きも全部相手の逆を突いて、しかもイメージしていたことではないですけど、一瞬の判断で切り替えてやれたことが良かったかなと。ああいう部分がサッカーの醍醐味的な所でもありますし、相手の裏をかくというのが連続して出たプレーだったので、凄く気持ち良かったですし、嬉しかったかなと思います。
Q、アシストは特に川崎戦(2015年J1 1st-第17節 ●2-3)のプレーが素晴らしかったと思いますが、ゲームは負けてしまったものの、あのプレー自体に関しては手応えがあったんじゃないですか?
A、そうですね。なかなか自分にボールが入ってくることが少なかったので、自分がボールを持った時、自分にボールが入った時は何とかチャンスにしたいなとは思っていました。それにゴールへ向かうプレーをしなきゃなとも思っていたので、自分は逆サイドから入って行ったんですけど、西(大伍)選手がタイミング良く出してくれたなというのもありますし、金崎(夢生)選手も良いタイミングでサポートに来てくれていたと思います。トラップして反転して自分で行くという選択肢もありましたけど、その前のワンプレーで反転していたというのもあって、相手もそういう風に読んでいるかなと思ったので、そこは「うまく落とせたかな」「シュートを打ちやすいパスを出せたかな」と思いますし、やっぱりああいうプレーをどんどん続けていければなと思います。
Q、このタイミングで聞かない訳にはいかないんですけど、一昨日の新潟戦(2015年J1 2nd-第1節 〇3-2)はどういうゲームでしたか?
A、自分たちの特徴が本当に出せない90分だったかなと思いますし、マリノス戦の話の中でも言ったように自分がたくさんボールに触って、ゴール前に絡んでいくことで自分もノッていきますし、チームもリズムができるかなという感じは凄くあったんですけど、なかなか自分もボールに触れず、周りの選手もボールロストが多くて、チーム全体としてボールを保持することができなかったですね。でも、そんな中でもACLで教えてもらったことを、自分たちがどんなに攻め込んでも点が取れなくて、内容的には素晴らしいゲームをしているけど一発やられてというのを教えてもらったので、本当に点を決めた以外に僕は何にもしていなかったですし、リードされている時も「何かしなくちゃいけない」「ゴールに繋がる潰れ役でもアシストでも、もちろんゴールでも何でもいいからとりあえず何かしなくちゃいけない」と思っていました。
そんな時、後半のラスト10分を切っていたと思うんですけど、相手のFKがあって僕が壁に入った時に、小笠原選手に「やってこい」と。「今日オマエ何もしていないぞ。何かやってこい」と言われた時に、チームのためだったり自分のためだったりはもちろんそうですけど、「ああ、満男さんのためにも応えてやらなきゃ」と思って。ここでやらなかったら本当に今まで付けてきた鹿島の8番の方に申し訳ない気持ちが凄くあって、そう思っていた中での同点ゴールだったので、それが結果的には逆転して勝ち点3に繋がった訳で、もしかしたら引き分けだったかもしれないですし、もしかしたら負けていたかもしれませんけど、やっぱりあそこに詰めていたということがきっかけになって、勝ち点3に繋がったというのは、「こういう仕事をしてきたのが鹿島の8番なんじゃないかな」って凄く感じさせられたゴールだったかなと思います。もちろん内容も良くして、完封して勝たなければいけないというのは理想ですけど、試合が始まってそう行かなかった時にどうしなきゃいけないかというのはこれからの課題でもあるかなと思うので、それがまだまだですけど1つクリアできた試合なのかなと思います。
Q、少しキャリアについてもお話を聞かせて下さい。小学校の頃は、既に山形県内でもかなり名前を知られた存在という感じでしたか?
