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サイクル ロードレース コラム 2011年5月22日

【ジロ・デ・イタリア2011】第14ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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未舗装ゾーンを3回——第5ステージのストラーデ・ビアンケ、第14ステージのモンテ・クロスティスからの下り、第20ステージのフィネストレの上り——ぶつけてきたジロ開催委員会だったが、2つめのゾーンは結局お蔵入りとなった。

前々から「危険すぎる」という意見が噴出していた。選手たちはそろって「怖い」と口にしていたし、多くのチームが安全第一を訴えた。しかし第1回目の休養日にルートの再検討が行われ、アンジェロ・ゾメニャン開催委員長の強い希望で続行が決定された。「下見のときよりは道が整備されているから」と。ところがステージ前夜、急遽、この未舗装ダウンヒル中止が発表された。レース審判の判断でストップがかけられたのだ。ゾメニャンはまるで納得できなかったが、チームや選手たちはこの決定を大いに歓迎した。マリア・ローザのアルベルト・コンタドールも「プロトンの安全のためには、正しい決定だったと思う」と語る。

ちなみに「明日はどこで戦いが勃発するのか分からない。クロスティス?それともゾンコランだろうか?」と前夜語っていたコンタドールだが、つまりクロスティスの可能性は消滅した。そして全ての戦いは、ラスト10km地点から始まるゾンコランに集約されることになった。

最終峠を待てずに、飛び出していった選手もいた。ステージ距離が20km・登坂距離が10km短くなった事実に元気を得て、30km地点で3選手がアタックをかけた。ブラム・タンキンク、マッテーオ・ラボッティーニ、ジャンルーカ・ブランビッラというマリア・ローザ争いに関わりのない3人は、メイン集団から最高10分45秒のタイム差を奪い取った。しかし残念ながら、ジルベルト・シモーニやイヴァン・バッソというチャンピオンたちだけに許されてきた伝説の難峠は、彼らに微笑むつもりなどなかった。麓では4分半ものリードをつけていたにも関わらず、山頂にたどりつく前に、彼らの存在はすっかり消え去ってしまったのだった。

欧州最難関と謳われる魔の山へ向けて、恐ろしい猛スピードで切り込んでいったのはリクイガス・ドイモの面々だった。今大会ここまで積極策を取らずに、イタリアのファンたちをやきもきさせていた緑と白のジャージが、ついに攻撃モードにスイッチを入れた。イヴァン・バッソを総合優勝に導いた2010年ジロでは、何度もチーム総がかりのトレインを組んできた。もちろんゾンコランも山岳列車に乗ったバッソが勝ち取った。ならば昨年成功させた作戦をもう一度……と行きたいところだったが、去年のバッソにはヴィンチェンツォ・ニバリという最高の協力者がいた。今年のニバリは、1人で全てに立ち向かわなければならない。そして1年前のバッソが仕掛けたラスト7.5km地点で、ニバリは動かなかった。

代わりにホアキン・ロドリゲスが加速した。ところがメイン集団は……、特にコンタドールがまるで反応しなかった。「ここまでに予想以上のタイム差をつけることができた。だから今日は、あえてわれわれが動く必要はない。まずはコントロールだ」と複数のチーム関係者がスタート地で繰り返していたから、総合で5分26秒も遅れているロドリゲスは危険人物ではないと判断したのだろう。一方で4分02秒差のイゴール・アントンがラスト6.5km地点=勾配22%ゾーンで飛び出すと、コンタドールはすぐに追跡に向う。しかし3分16秒遅れのミケーレ・スカルポーニがついてきたと知るや、コンタドールは警戒する相手をスカルポーニへと切り替えた。さらに一旦は大きく遅れていた3分09秒差のニバリが、淡々としたリズムで追いついてくると、今度はニバリに張り付いて……。そして「戦術通りに動けた。今日はただ総合順位のことだけ考えた」と満足そうに語ったコンタドールは、3人の中で最もタイム差の多かったアントンの先行を許した。

