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サッカー フットサル コラム 2020年3月31日

映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を見た。同時代人の一人として、涙なしには見られない彼のナポリ時代

後藤健生コラム by 後藤 健生
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それに対して、マラドーナとメッシはまさに自分と同時代の選手で、ユース代表の時代からワールドカップの晴れ舞台まで、何度も何度も生で観戦している。

とくに、マラドーナは1960年生まれというから、僕より8歳下ということになる。

マラドーナのことを初めて知ったのは、1978年のアルゼンチン・ワールドカップを観戦に行った時に、現地の人たちから「最後まで代表候補に入っていた17歳の天才少年がいる」と聞いた時のことだった。そして、なんとその翌年に日本で開かれたワールドユース・トーナメント(現・U−20ワールドカップ)ではマラドーナがU−20アルゼンチン代表のメンバーとして来日し、圧巻のプレーを見せてくれた。

以後、1982年のスペイン大会から1994年のアメリカ大会まで、ワールドカップではいつもマラドーナのアルゼンチンを中心に観戦してきたし、地元のブエノスアイレスでも何度かマラドーナの試合を見てきた。

まさに、同時代を生きていたわけで、僕にとって最も思い入れの強い選手だ。

ドリブルの技術などはおそらくメッシの方が上なのだろうが、ゲーム全体の流れを見通して、敵味方のすべてをコントロールする戦術眼、いや「戦術眼」という言葉を超越する「洞察力」という意味ではマラドーナの方が上なのは間違いない(ディ・ステファノやペレについては、なにしろ生で観戦する機会がなかったり、少なかったりするので、評価のしようがない)。

そのマラドーナが最も輝いたのは代表レベルでは1986年のメキシコ・ワールドカップだった(あの大会では、僕はアルゼンチンの全7試合をスタジアムで観戦した)。そして、クラブレベルで彼が最も輝いたのがSSCナポリ時代だった。

それまでは、イタリアでは中堅のチームだったナポリだが、マラドーナが加入した1984/85年シーズンから7シーズンの間にセリエAで2回優勝、コッパ・イタリア優勝1回という黄金時代を迎えたのだ。そもそもイタリアのサッカー界では貧しい南部のチームが優勝することすら、珍しいことなのだった。

その原動力となったマラドーナは、ナポリでは神のような扱いを受けた。

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