A、そうですね。4年生、5年生の時から、もう6年生の試合に出させてもらっていて、そこで揉まれていたからというのもありますし、5年生の時はチームに6年生が2人しかいなかったので、ほぼ5年生のチームだったんですけど、それでも東北大会3位とかある程度戦えるメンバーが揃っていたんです。そんな中でも中心選手というか本当に点取り屋だったので、そういう頃に東北選抜だったり、全国の選抜というかトレセンみたいなのに呼ばれたりしていて、東北ではある程度名は知れていたかなというのが自分の感想ですね。
県内ではほぼ敵なしでウチが強過ぎて、ウチのチーム以外のチームで県の選抜チームを作り始めて、"打倒!ウチのチーム"みたいな感じで、親たちもそういうような戦いになっていきました。その選抜と対戦した夏の全国大会予選の県大会決勝でPK戦になって、それで負けてしまったんです。まあ僕もPKを外したんですけど(笑) そのチーム以外にはあまり負けた記憶がないですね。フットサルでもバーモントカップに出ましたし、普段の試合も20点以上とか普通に取っていましたし、県のサッカー協会の方にも「こんなに点を取った子は初めてだ」みたいに言われたり(笑)、そういうようなことは凄く言われていましたね。それで山形県選抜の一員として選抜大会みたいな大会に出た時に、その県選抜チームの監督の方に「お前はもう山形でとどまっていちゃいけない選手だ」と言われていて、僕自身は本当は「モンテディオ山形のジュニアユースに行こうかな」という感じだったんですけど、それを言われた時に「そうなのかな」と思って、なるべく上を目指したいなと思いました。
それでバーモントカップに出た時にアントラーズジュニアも出ていて、そのジュニアの監督さんに「セレクションだけでも受けてくれないか?」と言われたんです。本当はその時にベガルタ仙台のジュニアユースに行くことが決まっていたんですけど、鹿島のセレクションだけ受けに行ったら合格をもらったので、ベガルタの関係者の方には本当に申し訳なかったんですけど、「鹿島に行きます」と挨拶をしに行って断りを入れて、鹿島に決めてここへ来ました。
Q、鹿島にはお母様といらっしゃったんですよね?
A、はい。逆単身赴任みたいな形で。お父さんが仕事を辞められなくて、それも本当に支えになったかなと思いますね。
Q、実際に鹿島へ来てみてどうでしたか?
A、鹿島に来る前は自分が人見知りだと思っていなかったんですけど、その時に「ああ、俺って凄い人見知りなんだ」というのを体感しました(笑) 最初は友達もいないですし、知らない場所じゃないですか。それまではあまり1人でいるということを体験したことがなかったので、学校では最初の数週間か数ヶ月くらいだったとは思いますけど、なかなか話す人もいなくて、ずっと1人で勉強だったりをやることも多くて(笑) そんな中でも少しずつ周りが声を掛けてくれるようになって、サッカー部の子だったり同じジュニアユースの子だったりが話してくれて、打ち解けられるようになってからサッカーの方も充実してきたなというのは凄く覚えていますね。
Q、中学生にとってその数か月はキツいですよね?
A、そうですね(笑) 学校で目立っている子たちっているじゃないですか。最初はそういう子たちじゃなくて、ちょっと静かな子たちとしか喋れなくて、というかその子たちしか喋ってくれなくて、「俺、いじめられるんじゃないかな?」という感じだったんですけど(笑)、その時に喋ってくれた子たちに救われた感じで。それから、だんだん女の子とかも「どこから来たの?」とか気軽に声を掛けてくれるようになっていって「やっと喋れたな」みたいな(笑)
まあ自分から行けば良かったのかなとも思いますけど、当時はなかなか行けなくて、そこで初めて「ああ、人見知りなんだ」というのが出てしまいました(笑) でも、みんながそうやって助けてくれたし、今となれば良い想い出ですね。友達の親も結構子供好きな人が多くて、少年団でサッカーを教えている人とかにみんなで混ざって、空き地でサッカーをしたりしていたんですけど、それが本当に今となっては財産だったかなと思います。
Q、鹿島アントラーズの下部組織出身ということへのこだわりは強いですか?
A、なかなかフィールドプレーヤーで主力になって、コンスタントに活躍したという選手は野沢さんだったり、GKですけど曽ヶ端(準)さんしかいないという状況で、僕もやっとこうやって試合に出られるようになりましたけど、野沢さんと僕との間にユースの選手で主力という選手のはなかなかいませんでしたし、僕をきっかけにして僕より下の子がもっとトップチームに来てくれるようになれば良いかなという想いもあります。それにやっぱりユースだったりジュニアユースを目指してアントラーズに入ってきてくれる子供たちも増えてきて欲しいなという願いもあるので、今置かれている状況でしっかり結果を残して、どんどん目立っていかなくてはいけないのかなとは思いますね。それは背番号が8番になったということもありますし、ユースを代表して試合に出ているという自覚も強くなってきたかなとも思うので、本当に周りから見れば「まだまだだよ」と言われることの方が多いかもしれないんですけど、1個ずつ着実にクリアしてレベルアップしていければいいかなと思います。
【プロフィール】
ジュニアユース、ユースと鹿島で育ち、年代別日本代表を経験しながら2011年にトップチーム昇格。昨シーズンはJ1で8ゴール5アシストを記録するなど定位置を確保。今シーズンから野沢拓也、小笠原満男が背負った8番を継承し、さらなる飛躍が期待される。
※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。
ご了承ください。
取材、文:土屋雅史
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