「群集の波をかき分けて山を上ることなら、ツールですでに経験済みだったんだ。でも今日はものすごい歓声で、無線の音さえ聞こえないほど。だからボクのリードは10mなのか、それとも1分差なのか、まるで分からなかった。あれが、ジロの魔法にかかってしまった瞬間だね」とアントンは語る。実はラスト5kmから4kmのゾーンでは——ちょうど平均勾配が16%超の最も難しい一帯だ——、振り返るとコンタドールとニバリの併走が見えた。しかしどの程度の距離・時間がついているのか把握できずに、ひどく不安に感じたそうだ。おそらくゴール後に、そんな不安が杞憂だったことをアントンは知ったに違いない。最低でも区間優勝が欲しかったニバリが、コンタドールに追走協力を依頼したが、マリア・ローザは首を横に振ったのだから。しかしレース中に無線から情報を得られなかったアントンは、自らのペダルで確実にタイム差を開くほうを選んだ。そして「まるでゴルゴダの丘の受難」を終えたあと、栄光に輝いたフィニッシュラインでは、区間2位コンタドールを33秒も突き放していたことを知る。

バスク産の28歳ヒルクライマーにとっては、ジロで初めての区間勝利。もちろん母国ブエルタではすでに区間3勝しており、2010年ブエルタではリーダージャージも5日間着用しているが……、マルコ・パンターニを崇拝する彼にとって、イタリアでの勝利はまた格別なものだったんだとか。ちなみに昨年のブエルタでは圧倒的な強さを見せ付けながらも、マイヨ・ロホを着たまま、落車リタイアを余儀なくされている。持ち主のいなくなった赤いジャージを引き継いだのは、ほかでもない、ヴィンチェンツォ・ニバリだった。

そのニバリは、ボラ・デル・ムンド(これもまた最大20%超えの激坂)で、2010年ブエルタ総合優勝を決めた。爆発力こそなかったものの、規則正しいリズムを刻み続けることで、本格派ヒルクライマー・モスケラの波状攻撃を耐え切ったのだ。そしてこの日のゾンコランでも、同じように、何度もコンタドールにしがみついた。しかしラスト数百メートルで、するりとかわされてしまう。ゴールタイムは7秒差、そこにボーナスタイムの差が4秒つくため(2位コンタドール12秒、3位ニバリ8秒)、最終的にはコンタドールからさらに11秒失った。総合では3分20秒遅れ。いや、むしろ今のニバリが心配すべきは、自分のはるか前で快適な総合首位ライフを満喫しているコンタドールよりも、すぐ後ろの動向だ。なにしろ総合3位に浮上したアントンが、1秒差に迫ってきている!またスカルポーニは連日奮闘を続けるも、タイムも総合3位の座も失ってしまった(4分06秒差の総合4位)。

上位選手のゴール直後、ゾンコランの山頂を季節はずれの霰が襲った。その後も魔の山には大粒の雨が降り続き、ただでさえ激坂激闘で疲れ切っている選手たちの体を無常にも冷たく濡らした。そして翌日はドロミテ3連戦最終日。229kmの長く苦しい山岳ステージが待ち構えている。しかもスタート時間が予定よりも25分早まった。チームによっては、朝7時半にはホテルを出発しなければならない。


●イゴール・アントン(エウスカルテル・エウスカディ)
区間勝利

ゾンコランでの戦いはTVで見たことがあった。シモーニやバッソの勝利の場面を覚えているよ。この峠は同じ勾配がずっと続くから、むしろボクの苦手とするタイプの上りなんだ。だから非常に危険な賭けだった。自分自身に対しての大いなる挑戦だった。今日の敵はライバルたちではなく、ボク自身だったのさ。そしてアタックをかけてからは、集中力を保ち続けるよう努力したし、後ろとの距離をしっかりと理解しようと試みた。でも5kmで振り返ったときに、コンタドールやニバリとの差がよく分からなくて辛かった。まるで受難の道のようだったね。

キャリアで最大の勝利だよ。ジロは伝説的なレースだ。そしてパンターニはボクにとって永遠のアイドル。全ての人の心の中に、彼は生き続けている。だからこの勝利を手に入れるために、本当に全力を尽くしたよ。しかも今日のレースは道をよく知る地元で行われたわけじゃないから、価値の高い勝利だよね。でも要求をあまりにも高くしすぎてはならない。もちろん表彰台が欲しいか、って言われたら欲しいに決まっているよ!ただコンタドールは非常にインテリジェンスのある選手だし、ニバリやスカルポーニも実力が高い。だから非常に難しい戦いになると思う。最後の最後まで、現実的であり続けなければならないよ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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