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サイクル ロードレース コラム 2010年5月31日

【ジロ・デ・イタリア2010】第21ステージレースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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紀元前ローマ時代に建築された円形劇場に、ピンク色の長い花道が築かれた。3週間の試練を乗り越えて、最後の15kmを走りきった139選手全員が、勝利者としてアリーナの中央に迎え入れられた。栄光への最後を門をくぐりぬけると突然目の前に広がる古代アリーナと、耳に飛び込んでくる観客の歓声に、どの選手も驚きと感動の色を隠せなかった。

「こんな素敵なショーを用意してくれた開催委員会にブラボーと言いたいね」と感激屋のカデル・エヴァンスは賞賛の声を上げた。「鳥肌が立ったよ。だってステージに子供たちが待っていたんだから!」と、ゴール直後にドミティッラちゃんとサンティアゴ君を抱きしめたこの日の主役イヴァン・バッソは語った。そして2010年ジロ・デ・イタリアを締めくくる最高の舞台に、とびきりめかしこんで飛び込んでいったのはジルベルト・シモーニだった。大会21日間何度となくTVインタビューや会場のマイクを通して「グラッツィエ(ありがとう)」の言葉を繰り返してきたジーボは、ジャージの下に着込んでいたワイシャツとピンクのネクタイという正装で、ファンに別れの挨拶を告げた。

日本の新城幸也は、ステージ上のMCから「北斗の拳」のアタタタタ……の掛け声で迎え入れられた。最終ステージは1分53秒遅れの97位で終えた。第5ステージの大逃げ3位で自転車関係者に強烈な印象を刻みつけ、第17ステージの逃げで高い実力を改めて証明したジャポネーゼは、総合では3時間22分21秒遅れの93位。ジロは1990年の市川雅敏、2002年の野寺秀徳に続く日本人3人目の完走であり、本人が大会前から目標の一つにあげてきた「ジロ&ツールの両方を完走した初めての日本人選手」となった。この先は6月17日から始まるルート・デュ・シュドに出場。またジャパンナショナルチャンピオンジャージ獲得目指して6月27日の全日本選手権にも乗り込みたいと意気込んでいる。ちなみにこのジロでBboxブイグテレコムを指揮したアルヌー監督によれば「チームは今大会のユキヤの走りに非常に満足している。彼はグランツール出場選手としてふさわしいレベルの走りを見せた。個人的には、ユキヤは今年のツールに出る価値のある選手だと思う」とのこと。ブイグテレコムのツール出場メンバーは、ベルノドーGMと監督陣の話し合いによって、各国ナショナル選手権に正式決定される。

レース中からすでにお祭りのような雰囲気に包まれていたベローナだったが、数人のタイムトライアル巧者は、大会最後の勝利を手に入れようと高速ペダル回転に精を出した。3週間前のアムステルダムTTを制したブラドレー・ウイギンズや、2年前のミラノ最終日個人TTの勝者マルコ・ピノッティは、ナショナルチャンピオンジャージの意地にかけても優勝が欲しかったに違いない。しかしウイギンズを29秒、ピノッティをわずか2秒差で突き放したのは、北京五輪個人タイムトライアル銀メダリストのグスタフエリック・ラーション。コース中盤に大会最後の山岳ポイントが待ち受けていたせいか優勝時速こそ44.298kmと平凡な記録だったが、最終日の華々しい表彰式にまっさきに登場する権利と、4賞ジャージの選手と並んで共同記者会見を行う特典を手に入れた。

また3週間の総合争いを大いに盛り上げたアレクサンドル・ヴィノクロフ(マリア・ローザ5日着用)とエヴァンス(マリア・ローザ1日着用、区間1勝)は、表彰台の望みこそほぼ絶たれていたものの……、やはり最後の区間勝利をひそかに狙っていたようだ。「でも前日のステージに逃げを打って体力を大いに使ってしまったから、難しかったようだね」とアスタナのマルティネッリ監督。その通り、それぞれラーションから17秒遅れ、22秒遅れと、2人ともほんの少しだけ勝利には足りなかった。ヴィノクロフは結局総合6位で初めてのジロを締めくくった。エヴァンスは総合5位。さらに通常はスプリンターが手にすることが多いポイント賞マリア・ロッソ・パッショーネを、世界チャンピオンジャージの上に身にまとった。これは区間勝利1回、2位3回、3位1回で大量のゴールポイントをコンスタントに積み重ねてきた結果だ。

