人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

サッカー フットサル コラム 2022年2月16日

元気そうで安心したネルシーニョ監督。Jリーグ創成期から活躍する柏レイソルの名物指揮官

後藤健生コラム by 後藤 健生
  • Line

柏もスタートで躓きたくないという気持ちが強いことだろう。

さて、新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年以来、Jリーグの各クラブは感染対策を強化。試合後の監督、選手の対応もすべてオンライン形式で行われていたが、今シーズンは対面形式での取材が許されるようになった。

「ちばぎんカップ」でも、試合後には両チーム監督の対面形式での記者会見が行われた。

柏レイソルの監督はネルシーニョである。久しぶりに直接顔を合わせたが、血色も良く大変に元気そうな様子だった。

ネルシーニョ。本名ネルソン・バプティスタ・ジュニオール。1950年7月の生まれだから、今シーズンの途中で72歳となる。現在のJリーグでの最年長監督である。

名門コリンチャンスやパルメイラスを含む多くのブラジルのクラブで監督を務めた後、Jリーグ発足2年目の1994年に当時のJリーグ最強クラブ、ヴェルディ川崎(現、東京Vウェルディ)のコーチに就任。松木安太郎監督の下で、実質的に指揮を執った。そして、1995年と96年には同クラブの監督を務めた。

そして、1995年には日本サッカー協会の技術委員会が、当時の日本代表の加茂周監督の交代を提言。後任としてネルシーニョ監督が選ばれ、条件交渉まで行っていたが、加茂監督を支持するグループが巻き返し、結局、当時の協会は加茂監督を留任させた。その間の数々の行き違いから、「はしごを外された」状況に置かれたネルシーニョ監督が協会幹部を「腐ったみかん」という言葉を使って非難するに至った。

その後、ブラジルに帰国したネルシーニョだったが、名古屋グランパスや柏レイソルでも監督を務め、2010年に柏をJ1に昇格させ、翌2011年には昇格初年度優勝を成し遂げた。

Jリーグの初期。日本人選手や日本人指導者の戦術理解度は現在と比べたら低いレベルにあった。ネルシーニョ監督が試合の流れを見て、試合中に指示を送ってシステム変更を行って流れを取り戻してチームを勝利に導く姿は大変に印象的なものだった。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

人気ランキング(オンデマンド番組)

J SPORTSで
サッカー フットサルを応援しよう!

サッカー フットサルの放送・配信ページへ