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このブログについて

J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

スタッフブログ 2013年10月31日

週刊サッカーマガジンへの御礼

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今週の発売号で20年におよぶ週刊誌としての形態へ
別れを告げることになった「週刊サッカーマガジン」。
実は私は2000年4月から約13年半に渡って、
全発売号を購入し、しかもそのすべてを保管しているくらいの
"サッカーマガジン好き"なんです。
ということで、いつもデータ的な話題が多いので、
たまには個人的な思い出話なんかを綴ってみたいなと思います。


私は幸運にもいわゆる"プレーヤー時代"に
何回かサッカーマガジンに取り上げて頂いたことがあります。
その中で初めて誌面に名前が掲載されたのは1997年8月。
高校3年時のことでした。


京都で行われたインターハイに
何をどう間違ったのか県代表として出場し、
さらに無欲過ぎたことが功を奏したのか、
全国でもベスト8まで進出してしまった我が校。
今から考えても相当奇跡的な出来事でしたが、
非常にいい思い出として鮮明に記憶しています。


敗退から1週間後、
夏休み期間ということで補習の帰り道に、
「サッカーマガジンにウチらも出てるかなあ」なんて思いながら、
ふらっと最寄駅の本屋さんへ立ち寄った私。
置いてあったサッカーマガジンのページをパラパラとめくっていくと、
ありました、ありました!
当時の高校サッカーは今以上に扱いも大きく、
ベスト8の写真と一言戦評も掲載されていたものの、
唯一の写真に選ばれていたのは私ではなく、
2トップを組んでいたパートナーの方でした。


「マジかよ~ アイツだけかよ~」とちょっと羨ましく思いながら、
何気なく特集記事周辺を眺めていると、
突然飛び込んできたのは自分のフルネーム。
「ん??」
自分と共に30人くらい並んでいた名前の一番上には
"大会優秀選手"の文字が!
「マジか!!!」
そうなんです。私は自分が大会優秀選手に選出されたことを
大会終了から1週間以上経って、サッカーマガジンで知ったんです(笑)


確かに優秀選手は決勝直後に発表されるはずなので、
その時はもう地元に帰ってきていましたし、
選手権とは違って、優秀選手を集めた合宿がある訳ではないので、
まあ気付かないっちゃあ気付かないんですけど、
まさか本屋で立ち読みしていたサッカーマガジンで
そんな大事なことを知ろうとは!(笑)
偶然隣にいた人もサッカーマガジンを読んでおり、
思わず興奮し過ぎて「コレ、オレなんですけど!」と言いたくなる気持ちを
グッと飲み込んだのを今でも覚えています。
かなり思い出深い真夏の一コマですねえ。


時は過ぎ、サッカーマガジンを毎週購入するようになっていた大学時代の私。
大学5年時(!)には就職活動を
サッカーに"関係のありそうな"業界だけに絞り、
いくつかの企業を受けたものの、ことごとく落ちまくる日々が続いていました。
ただ、それでも大した危機感を抱いていなかったのは
なかなか採用募集の出ない2つの企業が、
私の考えていた実際の第1志望だったから。
それがベースボール・マガジン社と
ジェイ・スポーツ(当時はジェイ・スカイ・スポーツ)でした。


当時、サッカー業界に何の関わりもなかった私は、
カンダタの蜘蛛の糸ばりに細い知人のつてを辿って、
サッカーマガジンの編集長だった伊東武彦さんに会ってもらっています。
しかも、ベースボールマガジン本社で。
(今日まで本社を訪れたのはこの1回だけです)


自分のサッカーへの想いを伝え、
大学が同じ、留年経験も同じ、行きつけだった居酒屋も同じという
偶然にしてはすがりたくなるような
伊東さんとの共通項も多数発見できた中、
「それとこれと話は別」と至極まっとうな理由(笑)を説明され、
採用自体がないという事実を知ったのが7月くらいだったでしょうか。
バイトからスタートというルートもあるにはあったらしいのですが、
その枠も埋まっているということで、
ベースボール・マガジン社に潜り込む野望はここに潰えたのです。
ちなみに、その時バイトをしていた人はそのまま正社員になり、 
数年後には現場でしょっちゅう顔を合わせることになるのですが。


結局、10月に募集があったジェイ・スカイ・スポーツに応募し、
12月に内定が出るという究極の綱渡りで
最後は第1志望の会社に入社できたんですけど、
あの時に伊東さんとお会いできて、色々なお話をお聞きできたのは、
学生だった自分にとって非常に大きな経験になりました。


私がサッカーの現場へ通い始めるようになったのは2005年から。
伊東さんは2004年で編集長を退き、
ベースボール・マガジン社を退社されていたので、
あの時の御礼を伝えることは叶いませんでした。
ところが今年の1月1日、
天皇杯決勝の取材に向かう電車の中で
偶然にも伊東さんをお見かけしたんです!
たぶん覚えてらっしゃらないだろうなあと思いながらも、
「あの... 実は...」と話しかけさせていただき、
あの時の御礼と今の自分が置かれている環境をお話しすると、
「それは良かった!何かあったらいつでも連絡してね」と笑顔を見せて下さった伊東さん。
何か10年分の胸のつかえが一気に取れたような気がしました(笑)
そんな私にとっては非常に思い出深いことが
結果的にサッカーマガジンが週刊ではなくなる年の元旦に起こるなんて、
何か勝手に色々なものを結び付けたくなっちゃいます。


思えばプレーヤーとしてボールを追いかけていた高校時代、
先行きの見えない就職活動に悶々としていた大学時代、
そして多くの"人"に恵まれ、サッカーに囲まれた生活を送れている社会人生活、
その傍らには常にサッカーマガジンがあった気がします。
今はその偉大なる功績に思いを馳せつつ、
誌面作りに携わられたすべての方々へ
御礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
magazine1031.JPG
土屋

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