ただし最終日のベストバトルは、間違いなく、前日終了時点で総合3位につけるヴィンチェンツォ・ニバリ vs 4位ミケーレ・スカルポーニだ。前夜の2人のタイム差はわずか1秒。そしてスタート直後から両者の関係は一進一退を繰り返す。今ステージの唯一の難所、8.5km地点に待ち構える山頂ではスカルポーニが1秒上回り……つまり総合では全くの同タイムに並んだ!「1秒差、0秒差、8秒差と刻々と変わるタイム差が無線を通して伝えられた。まるで心が落ち着かなかったよ」と全てを終えた後に笑い話のように語ったニバリは、しかし後半でスカルポーニを大きく突き放した。ジュニアとU23の世界選手権TTで3位に入った経験を持つオールラウンダーは、結局、区間12秒=総合13秒差でフィニッシュ。ジロの表彰台目指してシーズン序盤から飛ばしてきた30歳スカルポーニは悔しい総合4位に終わり、一方でジロには不出場予定だったのに開幕1週間前に急遽呼び出された25歳が予想外のグランツール初表彰台へと上った。

総合2位のダビ・アローヨとマリア・ローザのバッソは、スタート前に緊張した表情をのぞかせはしたものの、突発的なアクシデントが発生しない限り順位は安泰だと考えられていた。その通り、特に何事もないまま2人は表彰台の上2つの座へとついた。アローヨはマリア・ビアンカのリッチー・ポートと並んで、雨の第11ステージで発生した56人の記録的な大エスケープの残党だ。そこでライバルたちに軒並みつけた12分以上の大差を、逆転できたのは結局バッソしかいなかった。「チームが素晴らしい仕事をしてくれたおかげなんだ。毎日失ったタイムを追いかけて走るのは非常に辛い仕事だった。でもボクらは成し遂げたのさ」と語るバッソは、表彰式ではチームメイト9人全員と黄金の優勝トロフィーを喜び合った。

ピンク色の紙ふぶきが夕暮れの空に舞い上がり、音響効果抜群の古代アリーナにイタリア国歌が高らかに鳴り響く。3年ぶりのイタリア人優勝に、地元ファンも開催委員会も熱狂を隠そうともしなかった。「これでひとつの目標が達成された」と2006年ジロ以来4年ぶり2度目のグランツール勝利を手にしたバッソは断言する。「でも今からは新たな目標に向かう。明日、朝一番にすることはツールのコースマップチェックだね」。5月最後の日曜日に、バッソはすでに7月の熱き戦いへと思いを馳せている。


■イヴァン・バッソ(リクイガス・ドイモ)
マリア・ローザ

すごく幸せだ。チームには本当に感謝している。今日のアリーナではチーム全体で最高のときを楽しめたよね。なによりアリーナに入った瞬間はすごく感激した。なんと言っても2人の子供がボクを待っていたんだから。以前のグランツールで娘と一緒に表彰台へ上ったことを思い出した。娘はまだ小さかったから、きっと詳しいことはほどんど覚えていないと思うんだ。でも2008年ツールでサストレが子供と表彰台に上がったシーンを、娘と一緒にテレビで見た。そのときの娘の様子で、彼女があの感動をもう一度味わいと願っていることを悟った。しかも妻が3人目の子供を妊娠している。なんとゾンコランの前夜に聞かされたんだよ!

この優勝はボクのスターティングポイント。年末にボクは33歳になる。まだグランツールの優勝を狙いにいけるチャンスは何回かあるだろう。このジロで見せたようなパフォーマンスを、最低でもあと2、3大会は続けていきたい。コンタドールに立ち向かう準備は出来ているよ。確かに彼はすごいチャンピオンで、この4年間はあらゆるステージレースを制してきた。ただしボクもコンタドールも、これまで互いにベストコンディションの状態で戦ったことはない。心の中では、ボクは彼に対して大バトルを繰り広げられるはずだと信じている。

今回のジロは目標のひとつであり、それが達成された。今からは目標を切り替える。この瞬間から、ボクの野心は、今ジロで見せられたようなパフォーマンスをツールでも見せること。ツールはスペシャルな大会なんだ。シャンゼリゼの表彰台で感じた気持ちは本当に特別だったし、ボクにとっては大きな意味を持つものだった。ボクはツールに出たくてたまらない。だから明日の朝一番にすることは、ツールのコースマップをチェックすること。これまではジロに最大限集中するために、わざと見ないようにしていたからね。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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