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サッカー フットサル コラム 2018年7月29日

「ドーハの悲劇」の生き証人・森保一監督が新たに就任。日本代表の監督史を紐解く

元川悦子コラム by 元川 悦子
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2002年日韓大会メンバー23人のうち、シドニー五輪世代に該当するのは12人。三都主アレサンドロは帰化選手であるため五輪には行っていないが、ほぼ半数が下から上がってきた若手だった。当時は小野伸二、稲本潤一(ともに札幌)ら傑出した才能を持つ20代前半の選手が数多くいたから、トルシエも仕事がやりやすかったはずだ。

その一方で、トルシエは上の世代を軽視したわけではなかった。森保監督と同じドーハ組に該当する中山雅史(沼津)をわざわざ最終メンバーに入れ、98年フランス大会初出場の生き証人だった秋田豊(現解説者)も最後の最後に選んでいるのがその証拠だ。大会中にケガをした森岡隆三(前鳥取監督)が「試合に出れなかったベテランが率先してチームをサポートする姿にどれだけ助けられたか分からない」と語っていたが、トルシエはベテラン選手の価値も理解したうえで強固な結束力のある集団を作った。こうしたチーム作りは今回のロシアに共通する部分でもある。森保監督もぜひ参考にしてほしい。

90年代から2000年代前半にかけては日本サッカー界が最も勢いに乗っていた時代。当時の勢いを取り戻したいというのは、多くの関係者の強い願いでもある。当時の日本代表がどのようなものだったかを改めて学ぶことも森保ジャパンの行く末を探るうえで重要ではないか。現在、J SPORTSで放送されている「蹴球日本代表監督史」は1つの大きな手掛かりになるはず。より多くの方この放送を見ていただき、日本代表の歴史に思いを馳せてほしいものだ。

代替画像

元川 悦子

もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。

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