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サイクル ロードレース コラム 2010年5月27日

【ジロ・デ・イタリア2010】第17ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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2度目の登場にして早くもジロ名物になったプラン・デ・コロネスの山岳タイムトライアルを終えて、2010年ジロの総合争いはラストスパート前のほんのわずかな休戦状態だったのだろうか。

「逃げ集団が最後まで行くだろうから、今日はそれほど総合に動きはない」とスタート前にアレクサンドル・ヴィノクロフは予測し、「昨日の山岳TTで体も心も100%尽くしたんだから、それほど動かなかったのは至極当然だよ」とゴール後にリクイガス監督は締めくくった。もちろん総合争いの選手たちは、一見静かにペダルを漕ぎながらも、常に緊張は保っていたはずだ。マリア・ローザ擁するケースデパーニュがきっちりとプロトンと逃げ集団のタイム差をコントロールし、3kmと短いものの傾斜の厳しい最終峠ではいつものようにリクイガスが攻撃的な走りを見せた。しかも登坂距離が短かったからこそ、それだけ選手たちは爆発的な加速を行った。そしてヴィノクロフの宣言通り、峠を先頭で駆け上がったのは逃げの選手だった。

12km地点でダミアン・モニエとミハイル・イグナチェフがアタックを仕掛けたのを皮切りに、飛び出し合戦が巻き起こった。レース最初の1時間は走行時速は50kmを超え、ようやく19人が逃げを決めたのが54km地点。エスケープ集団には当然のように最初に逃げを打った上記2人も滑り込んだが、その他に昨ジャパンカップで2位に入った山岳巧者ダニエル・モレノ、昨ジロ最終ステージ勝者のイグナタス・コノヴァロヴァスの姿もあった。また総合で18分57秒遅れのアレクサンダー・エフィムキンが逃げ集団にいたためか、ケースデパーニュも集団制御のために選手を1人送り込んだ。

なによりも、先頭集団には新城幸也が入っていた!第5ステージの大逃げで世界に実力を示したジャッポネーゼは、チャンスがあればもう一度アタックしたいとの決意を行動に移した。この新城を含む19選手は後続プロトンをあっというまに11分近く突き放す。その後わずかにタイムを戻されたものの、ゴール前30kmのアーチをくぐった時点でも未だ8分30秒のリードを保っていた。区間勝利への駆け引きが勃発したのは、その直後だった。イグナチェフの単独アタック。それをきっかけに先頭集団内では壮絶な加速と牽制が繰り返された。18人がイグナチェフを吸収し、新城もひとりで飛び出して——。最終的に抜け出しに成功したのはモニエ、ダニロ・ホンド、そしてスティーフェン・クルイシュウィックの3人だった。

「3人とも脚の調子は同じくらいの状態だった」と感じたモニエは、最後の上りに入った直後に、ライバルの様子を伺うために軽い加速を試す。そこで「いける」と感触を得ると、改めて本気の加速。2人を振りほどくと、そのまま山頂まで必死にペダルを漕ぎ続けてフィニッシュラインへと飛び込んだ。……飛び込んだと同時に、地面に崩れ落ちてしまった。「脚にまるで力が残っていなかった。立っていられなかった」と文字通りに全力を尽くして手に入れたのは、グランツール初勝利であるのはもちろん、プロ入り6年目のプロ初勝利。また今ジロでは第5ステージのジェローム・ピノーに次ぐ2人目のフランス人勝利であり、フランス籍チームにとっては初めての美酒となった。

アタックと最終盤のメカトラブルでエネルギーを余分に使ってしまった新城は、2分12秒遅れの13位。優勝したモニエと同様に、自転車を降りるとしばらく動くことができず、まるでスプリントのような短距離登坂の厳しさを物語っていた。「明日はアタックはお休みです」とのこと。

優勝本命たちもやはり最終3kmで短期決戦を仕掛けたが、総合一桁台でライバルたちからタイムを失ったのは総合3位リッチー・ポートが8秒、5位カルロス・サストレが5秒、9位ダミアーノ・クネゴが8秒のみ。ダビ・アローヨが問題なくマリア・ローザを2分27秒差で守りきった。新城がお休み宣言したように、ほぼ平坦な第18ステージは総合争いも本格的なお休みとなるだろうか。ジロ関係者の間ではヴェローナ最終日まで総合優勝争いがもつれるに違いないとの期待で持ちきりだ。

またこの日のステージは、2001年と2003年の2度ジロを制したジルベルト・シモーニが生まれ育ったジョーヴォからほど近い地域を通過した。沿道には「ありがとうジーボ」と今ジロを最後に引退する大チャンピオンへの感謝の横断幕がいくつも見られ、ゴール地には夫人と3人の子供が駆けつけた。今大会中にはジロ・デ・イタリアならぬ「Gibo d'Italia」という自叙伝も発売されている。2010年のマリア・ローザ争いはあと4日、そしてシモーニが自転車を降りるまであと4日となった。


■ダミアン・モニエ(コフィディス ル クレディ アン リーニュ)
ステージ優勝

最後の峠はすごく辛かった。勝利がかかっていたから、文字通りの全力疾走だった。ゴールラインを越えたらもう脚には全く力が残っていなくて、倒れこんでしまった。山の麓で先頭が3人に絞り込まれた。脚の調子は3人とも同じくらいの状態だと感じたから、チャンスを試しに行こうと思った。それもボクが1番に仕掛けなきゃだめだ、と。だから山に入ってすぐに少し加速した。すると2人は苦しそうな様子を見せた。もしかしたら苦しいふりをしているのかも……とも思ったけれど、いや、2人は本当に辛そうだった。だからこれはいける、と最後のアタックを決めたんだ。

実はジロに出場する予定はなかった。年の初めに胃の病気にかかって、シーズン序盤は思い通りの走りができなかった。だからチームにジロの出場リストに入れてくれるよう頼んだんだ。でも結局は補欠だったんだけど、なんとチームのイタリア出発前日にチームメイトが1人病気になった。こうして急遽ボクの出場が決まった。最終的には全て上手く事が進んだというわけなんだ。ボクは2年前にもジロに出場していて、そのときの経験も今大会には大いに役立っている。

最初に感じたことは「信じられない」だった。その次に「ようやく」という思いに変わった。ジロへ出かけるときに、実は妻に「多分、勝利を持って帰ってくるよ」と告げてきたんだ。なぜあんなことを言ったのか分からないけど、なにか予言のようなものだったのかな。妻は上海近郊生まれの中国人。5年前に結婚して、1歳半の娘がいる。フランス名はクロエで、中国名はカイリン。ボクの父が昨年亡くなったから、父のためにもいい成績を上げたいと去年からがんばってきたんだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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